第16話
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ストレスの余り極度に食欲が昂じてしまった僕は、豚肉の生姜焼き定食大盛を前に班長に力説した。
「だからぁ、現代社会にも色々と問題があると思うんですよ!」
裏返った僕の声に、班長は落ち着いて応じる。
「おう、そうだな。現代社会はいつだって問題だらけだ」
そういう話をしたいんじゃない。ちょっとだけ涙ぐみながら肉とご飯を同時に口の中に押し込んだ。広がる甘辛い味が、少しだけ悲しさを癒してくれる。
「今の時代に、人間が生きている意味ってなんなんでしょう」
僕の愚痴に対し、班長は僅かに眉を上げる。
「人の生きる意味、か」
班長の前に置かれた皿から、カレーの匂いが漂ってくる。
「過去の時代にはそれがあったとでも言いたそうだな」
「少なくとも、現代よりはあったように思えるんですけど」
現代社会では、ほとんど全ての行為について機械の方が人間より優れている。勿論、人間がカバーした方が効率的な領域だって存在する。しかし、それはむしろニッチな例外分野ばかりだ。
現代における効率化とは基本的に人間の参加を減らすことと同義だ。人間は機械による生産の分配を受け取り、消費する存在だと言って良い。
「生きるために必要な行為を要求されるからこそ、自分の存在価値を感じることが出来る。そういう意味では過去の方が優れていたんじゃないでしょうか」
「働くことで生きる意味を感じ取れるなら、現代社会においても公務員にそんな悩みは発生しないことになりそうだがな」
う。言葉に詰まった僕に、班長が追い打ちをかける。
「そもそも、生きていることに意味なんてもんは存在しない」
悠然とちぎったナンをマトンカレーに浸す。
「長期的に見れば生物は皆死ぬ。一つの例外も無くな。子孫を作ったって無駄なことだ。この惑星はおろか、宇宙全体だっていつかは消えてなくなる。どんな努力も所詮は滅びの日を先に延ばしているだけなんだぜ」
班長は口にナンを含んでから、スプーンでカレーを一口足した。
「究極的には何も達成できない。そういった観点では、生きるという行為は無意味極まりない。だが、それでも生命は生き続けようとする。なぜだと思う?」
「さっぱりわかりませんね」
僕は半ば不貞腐れてそっぽを向く。すると、班長は意外なことを言い出した。
「呪いのせいさ」
「呪い?」
また妙なことを。そう思った僕に、班長は意外なほど真剣な声で付け加えた。
「産めよ、増やせよ、地に満ちよ、だ」
うん?
「それって、祝福の言葉じゃありませんでしたっけ」
確かそんな風に記憶している。だが班長は首を横に振った。
平然と、当たり前の事実を指摘するように。
「生きるという行為は必ずしも幸せを意味しない。権利と同時に義務を課せられた。そう考えると、結構性質の悪い呪いなんだぜ」
僕は二枚目の肉に取り掛かる。
「だとすれば、人口減少社会を目指す現代の人々は神の呪いを解いた存在ですか」
「祝福を棄てた、と表現してもいいけどな。まあ、言葉通り地に満ちた挙句に滅亡しかけたんだ。宗旨替えをするのも無理はない」
戦争の原因。その一つは間違いなく世界人口の過剰にあった。増え続けた人口に資源が追い付かず、人々はそれを巡って争った。呆れたことにその中で、争いに勝つために更に人口を増やす努力まで行ったのだ。
「ともあれ、生きていることに意味も理由もありゃしない。生きているから生きている、ただそれだけさ。神様の呪いのせいなんだから悩んでも無駄なこと。そう諦めた方が気楽だろ」
気楽。そうだろうか。僕は三枚目の肉で野菜を巻き、さっきよりゆっくりと咀嚼する。胃が満ちるにしたがって、やっと僕の心は落ち着きを取り戻した。
「呪いに塗れて生きていくだけじゃ、自殺したくなっちゃいますよ。少なくとも昔の人々はそれを祝福と感じられた分、前向きに生きいたんじゃないでしょうか」
「参考までに言っておくと、この国の自殺率は戦前の方が高い。まあ、それはともかくとしてだ」
ふん、と班長は息を吐く。
「言ってしまえば、その点については過去の人々の方が幸せだったと言いたいってことか?」
「ええ。現代人はどこかで道を間違えてしまったと言いますか、戦前の人々が持っていたプラスの部分。正しい生き方を失ってしまったという点も否定出来ないと」
班長は暫し考え込み、そして僕の前に置かれた皿を指さした。
「それ、美味いか? 豚肉の生姜焼き」
「ええ。悪くないですけど」
「ところでお前、本物の豚肉を喰ったことがあるか?」
僕は驚いて答える。湧き上がるちょっとした生理的な嫌悪感。
「まさか。そんなことあるわけないじゃないですか、気持ち悪い」
「だが俺は、その培養肉の方が「気持ち悪い」と呼ばれていた時代を知っている。そいつは科学的に言えば遺伝子操作をされた癌細胞の塊だ。細胞分裂の停止プロセスを経ないと、喰われた先の体内でだって増殖し続けかねない代物だぜ」
「安全に処理されているじゃないですか。そんな事故、年に数件程度しか発生しませんよ」
それに、と僕は反論した
「動物の肉を食べるってやっぱり抵抗ありますよ。生産のエネルギー効率が悪すぎますし。それに昔って抗生物質をガンガン使って、生き物自体を耐性菌の培養器状態にしていたんですよね? どう考えても、ホラーチックです」
無菌工場で生産された培養肉の方がずっと清潔で健康にも良い。
そんな当たり前の結論をぶつける僕を横目に、班長は余裕の態度でマンゴーラッシーに口をつける。
「現代人ならほぼ全員がそう答える。だが当時の人々にとって、培養肉ってのは危険性の分からない未知の食材だった。その点を割り引くと、忌避していたのもあながち不合理な行動じゃない。初期には事故が多発したことを考えれば猶更だ」
それは。そうだったのかも知れないけど。
「お前はそれを豚肉と呼ぶ。だが過去の人々は、そんなものは断じて豚肉ではないと言っただろう。同じ言葉で、実はまるで違うものの話をしているんだよ」
班長のスプーンが軽く僕に向けられた。
「お前は過去の人々が何を知り、何を知らなかったか。どんな世界でどんな意図を持って生きていたのかを十分に理解していない。個人的な感想を持つのは自由だが、その感想が真実だと思い込むのは危険な行為だからな」
口調こそ穏やかだったが、その言葉には紛れもない警告が込められていた。
「空想と現実の境に注意しろよ。自分の脳内で勝手に作成したイメージを現実そのものと取り違えたら、合理的な判断が出来なくなる。自分が知らない世界を語るときには、一定の謙虚さが必要なんだよ」
「僕としては、それなりに合理的に判断しているつもりですが」
少なくとも、知っている限りの知識では。
しかし、子供を諭すかのような表情で班長は淡々と語を継いだ。
「知っている全ての知識を使っても足りないことだってあるんだ。過去を理想化するのも、安易に断罪するのも同じように間違っている。念のため、覚えておけ」
話はそこまでだった。班長は残ったナンとカレーを勢いよく口に運ぶ。それに釣られるように、僕も定食を頬張り始めた。
言われたことはなんとなく理解出来る。おそらくはそれが正しいことも。
だけど救いは与えられない。少しぐらい夢を見たって許されるんじゃないか。
理不尽にも、僕はそんな不満を抱いてしまう。
無力感と、結局のところ自分があんな苦情に対応し続けなければならない現実。うっかりすると再び腹の底からストレスが湧き上がってきそうだ。僕は胃袋に重量物を詰め込み続けることで、なんとかそれを押さえつけようとする。
「少し気分転換をしてきます」
そう言って先に席を立った僕の手に、班長の視線が止まる。
「VR音楽か」
僕は私物のゴーグルをかざして見せた。
「班長はクラシック派でしたっけ」
「ああ、そいつはどうも苦手でな」
「歴史的に見れば音楽は一期一会。二度と同じ演奏が無いというのが自然ですよ」
ちょっとした腹いせに班長が使いそうな言い回しをしてみる。
「記録された音を繰り返し聞くなんて、せいぜいここ数百年の風習ですから」
期待に反して特段の反応は無かった。
班長はナンをちぎる手を止めないままに答える。
「別にジャズは嫌いじゃない。何と言うかな。どうもそのソフトは、誤魔化しが多すぎて気に入らん」
それは古い世代の偏見じゃないのかな。そう思ったけれど、口にはしなかった。
「特にそんなものは感じませんけど」
「俺に言わせれば音以外の効果に頼り過ぎだ。音楽自体で勝負する実力がなければ評価する気になれん。まあ、これも時代による感性の違いってやつか」
そして班長は、さりげない声で僕に告げた。
「さっきお前が相手をしていた女性だが」
「はい」
「あれはVR音楽の創始者の一人だぜ」
え? それは思いがけない情報だった。
「最初期の開発者だ。興味あるか?」
興味が無い、と言えば嘘になる。しかし。
僕の逡巡を無視して、班長は話を続けた。
「彼女の訪問回数は飛び抜けて多い。解決策が必要だ。検討のために個人情報を閲覧しても特におかしくはないだろうな」
その顔に堕天使の忠誠を試すような笑みが浮かぶ。
「お前の権限で申請すれば、きっと許可されると思うぜ」
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