第4話


―――――


 時間通りに到着した僕を待っていたのは、ごつい制服に身を固めた班長だった。

「おい、現場確認だと言っただろう。着替えてこい」

 そう言って傍らの更衣室を指さす。僕が話を理解するまでに、数秒かかった。

「あの、現場確認って……車で?」

「ああ」

「直接?」

「そうだよ」


 信じられない。本当にそんなことをやるとは。

「さすがに非効率過ぎませんか。現地にカメラぐらいあるでしょう?」

 それに車両を動かすぐらいならドローンを飛ばした方が早い。職員が移動して肉眼で見るという行為に一体何の意味があるのか。

「直接現地に行くとだな、物理的な影響力を即座に行使できる。現実世界において、こいつは無視できない重要な要素なんだぜ」

「しかし」

 反論しようとした僕を班長が遮る。

「そもそも車両を動かす許可は出てる。意味、分かるよな」

 僕はそこで黙るしかなかった。つまりは業務としての必要性を認められているということだ。一体どうしてそういう判断になるのかは理解出来ないが、ここでそれを言っても意味が無い。


「分かったらさっさと着替えて来い。時間が惜しい」

 急ぎますと答えて僕は更衣室に向かった。限界区域に立ち入る際は制服の着用が原則だ。こいつがまたやたらと手間のかかるシロモノで、僕は悪戦苦闘しながらなんとかそれっぽく身支度を整える。

「遅れました」

「ああ、遅い。練習しとけ」

 くそう。だったら最初から制服着用で現地訪問だと教えてくれればいいのに。

 班長と僕の相性は決して悪くない。専門職員である班長は業務知識も豊富で、学ぶべき点が多いことを認めるに吝かではない。経験を積ませるために色々と手配してくれていることだって理解している。しかし。

 わざと核心部分を伝えず、僕を混乱させて楽しむような癖があって困る。


「移動時間が無駄になりませんかね」

「安心しろ。ちゃんと回線は繋がるからな。到着まで車内で書類整理でもしていればいいさ」


 僕達の乗る公用車は小型バスほどのサイズだ。今回は後方にステーションユニットを牽いていた。

 席に座った僕は、指示通りAIによる予備審査を終えた書類をチェックする。

 ご想像のとおり、一般的な申請においてAIが行った判定を修正する必要などあるはずもない。書類のチェックと言っても、この行為は単に担当者が誰であったかの記録を残す作業に過ぎない。特記事項の無い案件はほぼ無条件で、備考が書かれたものは適当に流し読みをしてから承認する。疑問を感じた場合は過去事例との比較を検索。とは言え検索によって出てくる情報などAIはとっくに承知している。調べるのはあくまでも、僕自身の疑問を解消するためだ。

 完全に新規の、これまでに判例の無いような案件であればもうちょっと職員の出番が増えるのだが、幸か不幸かそういったケースはほとんど存在しない。率直に言ってかなり退屈な作業を、僕は黙々と進めていく。


 公用車は二十分ほどで生活区域との境を超え、限界区域へ入っていった。

 この先は行政がインフラ整備の義務を負わないエリアだ。ライフライン維持は個人負担。原則として新規の居住は許されず、住んでいるのは限界区域に指定される以前からの継続居住者だけ。そして、不法居住者の発生防止、継続居住者の状況確認などが僕達の仕事となる。


 念のため、継続居住者についてもう少し説明をしておこう。

実態を知らない人は継続居住者のことを「便利な生活区域への移住を拒んで山奥に住む変わり者」と考えがちだが、実際にはその大部分がごく普通の人々だ。

 住んでいる場所を見ればそれは一目瞭然。人里離れた一軒家、などというのは例外的な存在で、九割以上の人は生活区域から百メートル以内の場所に居住している。この程度なら普段の生活に不便を感じることはまずない。電気・水道などのインフラ継続にかかる負担も微々たるものだ。自然災害への対応で不安を感じる可能性も低い。


 彼らは地区割りの関係でたまたま限界区域に組み込まれてしまった人々だと班長は言う。

「そういった奴らは生活状況を把握するのも簡単だしな、あまり気にする必要もない。単に、住み慣れた家に居続けたいってだけだ」

 だから管理と言っても、やることはほとんど無いらしい。

「だが、生活区域から一キロ以上奥に居るような奴は要注意だ。それなりの主義主張があって、行政に不満を持っている人間がほとんどだからな。それこそ、受付の職員を何人も退職させるような奴らばかりさ」

 その説明に対し、僕は素朴な疑問を抱いた。

「VRネットさえあれば、住む場所は気にしないという人も居るんじゃないですか?」

 部屋に籠って生活するだけなら、山奥でも街中でも大差ないように思えるのだけれど。

「どこに住んでも気にしないという奴だったら、さっさと生活区域に移動するに決まってるだろ。何かと余計な手間のかかる限界区域に残る意味が無い」


 確かに。なんだかんだ言っても限界区域に居住するには様々な手続きが必要になるし、インフラも老朽化が進んでいることが多い。住む場所に拘りが無いなら、さっさとそこから出て行くのが自然というものか。実際、補償上乗せでの転居を見込んで、区域の指定を望んでいる人々も少なくない。


「GPS反応もダミーじゃなさそうだ。ちょいと前に通信の記録もある。在宅だな」

 班長がやけに嬉しそうな声で言った。

「GPSで所在が確認できるのに、わざわざ会う必要なんてあるんでしょうか?」

「偽装かもしれんからな。この目で確認するのが一番確実さ」

 わざわざ偽装をする人なんで居るのだろうか。そんな疑問を持った僕は、まだまだ限界区域の現実を知らなかったと思う。とは言え、班長の行動に問題を感じたこと自体は良い意味での常識的感性というやつで、今でもそれを貴重なものと信じ続けている。


 班長は家の目の前に公用車を停めると、素早く玄関へ向かった。僕が続くのも待たずにドアをノックする。冗談ではなく、本当に扉を叩いたのだ。

「申し訳ありません。限界区域対策課の生活状況調査です。ご協力願います」

 継続居住者は原則として対策課の調査を拒めない。そのため、僕達には居住者が使用している各種端末に強制割込をする権限が与えられている。

なのに班長は逆の手順を選んだ。電子よりも物理を優先したのだ。

 数十秒後、通信機を介して応対が返って来た。

「何か御用でしょうか」

 ドアは開かない。班長はノックを続けた。物理のままで。

「生活状況調査です。身分証明は先ほど送信しました。開けて頂けますか」


 うーん、これは。相手もカメラで様子を確認しているだろう。そして、体格の良い班長が制服に身を包んで立つその姿は相当に威圧的だ。班長は声も外見のイメージにふさわしいものに変えていた。高圧的な大男が仕方なく丁寧さをつくろったような声。

 カメラの方向に顔を向けながらドアを叩き続ける。

「申し訳ありませんが、ドアを開けて頂けないと調査拒否の扱いになります」

 これじゃほとんど脅迫だ。居住者の逡巡を示す数秒間の後、ロックが解除された。程なく住人の男性が顔を出す。

 この付近は限界区域の指定を受けてから二か月しかたっていない。いきなりの訪問を受けたのも初めてなのだろう。気の毒なことに混乱し、すっかり怯えている。

「い、一体なにが」

「ご心配なく。ただの定期的な調査です」

 相手の上にのしかかるような態勢で、班長は気味の悪い猫なで声を投げかけた。

「何か、お困りのことはありませんか?」


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