第5話

―――――


「物理的な影響力って、そういう意味ですか」

 車に戻った僕は呆れた口調で言うしかなかった。正直、気分は良くない。

 当然だが、継続居住者の存在は僕達の仕事を大きく増やす。インフラ整備の義務が無いと言っても、権利の範疇に属する依頼は断れない。居住状況の管理もそれなりの手間だ。担当としては出来るだけ区域からの退去を進めたいし、それが州としての方針でもある。

 そこまでは理解出来るが、あまり品の良いやり方には思えなかった。


「訪問調査権の拡大解釈だと思います。あれじゃ、嫌がらせも同然ですよ」

「失敬なことを言うなよ。正当な公務を遂行しているだけさ」

 班長はしれっとした口調で言った。

「元々、限界区域の居住は制約だらけだ。この程度で音を上げるなら、とっとと生活区域に移転した方がいい」

「ですが」

 反論しようとした僕を制して、班長は続けた。

「言っておくぜ。軽々しく、相手が善良で無力な存在だと決めつけるな」

 軽いままの口調に、重い苦みが込められる。

「さっきも言ったろ。継続居住者はそれなりに狂った奴らばかりだ。こっちが本気で相手をしても勝てるとは限らないんだぜ……ああ、くそっ」

 次の訪問予定者が移動を始めていた。僕達を避けるかのように反対方向に向かって。

「またかよ。こいつはいつも直前になって逃げ出すんだ。どっかで情報漏れがあるな」

 成程。住民も住民で色々と対抗措置をしているということなのか。


それにしても情報漏れとは穏やかでない。僕は相手がどんな手段を使っているのかを聞いてみた。答えは意外に単純だった。

「いや、大抵はどっかにカメラを仕掛けているだけさ」

 限界区域内の道路は本数が少ない。やろうと思えば監視網を設定するのは簡単だ。電波を発した監視カメラの位置を逆探知することは可能だが、こちらが探し出す間に相手が予備を設置してしまうので、どこまでいってもキリがない。やるだけ無駄だから放置状態にある―――そんな説明を聞いて僕は笑ってしまった。物理的な行動の欠点という訳だ。


 やがて公用車は、生活連結道路から区域管理道路に移った。

 限界区域には、三種類の道路がある。一つは、生活区域連結道路。これは生活区域同士、つまりは市街地と市街地の交通を確保するための道路で、整備状況は一般の道と変わらないし、通行についても特段の制限はない。もう一つは区域管理道路。主に防災などの目的で限界区域内に確保される道路だ。水害、山林火災、病害虫の発生など、車両が入れなければ対処の難しい案件は多い。


 区域管理道路は一般車両の進入が制限される。また、古い道路を補修して騙し騙し使っている部分が多く、整備状況は良くない。必要性とコストの比較からどうしても扱いが後回しになってしまうのだ。継続居住者はほとんどが上記二つの道路に面した場所に住んでいる。因みに三番目は継続居住者が個人で整備する私道だ。もっともそんなものを作るのは、それこそ余程の変わり者ということになるが。


 道の左右に伸びた木々の枝がトンネルのように道を覆っていた。陽光の当たる道路は植物にとって格好の餌場だ。隙あらばそこを占拠しようとする緑の生き物達に対して、伐採のペースが追い付いていない。


「ところで、あの白い線は何ですか」

「ん? ああ、センターラインのことか」

「何の意味があるんでしょう」

 僕は道の中央に引かれた白い線を指した。そして、描かれた幾何学図形と数字。なんらかの意図を感じさせるが、それが何であるのかが分からない。

「自動運転が一般的で無かった頃の名残さ。今じゃ、無用なものだ」

 班長の説明は説明になっていなかった。用途がさっぱり分からず混乱したままの僕を放置して、班長はしみじみとした声を出す。

「限界区域ってのは実に秀逸なネーミングだな」

 話の変化に、僕はついていくことができない。

「ここが上限。出来ることの限度。そして、そいつは徐々に後退している」

 軽い笑いが聞こえた。

「人間の世界は縮小しているんだよ。俺たちはその最前線を見ているんだ。その意味では、実に遣り甲斐のある仕事だな」

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