数値化
山田に酒が効かないと判明した翌日、ナオコは、決意をあらたにした。
正攻法でいこう、と考えたのだ。まず会話の機会を作らなければ、情報は得られない。
朝、出勤した後、出動命令がかかるまでの時間を、山田を捕まえることに専念した。
さして広い社内でもないので、くまなく建物を見てまわれば発見できるだろうと高をくくっていた。
だが、三日間探しまわって、なんと一度も遭遇しない。出動命令がかかれば現れるのだが、それまでどこにいるのか、だれも知らない。
なるほど、彼は待機命令無視の常習犯だった。そう思って、翌日からは朝五時に出勤し、玄関先で山田を待った。
しかし、これも空振りだった。なぜ出勤してこないのだろう、と訝しんでいると、頭がはたかれる。いつのまにか背後に立っていた彼に「出勤だ」と、告げられる。
そんなことが、五日間続いた。
尾行が、選択肢にちらつき始めたのが、六日目だった。しかし、彼の自宅を知らない。犯罪まがいをするために、家の場所を尋ねる胆力もないので、諦める。
七日目以降は、自尊心を捨てて行動した。
あらんかぎりの勇気をふりしぼって口実をつけ、彼を食事やお茶に誘いつづけたのだ。だが、非常に怪しまれて、いつも以上の素早さで帰宅されるだけだった。
ナオコは、さすがにへこんだ。
こんなことでは、情報どころではない。山田との距離は、遠のくばかりだ。
六月二十七日、夏が近づいているとはいえ、もう外は暗くなっていた。
ナオコは、トレーニングに熱中していた。仕事を終えて、山田に話かけると、
「最近の君は気持ち悪いな」と、辛辣な言葉を投げつけられた。そして、さっさと逃げられた。
ヘッドギアごしに、グロテスクな大きさのカエルが、飛びはねている。このあいだ、仕留めそこなった〈虚像〉のデータだ。
跳躍のすきをみて、前にころがり、背後をとる。走る勢いを利用して、クラブを叩きこむ。HITの文字。後ろに飛んで、攻撃にそなえる。
予想したとおり、カエルがふり返りざまに踏みつぶそうとしてきた。避けて、カエルが体制を整えるまえに、首元をなぐりつける。HIT。もう一度。HIT、HIT。
訓練終了の文字が、眼前に映った。粒子へと分解されていくカエルを眺めながら、ナオコはなんとも言えない気持ちになった。
たとえ訓練で勝利できたとしても、実戦で活躍できなければ、なんの意味もない。
しかし、それには山田に、自分の力を認めてもらう必要がある。そうなると、今の実力では足元にも及ばない。
「どうしたもんかなあ」
ひとりごちて、床に座りこむ。
MRモニターに、今回計測したデータが示されていた。左上から、タイム、攻撃回数、被攻撃回数、時間ごとの脈拍や筋肉の収縮が事細かに載っている。これらの集積をするのも、精神分離機の機能だ。
首筋に触って、ふう、と息をついた。
精神分離機は入社当時に、首の皮一枚下にうめられた。便利な機械だが、これが常に保全部に見張られている、となると、おちおち安心もしていられない。その〈芋虫〉が、戦闘に耐えうるかどうかも、この機械によって管理されているのだ。
その結果だけでみると、ナオコは〈芋虫〉として、適っているはずだった。
特殊警備部に入りたての頃こそ、逃げまわることに必死だったが、今はちゃんと〈虚像〉の相手が務まるだけの力をつけている。
誰もいないことを良いことに、床にごろりと横になる。
ここ最近は、普段の仕事に加えて、山田を探っているため、体から疲れが抜けきっていない気がした。
にっちもさっちもいかない現状にうんざりしながら、ふと、ゴルフクラブを頭上にかかげる。
赤いグリップ、きらきら光る銀色がまぶしい。
「どうしたらいいと思う?」
と、クラブに話しかけて、虚しくなった。想像する以上に、疲れているようだ。
なぜ、クラブが自分の武器なのか、ナオコには分からなかった。初めて武器の生成を行ったときに現れたのが、ゴルフクラブだったのだ。
――――そういえば、極道ものの映画で、敵をクラブで滅多打ちにするシーンが観た気がする。
なんて考えて、ためいきをつく。庶民的にすぎる切っ掛けだ。
同じ〈芋虫〉でも、ケビンは騎兵銃、由紀恵は槍を獲物にしている。他の仲間たちも、剣だ銃だと正真正銘、立派な「武器」だ。だのに、どうして自分はゴルフクラブなのか。
そう考えると、山田のペーパーナイフも相当だ。あんなもの、とてもじゃないが武器とは言い難い。
なぜ、あんなものを使う羽目になっているのだろう。ペーパーナイフで、目を突かれそうになったとか、そういう類のトラウマがあるのだろうか……。
そこまで考えて、ナオコは、はてと首をかしげた。
精神分離機の優れた点は〈虚像〉に、精神エネルギーを介したダメージを与えられる点だ。そのよな理由で、ペーパーナイフだろうがゴルフクラブだろうが、無いよりは有る方が良い、とされている。
だが、こと山田に関しては、それは違う。
彼は、精神分離機の開発以前から身一つで戦っている。ちゃちなペーパーナイフなどなくとも、〈虚像〉の一匹や二匹は、難なく倒せてしまうだろう。
なぜなら、彼が〈虚像〉に苦戦したすがたなんて、一度も見たことがないのだから。
もし精神分離機を使うのだとしたら、それは。
突然、ポケットが震えて、飛びあがる。携帯が鳴っていた。
上体をあげて、電話に出る。
「はい! 中村です!」
「お疲れさまです。保全部の大村です。ただいま上野公園付近で〈虚像〉の発生が観測され、三班の出動要請がかかっております。至急、出動をお願いいたします」
「えっと、宿直の人は……?」
部屋の壁面にある時計を確認する。もう二〇時になるため、本来なら、宿直の担当班に要請がかかるはずだ。
「宿直担当は、他の〈虚像〉の対応をしております」
「え、ああ、それなら分かりました。今から向かいます」
「詳細をメールでお送りします。よろしくお願いいたします」
機械的な対応の直後に、メールが届いた。〈虚像〉の発生した地点は上野駅のすぐそばだった。
ジャケットを羽織り、トレーニングルームを出る。
山田に電話をしてみた。しかし、繋がらない。少し不服に思いながら、上野公園前に居るとメールを送る。
外に出ると、夜風が強かった。道に捨てられたゴミが、風にあおられて、足に当たる。
ナオコは、前髪をかきわけながら歩いた。
一晩に二体〈虚像〉が現れるのは珍しい、とぼんやり考える。〈虚像〉が人口密度に比例して出現する以上、夜間の都内では、まれに一体出現するかしないかだ。
夜空はやたらと暗く、濁っていた。
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