第15話
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最高記録の更新などはしたくない。僕は今回担当の望月さん―――臨時職員さんに対し、AIの指示通りに対応するよう念入りに注意した。
彼らのほとんどは、環境負荷ポイントの浪費に対する懲罰として社会奉仕活動を命じられてここにいる。労働というものについて一切の経験が無い人も珍しくはなく、正直なところあまり頼りになる存在ではない。
当然、それなりの配慮はされている。窓口業務において臨時職員に求められている役割とは、要するに原稿の読み上げ担当だ。個人的な意見や見解を示す必要は無く、基本的にはスピーカーの代用として標準的な解決案をそのまま相手に伝えてくれればそれでいい。ああ勿論、班長のように特殊な意義と用途を見出している意見もあるようだけど。
しかし翻って考えてみれば、僕自身の立ち位置だって臨時職員のそれと大した違いは無いように思う。偉そうに語れるほどのスキルや経験も無い。一応の権限ぐらいは持たされているが、それで出来る事など多寡が知れている。俯瞰して見れば、やはりAIの原稿を読み上げているだけの存在だろう。
最近では個人的な会話にもAIのサポートを入れる人は多い。まして役所の窓口ともなれば、AIの法的助言を受けずに交渉をする方が少数派だ。実態としては苦情を言う側も受ける側もAIの作成した文書を読み上げているだけ、ということだって珍しくない。
それなら最初からAI同士で交渉させた方がずっと合理的なのにと僕は思う。それならば全ての作業が一瞬で完了する。なのに、何千倍もの手間をかけてこんなことを行う意味はどこにあるのだろうか。
しかも、交渉が失敗するリスクを大幅に高めてまで。
無意味なことに貴重な資源を消費することで、そこに価値があるように錯覚する。つまりはこれも一種の宗教的儀式と言えるのかも知れない。
繰り返しになるが、僕は二十一世紀前期という時代について良い印象は持っていない。戦争の原因を作った世代。自分達の欲望のために、人類の未来を破壊した人々。
とは言えこんな仕事をしていると、どこか憧れのような感情が浮かんでしまうこともある。世界がこんな風になる前。どうしようもなく無知で愚かであると同時に、今よりもずっと開放的で人間の幸せがあった時代。
確かに現代社会は息苦しい。機械に支配され、追い立てられるような感覚。自分が必要とされているという確信が持てない疎外感。何かを為そうとすればするほど無力感に苛まれ、打ちひしがれて自らの殻に閉じこもる人も多い。
戦前では、そんなことは無かったのだろう。生きるために人間の努力が必要とされる社会では、自らの存在意義を確認出来ただろうし、そこには人同士の触れ合いがあった。
当時、回線の内側でしか他人と接触しないのは病的な行為とされていたという。
やはり人間が人間らしく生きていたという点においては、現代よりも過去の方が健全だったと言えるのではないだろうか。
そんな埒も無いことを考えたのには理由がある。
新たな来訪が告げられていたのだ。
先日の女性。例の、自然環境がどうのと言っていた人。
現実に意識を戻すと頭を抱えたくなる。なんでまた僕が担当する時間帯に。
僕は慌てて臨時職員さんに指示を出す。ここ数回苦情になっている相手なので、言葉遣いには注意をするように。そして、回答案が複数存在するような場合は自分の判断で行わないこと。それと、あれと。
そこまで細かい注文をつけるなら正規職員の方に対応をお願いします。そう言われて僕は泣きそうな気持になる。しかし、言い分はもっともだった。僕が前に立つしかない。
受付に入ってきた女性は、挨拶をした僕に対し露骨に嫌そうな顔をした。
「またあなたなの?」
「いえ、あの。もしご不満でしたら、別の者が対応いたしますが」
微かな期待を込めて聞いてみる。来庁者側の希望ならば、班長に交代してもらうことが出来るかも。
「いいわ。どのみち誰でも大差ないでしょうし」
そ、そうですか。儚い希望は潰え、僕は平静を装いながら資料を呼び出す。
前回からまだ一週間ほどしか経っていないが、それでも条件に該当しそうな新規物件は幾つか増えていた。僕は資料をゆっくりと読み上げる。丁寧な口調と態度を意識して。
「前回のご提案では花を観賞できる季節に限定がありました。環境についてもやや人工的な雰囲気が勝っていたと思いますので、その点を配慮して選考しました」
提案する住居周辺の状況、前回物件との違い、こちらが勧める理由を順に告げていく。こう言ってはなんだが、僕自身は完璧な応対だと思っていた。公平な眼で見たって、そう悪い出来ではなかったと思う。
しかし、話の途中で女性は不機嫌な声をあげた。
「ここの職員は人の話を聞くことが出来ないのかしら。言葉を理解できないの?」
「失礼いたしました」
反射的に出た謝罪の言葉。しかし、僕は一体何がどう失礼だったのかが分からない。そして困ったことに、AIにもそれは分かってはいないようだった。
まったくなんてことだ。僕には解決に向かうための手掛かりが一切与えられていない。そもそもの問題点が分からないのに、一体何をどう解決しろと言うのか。
僕は彼女のレーティングを確認する。数値に特段の偏りは見えない。社会生活の中ではごく普通の一般人ということだ。
嘘だろうと僕は思う。これが変人でないなら、一般人とは一体なんなのだ。あり得ない話だが、何かの故障じゃないかと数字を確認してしまう。
誠にもって残念なことに、何度見ても数値の訂正がされることは無かった。
レーティングシステムは人間の日常行動を記録し、本人の言動や会話相手の反応などから評価値を与える。その信頼度は極めて高い。印象とこれだけ差があるということは、僕と特別に相性が悪いのか、それとも僕の側に何か問題があって、この女性の重要な何かを見落としているのか。
「ですが、こちらとしては要望を出来る限り叶えたものにしているつもりです。おっしゃった条件は全て考慮して」
その点は嘘ではない。話として聞いた要素は全て反映してあるはずだ。その意味で女性の言い様は不当だった。これで不足があるなら、女性の側が明らかにしていない要素があるということになる。
「ご不満ということは内容に不足があるのだと思います。その点は改善をしようと考えておりますので」
だが、改善するには必要な情報が足りない。この女性が本当に望んでいるのは何なのか。いや、やっぱり単に嫌がらせをしているだけで、そもそも解決策がどこにも存在しないという可能性だってある。
僕はAIの提案を確認した。職員窓口を一度離れるべきだとの助言。AI窓口で要望の内容を再確認した方が、より効果的に深層心理を探れる可能性が高い。つまりは職員が無能だから、一度AIに内容を整理させろという判定だ。
ああもう。
「こちらはとしては、努力致します。ですが緑が多いという言葉は曖昧ですし、花も種類は無数にあります。そのため、お互いの理解にどこか食い違いが生まれているのではないかと思いますので」
そう前置きしてから、僕はAIの提案に乗ってみた。
「その部分を明確化するためにも、一度AI窓口でのチェックをお願いできませんでしょうか。そうすれば言葉として説明しづらい部分も明確に把握でき、お互いにとって良い結果が出せると思います」
返ってきたのは、それはそれは冷たい罵倒だった。
「信じられないほどに、無能な職員ね」
まったく、どうすればいいのか。
進むべき方向性が全く見えず、何が間違っているのかも分からないまま、それでも謝罪して自分の間違いを認めなければならない。
正直言ってこれはあまりにも苦痛だった。もう全てを投げ出したくなるほどに。簡単に職場放棄が出来る臨時職員の身分が心底羨ましい。
「大変申し訳ありませんが……」
「あなたは一体何に対して謝罪をしているのかしら。まずそれを教えて欲しいわ」
思わずキレそうになる。僕の方こそ教えて欲しい。なぜこんなことになっていて、僕は何のためにこんな行為をしているのだろう。
しどろもどろになりながら会話を続ける僕に、女性が呆れ果てた眼を向けた。
「まったく、あなたは本当に人間なの? その頭が飾りでないのなら、少しは自分で考えたらどうなのかしら」
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