精神分離機

「山田くんは裏表がないし、ある意味、とっても付きあいやすい男だよ。ぼくも彼のことは好きだ。でもね、彼の協調性のなさだけは、どう頑張ってもフォローができないんだ」

 マルコは腕をくんで、かぶりをふった。

「〈芋虫〉がなんでバディをくんで仕事にあたっているか、中村くんはわかるかい?」


「たしか、精神分離機の使いすぎを防ぐため、ですよね?」


 ナオコは確証がなかったため、自信なさげに答えた。


「そのとおり」と、マルコがうなずく。

「開発者のぼくが言うのは、ずるいかもしれないけど、精神分離機はあくまでその場しのぎの武器なんだ。本当は、君たちにとって良くないものなんだよ」



〈鏡面〉では精神と肉体のつながりがなる。

 そこに目をつけたのが、マルコの開発した精神分離機だった。

 これは、精神が浮遊して扱いやすくなったときにかぎり、その人物の脳波を測定して、もっとも攻撃的であると認識するものを登場させる器具なのである。

〈鏡の国〉から、こちらの世界に生まれかわろうとする〈虚像〉は精神エネルギーだけの存在であり、エネルギー体でしか消滅させられない。

 そのため、精神エネルギーを効率的に利用可能にした精神分離機は画期的だったのだが、それにも弱点がある。

 精神分離機はその名の通り、精神を武器にする機械なのだ。

 結果として、身をけずることになる。


「タバコの毒に似ているかな」

 と、彼は説明した。

「普段、ただ吸っているだけじゃ気づかない。でも、肺の中は、ススで真っ黒けだよね。精神分離機がおこす害は、普通にしていれば絶対に気づかないけれど、長期的に扱うには負担がかかるものなんだよ」


 マルコは両手を組んで、視線をおとした。


「もちろん後続機の開発にも力を入れているけど、しばらくは精神分離機に頼ることになると思う。だから、より短い時間で仕事を片づけるためにも、バディを大切にしてほしいんだよね。それがみんなのためにもなる……んだけど、山田くんときたら」


 困ったもんだと言わんばかりに、彼はため息をついた。


「協調性、はないですもんね……山田さん」


「そうなんだよ。中村くんに仕事はさせないし、勤務時間中に勝手に外は出歩くし、いったいなんなんだろうね。アメリカにいたころは、こんなんじゃなかったんだけど」


「山田さん、今と違ったんですか?」


 興味をひかれて、身を乗りだした。


「すごい無口なひとだと思っていたんだ、ぼくは」

 マルコは肩をすくめた。

「本社ですれ違っても、あいさつくらいしかしなかったよ。恐ろしい人だって聞いていたしね」


 山田は無口とは言いがたい、とナオコは思った。お喋りではないが、皮肉屋だし、なにかと口を出してくる。


「まっ、日本にきて、彼は良かったんだと思うよ。それはぼくも一緒だけど……でも、それとこれは別問題だよね」


 マルコは、眉間によったしわをこすりながら、やれやれと首をふった。


「はい、おまちどうさん」


 食事がはこばれてきた。


「おいしそう」と、もらすと、おかみさんがにっこり笑って「おいしいわよ」と言った。


 炊きたての白米と、あんがたっぷり乗ったチキン南蛮をみていると、自然と口のなかにつばがたまった。マルコのまえには、カツオのあぶり定食が置かれた。

 いったん話を中断させ、はしを割った。

「いただきます」と、両手をあわせ、一口目を口にいれた。


「おいしいですねえ、これ」


 思わず上ずった声がでた。タルタルソースが甘じょっぱく、歯ごたえのよいチキンとあいまって、白米との相性が抜群にいい。


「そうでしょ? ぜひ中村くんに食べてほしかったんだよね」


「それは、ありがとうございます」

 ナオコは、口元をほころばせた。「ほかの〈芋虫〉の子にも教えますね」


 すると、マルコは一瞬あっけにとられ、難しい顔をした。


「それは遠慮してほしいな」


「え?」


「ぼくが教えたかったのは、中村くんにであって、ほかのみんなにじゃないよ。みんなが知っちゃったら、せっかく一人でご飯を食べるためにきているのに、誰かと食べなきゃいけなくなっちゃうよ」


 今度はナオコがぽかんとする番だった。

 たしかに、さきほどおかみさんがそんなことを言っていた。

 彼は子供っぽく唇をとがらせて、

「仲のよくない人と食べるご飯っておいしくないし、非生産的でしょ? ぼくは食事がまずくなる人と、ご飯になんていかない」と、言った。


「でも」


 ナオコは口に出そうとした言葉をのみこんだ。でも、いまはわたしと一緒にごはん食べているじゃないですか。

 マルコは彼女の発言を聞くまでもなく理解したかのように見えた。


「中村くんとご飯を食べるとおいしい」と、笑ったのだ。

「素直においしいって言ってくれるし、食べさせがいがあるから」


 

 それはいったいどういう意味なのだろう。

 ナオコは、心中で天をあおいだ。

 悲しいかな、自分の恋愛偏差値は低い。最後に恋人がいたのは大学生のときで、それから恋らしい恋をする暇はなかった。


「ありがとうございます」


 けっきょく言えたのは、これだけだった。

 マルコはにこやかに「どういたしまして」と、かえして、かつおを口に放りこんだ。

 ナオコも食事を再開したが、おいしさはどこかへ飛んでいってしまっていた。


「あのね、まだ6月もなかばだっていうのにさ、超過してることが分かっちゃったんだよね」


「はい?」


 聞きかえしてから、さきほどの話のつづきだと察した。精神分離機の使用限度のことだ。


「さっき保全部の子に確認してもらったんだけど、山田志保、六月十三日、現段階で限度数の一・七倍……だってさ」


 ナオコのはしから、白米がボトボトと落ちた。


「今年中に保全部の〈鏡面〉管理システムを、アップデートしたいなって前から思っててさ。その準備として、精神分離機の使用データのバックアップをとってたんだ」


「は、はい。聞いています」


 システムの効率化のために、来年から新しいソフトを導入する、といううわさは聞いていた。


「そうなんだよ。そしたら、山田くんのデータに不自然なところを発見してね」

 マルコは肩をすくめた。

「〈鏡面〉に滞在する時間と使用時間の比率をごまかして、限度を少なく見つもらせていたんだよね。先月以前のデータには出てないんだけど、たぶん、だいぶ前から改ざんしていたんじゃないかなあ……あの人、そういうところ上手くやるしね」


「それって、わたしが役に立っていないから、数値が増えてしまったってことですか……?」


 嫌な予感に身をふるわせながら、おそるおそるたずねると、

「いやいや、それは違うよ。まったく違う」

 と、即座に否定された。


「山田くんは中村くんとバディを組むまでは、単独で〈虚像〉と戦っていたわけだから、君の労力は、そもそもカウントに入ってないんだよ」


 心に、言葉がぐさりと突きささった。つまり自分の労力はあってもなくても同じである、ということだ。


「彼は、もともと二人ぶんの仕事を、一人でやっていた。それができたからこそ、だ。でも数値は異常なくらい高い。とすると、問題は時間じゃなくて数だ」


 山田の仕事ぶりを思いだす。

 彼の戦いは、とにかく「早い」。

 すばやく接近し、無駄のない動きで相手の急所をえぐりとっていくスタイルだ。

 そこにナオコの入る隙はなく、それこそが悩みの種でもあった。

 だが、長年にわたる仕事の積み重ねによる、彼の戦いを、ほうっと眺めてしまうことがあるのは、否定できなかった。

 綺麗なのだ。職人技といっても良い。

 それほど戦いに熟練している山田が、精神分離機の使用限度を超過している。

 ナオコは、マルコの顔をそうっとうかがった。


「……任務以外のべつの場所で、精神分離機を使用しているってことです、よね?」


 マルコはつけあわせの漬物を口に運んで、

「そういうこと」と、あっさりこたえた。


 いよいよご飯から味がなくなった。

 はしをおいて、落ちつきを保つために深呼吸をする。意を決して口をひらいた。


「つまり、それは許可なしで、精神分離機を使用しているってことですよね?」


「そういうことになるね」


「ってことは、無許可で〈鏡面〉に入っているってことですよね……?」


 基本的に精神分離機は精神が肉体から浮遊する〈鏡面〉でしか使用できないため、そういうことになる。


 マルコはゆっくりと、うなずき、水をのんだ。


「無許可の〈鏡面〉への侵入と、精神分離機の使用。誓約書に照らしあわせれば、記憶処理のうえでの解雇はまぬがれないかな」


 マルコは、真っ青になった彼女にニコリと笑いかけた。箸を置いて、

「もちろん、そんなことはしないよ」と話す。


「で、でも」


〈芋虫〉たちにとって〈鏡面〉への無断侵入は重罪だ。

 みだりに〈鏡面〉へ入ることは〈虚像〉を刺激する原因になるためだ。


「どうして任務でもないのに〈鏡面〉なんかに入っているんだろうねえ。中村くんは、なんか知らない?」


 マルコは軽くたずねた。

 からから、と扉があく音がして、新たな客が入ってきた。「いらっしゃいませ」「さんにん」といった会話が聞こえ、わちゃわちゃと椅子を引く音や、なんてことのない会話が聞こえた。

 そこでナオコは彼の目的に気づいた。

 山田の不正をあきらかにするために、自分だけを呼び出したのだ。


 にわかに緊張してきて、膝のうえでこぶしをぎゅっと握る。

 すっかり美味しくなさそうになったチキン南蛮を見つめる。

 彼がなにを思って、そんなことをしているのか見当もつかなかったが、いくら苦手な人間であるうえに、自分を嫌ってはいても……彼は相棒だった。それは変わらない。


「わたしには、よく分からないです」

 それは、本当のことだ。

「そもそも人並みにあつかわれていないわけですし、仕事以外の話も、あまりしないので」


「ふうん」


 マルコは、目をちょっとだけ見開いた。


「ぼくが思うにね、山田くんがなんの意味もなく、〈鏡面〉に侵入しているとは思えないんだよ」


「そう、でしょうね」視線をおとして、軽くうなずく。


「彼は合理的な性格だし、何にたいしても十分に用心深い。だからこれまで保全部にも、ぼくにも気づかれなかったわけだ。

となると、正面きって不義を問いかけたとしても、彼は絶対に意図をあかさないだろうね。隠すこと、それ自体に意味があるはずだから」

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