自信なき乙女、二十五才

 彼は両手にあごをのっけて「そう思うだろう?」と、いたずらっぽく笑った。

 ナオコは視線をおよがせた。

 そう思うもなにも、ちっとも分からない。

 頭の回転が早いことは、あびせかけられる皮肉の数々から感じとっている。が、合理的な人間が、相棒の手首をむりやりに縛りつけるかどうか。

 それとも、それほどまでに自分が邪魔だったのだろうか。

 ナオコの気持ちが、一段落ちた。


「わたしには分からないです」


 悲しいほど正直に言うしかなかった。自分たちは、相棒とは名ばかりの関係である。まったくもって彼の気持ちなど分からない。


 彼は、じいっとナオコをみつめた。顔に穴があきそうなほど凝視するので、だんだんとパニックになってくる。


「あの」かぼそく声をかける。

 すると、彼はおもむろに机に身を乗りだした。


「中村くんは、いつもぼくと目をあわさないね」


「え?」


 虚をつかれて、顔をあげた。

 がっちりと視線がかみあう。

 あ、きれいな目。

 ひらめきのように思いつく。瞳の青にひきこまれた。


「ぼく、中村くんの、そういうトコが、山田くんにぴったりだと思うんだ……もちろん、ぼくも好ましいと思うけどね。素直なのは美徳だ」


 血液が逆流して、ほおに集結していく。ジャケットの背中が汗でじっとりする。

 手にくちづけを落とされたときよりも、なぜか恥ずかしい。


 彼は、ナオコの焦りようをみて、口元をゆるめた。


「そういうわけだからさ、たのまれてほしいんだ」

「え?」


「中村くんなら、きっとうまくやってくれると思うから。山田くんのこと、うまく探ってみて」


 ぽかんと口をあける。


「は? え、え、ちょっと待ってください」


 泡をくって、両手を前につきだす。


「どうして私が山田さんを探るんですか? 相棒だからですか?」


「それもそうだけど、いま言ったとおりだよ」


「山田くんみたいなタイプには、中村くんみたいな素直な子が向いているんだ。ひねくれものにひねくれものをぶつけたって、余計にこんがらがるだけだからね」


「それは、そうかもしれないですけど、その、いや、素直だってお褒めの言葉をいただけるのはありがたいんですけど、そうじゃなくて……」


 軽い混乱におちいりながら、頭の中身を整理する。

 なぜこんな話になっているのか、まるでつかめない。

 マルコが、ふと口をひらいた。


「もし彼が〈鏡面〉に侵入している理由が判明したなら、中村くんと山田くんの問題も解決すると思うんだよね」


「え、どうしてですか」


「ようは、君たちのあいだに信頼関係が築けていないのが原因なわけだから」


 ずばり口にされた言葉に、ナオコは、本日二つ目となる心の傷をおった。

 信頼関係が築けていない、とは、まさにそのとおりだ。

 あらためて、なぜ手首を縛られるはめになったのか、と問いかけてみる。

 そうすると、やはり仕事中に、彼の手をわずらわせていたことが原因である。

 たとえば〈虚像〉に捕まえられて、あわや頭からかみ千切られそうになったり、マンションの屋上から落ちそうになったり、運よく仕留められたとしても、着地に失敗して足をくじいたり……。

 他人から指摘されると、分かっていたつもりでも、自分を棚にあげて考えていたと思いしらされる。

 ナオコは、直球で投げられた言葉のナイフを受けとめながら、そんなふうに思った。

 ようは、自分が山田から信頼されるに足りる人間でないことが、問題なのだ。


「山田くんのこと、よく知らないって言うならさ、知ってみればいいんだよ。仕事以外の話をしてみたり、一緒に出かけてみたり」


 彼はひとさし指で宙をさして、そう提案した。


「そうすれば、君たちのあいだに信頼関係が生まれるし、そのあかつきには、山田くんの動向を知れる可能性がある。一石二鳥だよね」


 肩をすぼめながら、

「山田さん、わたしと一緒に出かけてくれると思いますか……?」とたずねる。


 マルコの笑顔が、一瞬だけ固まった。

「うーん」と、半笑いで首をかたむける。


「じゃあ、とりあえず後つけてみたら? 一緒に出かけなくても、途中で偶然をよそおって会った体にしてみるんだ」


「それ、尾行ですよね?」


「そうとも言うね」と、驚くほどさわやかに答える。


 ナオコは、その応対に既視感をおぼえた。なにを言ってもむだだ、と思わされる虚脱感は、山田と似通っている。本社組同士、似たところがあるのかもしれない。


「尾行するついでに、仲良くなればいいんだよ。まあ、仲良くなりたくないなら、それでもかまわないけど……」

 ほおをかいて「でも」と、つづける。

「せっかくバディなわけだからね、さっきも言ったけど、やっぱり相棒どうしはフレンドリーであってほしいって、ぼくは思うな」


「仲良くなりたくないわけではないです」

 肩をおとす。

「でも、まず、私に実力がないから信頼されていないわけで、このままの私ではダメなんじゃないでしょうか……」


 彼女は、想像以上にへこんでいる自分に気づいた。

 実力不足は、いますぐどうにかできる問題ではない。それに、山田と共闘できている自分なんて、想像もできなかった。


「それに、尾行なんてうまくできる自信がないです……」


「え、それはダメだよ!」


 マルコが、いきなり強い口調で言いはなった。

 驚いて椅子のうえでのけぞっていたナオコは、

「だ、ダメですか? 尾行しないと?」

 と、あわててたずねた。


「や、そうじゃなくて」


 彼は、せきばらいをした。


「いいかい……中村くん。いや、親しみをこめて、ナオコくんと呼ばせていただこうかな? いいよね?」


「え、あ、べつにいいですけど」


 こくこくとうなずく。


「そう、ありがとう。あのねナオコくん。自信がない、なんて言っちゃダメだよ。そんなんじゃ、できることも、できなくなっちゃうよ」


 劇団員のように悲しげな表情で、首をよこにふる。


「謙虚さは日本人の美徳だって言うけど、それは自信をもたないこととは違うよ。本当に謙虚であるってことは、事実に裏づけされた自信があるからこそ、他人に揺らがされないってことだ」


 彼は、びしりと指をたてた。


「君はすばらしい人間だ、ナオコくん。優しいし気がつかえるし可愛いし、だれにたいしても分けへだてないし、なによりとっても素直だ。その素直さが、君を強くするんだよ」


 あまりにも真剣に話すので、ナオコは口をはさむことができなかった。

 

「本当に謙虚な人間になるんならね。君はもっと自信をつけなきゃダメだ。卑屈にならないで、きちんと行動をして、失敗しても、ちゃんと向き合うんだよ。そして、山田くんにも、そうしてあげないとダメだ」


 ナオコは、ぎくりとした。


 自信がないのは、しかたのないこと。

 そう思って二十五年間、だましだまし生きてきたことは否めない。

「自信をつけろ」と煽られる。これまでの人生でも、ときたまあった。

 中学生、いやいやグループの発表役となった日。高校生、センター試験の直前に父親から言われた言葉。大学生、恋人と喧嘩したとき。

 どれもこれも「自信」だった。

 ナオコから言わせれば、そんなもの、つけられるものなら、とっくのとうについている。

 自信とは一種の才能であり、自分にはその才能がない。

 そう彼女は思っていた。


「しかたがないって思っちゃダメだよ」


 思考を読んだかのような発言に、肩をはねあげる。

 マルコは、君のことなんてすべてお見通しだと言わんばかりの微笑みを浮かべている。


「君は、君が思っている以上にできる人間なんだ……そうだろう? それなら、やってみなきゃ。なんでも、どんなことでも」


「そ、うなんでしょうか」


 彼は、ナオコがようやく言葉を発したので、満面の笑顔になった。


「もちろんだよ! 山田くんは君をきっと信頼してくれる。そうすれば、きっと彼だって正直にすべてを話してくれるだろう。すると、ぼくたちもみんな助かる。きみは成しとげる。そうだろう? ナオコくんには、それができる!」


 そうなんだろうか、そうなのか? 

 思考がぐるぐると巡る。

 そんな気は、ちっともしないのだが、マルコの話を聞いていると、どんどん否定の言葉を言いづらくなっていく。


「やってくれるだろう? ナオコくん。これは会社だけの問題じゃない。君自身がより、活躍するためのチャンスなんだ」


 その言葉に、つぶれかけていた自尊心が、ぴくりと反応した。

 活躍、チャンス、という単語が、くるりと脳内をまわる。


「や、やります」


 ナオコは、はっと目をみひらいた。

 彼は、子どものような笑顔をうかべた。


「そう言ってくれると思っていたよ!」


 やってしまった。ナオコは青ざめた。

 最近、山田に自尊心をズタズタにされることばかりだったので、褒められて調子にのせられ、チャンスを与えられるというシーンに屈してしまった。


「よかったよかった」


 マルコは両手をあわせた。啓発系セミナー講師の仮面は、すっかり脱ぎさっている。


「ナオコくん、本当に素直だねえ」


「ありがとうございます……」


 かわいた笑顔をうかべる。

 とほうもないバカだ。自分を心のそこで殴っても、言葉は返ってこない。

 遠い目で窓の外をながめるしかなかった。

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