あきらかにアルコールは不要

 特殊警備部は、班ごとの持ちまわりで、宿直を担当する。夜半の〈虚像〉の出現に対処するためだ。本日、六月十四日の担当は、五課三班だ。

 山田を調査する絶好のチャンスである。


 バスを降りて、五分ほど住宅街をすすむと、HRAの本社がある。

 背の高い生垣に囲まれており、門をぬけて左手に、ちいさな駐輪場がある。その奥には、駐車場があって、会社持ちのワゴンが数台停まっている。

 

 門をくぐったあと、彼らの進路が割れた。山田は駐輪場のほうへ、ナオコは玄関のほうへ歩を進めていた。


「え、どこに行くんですか? 宿舎は9階ですよ」


 ナオコは、あわてて山田の進路をさえぎった。この機会を利用するつもりだったのに、いきなり他所へ行かれてしまうと困る。


「知っている。命令が下ったら、ちゃんと戻っているだろう」


「わかってますけど、でも、ちょっとくらいオフィスに顔だしても……」


「俺がどこへ行こうと、君には関係ないことだと思うが」と、うっとうしそうに手をふる。


 宿直時、山田はめったに宿舎に来ない。出勤命令が下れば姿を現すのだが、それまでどこにいるのかは、だれも知らないのだ。

 マルコの話を鵜呑うのみにするなら、このタイミングが圧倒的に怪しいだろう。


「それじゃあな、報告書は自分で書け」


「あーあー、待ってください!」


 スーツの袖をつかむと、彼はつんのめり、大きなためいきをついた。


「さっきから、いったいなんなんだ。用があるなら、ちゃんと話せ」


 ナオコは、頭を必死に回転させた

 怪しんでいることを、表に出してはならない。そうなると、なんとか懐に入って、話を聞くしかないだろう。

 しかし、どのように懐に入ればいいものか。山田に親しみを振りまこうとも、一笑に付される気がする。


 しかたがないので、ナオコは愛想笑いをうかべて、

「さみしいじゃないですか? たまには、一緒に飲みません?」と、誘った。


「……熱でもあるのか?」


 山田が距離を置いた。

 作戦が失敗したと悟り、

「いや、忘れてください。そういうことじゃなくて……」

 と、弁明する彼女に、哀れみの目がむけられる。


「わかった。あまりに男に飢えているんだな。花ざかりの20代だというのに、かわいそうなことだ」


「はあ?」


「俺は相手をしてやれないが、相談相手くらいになら、なってやっても構わないぞ。まず、その見た目に無頓着なところをどうにかして……」


「なぐりますよ?」


 あんまりな言い草に目じりをつりあげる。彼は「冗談だ」と、面白くもなさそうに答えた。


「どういうつもりか知らんが、君と飲むつもりはない。だいたい、宿直のさい、飲酒は禁止されているだろう。もしかして隠れて飲んでいたのか?」


 ナオコは、口をすべらせたと気づいた。寝酒が習慣になっているので、禁止されていることをすっかり忘れていたのだ。


「いや、違います」


「なにが違うんだ」

 彼は、急に叱りつける調子になった。

「以前うわさに聞いたが、酒に強いらしいじゃないか。それに増長して、毎晩飲んだりしていないだろうな? 体が資本の仕事で、まさかそんなことはしないと思うが……?」


 ナオコは視線を泳がせた。まさにそのとおりだった。


「そんなことないですよ!」と答えて、言い訳を考える。


「えっと、明日は休みじゃないですか。ケビン、そうケビンと、休みが被ったとき、よく飲んでるんです。それに、山田さんもどうかなーって意味で言ったんです。隠れて飲んだりしていません、本当です」


「なるほど」


 山田は、疑わし気だった。


「相浦とね。いいことじゃないか。それならば、俺は君たちの邪魔をする必要をまるで感じないし、どうぞ2人で、仲良く酔いつぶれているがいい」


「酔いつぶれはしないですけど」ナオコは、しゅんとした。

「たまには……」


「俺は遠慮する。あまり飲みすぎるなよ」


 山田が、背をむける。これ以上引きとめても無駄な気がした。今日は諦めようか、と考えていると、ナオコたちと同じく宿直担当であるケビンと由紀恵が、門をくぐる姿が見えた。


「おまえらなにしてんだ?」と、ケビンが近寄ってくる。


「ケビン、いいところに」

 タイミング良く現れた助太刀に、顔を輝かせる。

「ね、ね、明日、ケビンたちも休みだよね?」


「あ? そうだけど?」


「じゃあ、たまにはさ、仕事明けに4人で飲まない? 由紀恵さんも、よかったら。あ、それとも用事あります……?」


 やけに必死なナオコをみて、ケビンと由紀恵は顔をみあわせた。そして、ケビンは山田に視線をむけて、

「あんたも来るのか?」と、苦々しくたずねた。


「彼女が勝手に言っているだけだ。野郎と飲んでどうする?」


 敵意を感じているのかいないのか、山田は淡々とかえした。


「わたしは、構わないわよ。どうせ明日はゆっくりしようと思っていたし、たまにはそういう交流をもつのも悪くないもの」と、由紀恵が微笑をうかべる。


「新藤と2人なら、同伴させていただきたいがね」


 山田の軽口にたいして、ケビンがにらみをきかせる。

 しかし、由紀恵はあしらうような口調で「わたしも、ぜひ。でも今日は4人でね」と、答えた。


「ね、ケビンもどうせ暇でしょ?」


 ナオコは、ケビンを拝みたおした。

 山田がうかつな人間であるとは、決して思っていないが、酒によって口が軽くなり、自分の行動のヒントを話す可能性はある。

 なにより、山田と一対一で向かい合うのは、苦しすぎた。どんな嫌味を言われるか、分かったものではない。


「そこまで言うなら、いいけどよ。中村、絶対なにかたくらんでるだろ」


「たくらんでない! ただ、わたしはみんなと仲良くなりたいだけ」


 ナオコは両手をふって、誠実さをアピールした。


「絶対おかしい」と、ぼやいたが、元来酒好きの彼が断わる理由はなかったようだ。


 由紀恵がにっこりと笑い、

「山田さんも来てね」と、付け足した。

「みんな、にはアナタも入っているでしょう?」


 彼女は、ナオコに目配せをした。

 どうやら「4人で飲みたい」との意図をくんで、そう言ってくれたらしい。ありがたく思いながら、山田をみると、視線がかちあった。


「まあ、いいか」

 しつこく誘われて、面倒くさくなったのか、彼はため息まじりにつぶやいた。

「ただ、親睦を深めたいのであれば、それなりの見世物になってもらうからな」


「は、はい? どういう意味ですか」と、ナオコは目を丸くする。


 しかし、質問に答えはなかった。山田は、用は済んだとばかりに、歩き去ってしまった。その背中に「退社時刻に玄関!」と、ケビンが声をかける。


「いったいどういうつもりなんだよ、おまえ」

 ケビンは、怪訝そうだった。

「山田を飲みにさそうなんて、正気なのか? もしかして、あんまりにも酷く扱われすぎて、逆に目覚めちまったのか?」


「目覚めるって、なにに?」


「だから、マゾヒスト的なアレに」


「まあ、ケビン。ナオコちゃん、仲良くするためだって言っていたじゃない。わたし、そういうの意外と大切だと思うわ」


 由紀恵が、穏やかに口をはさんだ。


「ババアには聞いてねえよ。だいたい、アンタもなんで山田が来ることに乗り気なんだよ。べつにあいつのこと、好きでもなんでもないだろ」


「あら、尊敬はしているわよ。強いもの、あの人……強いし、賢い。そういう男が嫌いな女はいないわよ、ケビン」


 彼は、すこしだけ悔しげにした。ナオコが「まあまあ」と、二人のあいだに入る。


「ケビン、急に誘ったのに受けてくれて、ありがとね……由紀恵さんも、ありがとうございます。仲良くなりたいっていうのは、本当なんです。でも、いきなり一対一はきびしい気がして、つい」


「ううん、いいのよ」と、由紀恵はほほえんだ。


「仕事とプライベートは分けるべきって意見も当然だけれど、でも、やっぱり唯一無二の相棒だもの。仲良くすることに越したことはないわ」


「俺とババアって仲いいのか?」と、ケビンがぼやく。


「とおっても仲良しでしょう? あなたがババアって言っても、怒らない程度には」


 由紀恵は、寒気がするほどの完璧な笑顔で「もしあなたと仲良しさんじゃなかったら、とっくのとうに」と、つづけた。


 その先を聞いて、ケビンが青ざめていくのをながめる。

 山田の言っていた「見世物になる」の意味を考えながら、翌日の朝を少しだけ楽しみに思った。

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