ミミナグサのせい


 ~ 一月二十五日(金) 2.0 対 1.2 ~


   ミミナグサの花言葉 無邪気



 本日も、髪に揺れるは白い小花。

 そんなシリーズ第三弾は。


 ネズミノミミとかホトケノミミとか。

 そんな異名を持つミミナグサ。


 花びらが縦長のハート型だからこんな名前が付いたのでしょうけれど。

 俺には狐の顔に見えます。


 そんな賢い狐のような。

 涼しく凛々しいご尊顔。


「旦那様に言われまして、私がチョコレートを持ってまいりました」

「だからちがうの~! 今日じゃないの~!」


 これ、まずはお礼でしょうに。

 気をつけなさいよ。


 君がそうして正座させられると。

 俺もこうして連帯責任を負わされるのですから。


 冬の夕暮れ。

 底冷えというものを体現した地べたに正座させられると。


 なぜか昔の悲しい記憶が呼び起こされる。

 そんなお花屋の店先で。


 叱られても構わずに今日じゃないのと繰り返し。

 地面を叩き続けるのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、耳の下にリーススタイルにして。


 その中に揺れるミミナグサを見たおばあちゃん。

 キツネの目をさらに吊り上げて。

 いつもの凛としたお声で。

 お説教を開始します。


「穂咲さん。耳菜草など活けて、私の言葉も聞かないおつもりでしょうか?」

「そんなことないけど今日じゃないの……」


 とうとう、目に涙など浮かべていますけど。

 そんなに悔しがることないじゃないですか。


 とは言え。

 おばあちゃん、気になることをおっしゃいましたね。


「ミミナグサなのですから、耳はたくさんついていますけど」


 今日一日、穂咲のことを。

 耳の下にも耳があるとからかい続けたのです。


「なんと学の無い。道久さん、そんなことでどうなさいます。じきに高校三年生。一般的な教養はここで修め、後は専門的な知識を学ぶことになるのですよ?」


 耳の痛いことを言いながら。

 おばあちゃんは、和歌などそらんじるのです。



 つめどなほ みみな草こそ あはれなれ

 数多あまたしあれば きくも混じれり



 ……初めて聞きましたが。

 有名な歌なのでしょうか。


 そんなことを考えている間にも。

 お説教が、歌の意味を理解できていることを前提に進んでいくのですが。


「おばあちゃん、ストップ。お話の前に、歌の意味を教えて?」

「まるきり分からないの」

「なるほど確かに。これは私が浅慮でした」


 おばあちゃんは自分にも厳しい。

 今のは自分の過ちとばかりに正座なさるものですから。


 我々がその下に身を置くには。

 手をついて平伏しながらお話を伺うより他にすべを持ちません。


「こちらは平安時代、枕草子に書かれたものです」

「知ってるの。それ、むらさきし」

「清少納言ですよねもちろん知っています」


 やめて。

 これ以下の姿勢無いですから。


 俺のフォローに深々とため息をついたおばあちゃん。

 今の失策については。

 一連のお説教コースの後。

 デザートのように追加されることでしょう。


「じゃあ、紫式部って誰なの? 遣隋使?」


 ……お食事の後、お土産まで確定です。



 おばあちゃんは咳払いで穂咲の無駄話を止めると。


「私の解釈が混ざります。お二人は、原文をご自分の目で見、ご自分の心にてお感じなさい」


 そう前置いて。

 凛としたお声で説明を始めてくれました。


「耳菜草を摘んで、清少納言に見せに来た子供がありました。そこでその子に花の名を訪ねたそうです。ですが、一緒にいた子らも含めてお答えをいただけません。その子は花の名も知らずに摘んできたのですから。すると、そばにいた別の子が、みみな草と教えてくれたので、清少納言はこれに冗談で答えたのです。耳の無い草を持って来たので、問いが聞こえなかったのねと。ですがこれに笑ってくれた子はいなかったようです」


 ……おばあちゃんのお話。

 イントネーションが耳になじむと言いますか。


 内容も楽しいのですが。

 聞いていると、ウキウキとしてくるのです。


「そして次に菊を摘んできた子供がおり、先ほどの歌を胸に詠んだのですが、その冗談も彼らには分かってはもらえぬやもと思い至り、伝えることをやめた、というお話です」

「なるほど。……えっと、どんな歌でしたっけ?」

「つめどなおみみなくさこそあはれなれ、あまたしあればきくもまじれりなの」


 ……え?

 一発で覚えたの?

 相変わらず気味が悪いですね。


「さすが穂咲さんですね。では、もう意味は分かりますね?」

「あいやまったくもって」


 そして相変わらずほっとしますね。


「……道久さんにも解釈は敵わぬものでしたか?」

「えっと。聞くと菊がかかってるんですよね? 誰に質問しても分かってくれないのは耳の無い花を持ってきたせいだけど、子供が沢山いたから一人は聞いてくれたってこと?」

「なるほど。私の解釈とは異なりますが、おおむねその通りです」


 おお。

 そうなると、おばあちゃんの解釈とやらも聞いてみたいのです。


 期待を込めた目で見つめると。

 おばあちゃんは首を横に振ります。


 そして時折見せる。

 優しい笑みを頬へ浮かべて。


「……純粋に心情を詠った物や情景を表した名歌も数ありますが、歌には裏の意味が隠されていることが多くございます。そこに用いられる技法のひとつがかけ言葉というものです」


 これは授業で習ったな。

 だから一つの歌にいくつもの訳が生まれて。

 我々学生を苦しめるわけなのです。


 歌に真の意味があるとするなら。

 それを読み解くには読み手の心情や境遇を知らねば足りないのです。


「なるほど。納得なのです」


 先ほどの歌が、日常に起きた事件を表しているだけではないと。

 おばあちゃんは解釈なさったようです。


 一体、どこがかけ言葉になっているのやら。

 穂咲もしきりに首を捻っておりますが。


「……君に分かるはず無いでしょうに」

「そうなの。問い詰めても、つめどなおだからね? あれ? お花を摘んでるの? まあそれは置いといて、耳の無い草だからあわれなの?」

「耳がいくつあってもわかりませんよその説明じゃ。何が言いたいの?」

「うまいことお話がいくつも盛り込まれてるの。三十一文字なのに」


 なんだ。

 分かっていたのですね。


 その中から、学者さんたちが正しい解釈を探り当てているのでしょうね。


「……でも、あたしにはなんだか、子供と遊びたがってる気がするの」

「どなたが?」

「むらさきし」

「清少納言です。そして、勝手に解釈しちゃダメです。正解があるのですから」


 穂咲を叱りつけた俺を。

 今度はおばあちゃんが叱りつけます。


「何を言うのです。私は私の解釈を気に入っておりますが、それは手前に勝手なものに他なりません」

「え? じゃあ、正解とは違うのですか?」

「正解など、知る者がいたらそれはご本人だけでしょう」

「いやいやいや。学者さんとかが現代語に訳したものがありますよね?」

「それは、学者様個人の勝手な解釈に他なりません」

「呆れた!」


 おばあちゃんにあるまじきダイタンな発言に目を丸くしていると。

 涼しい顔で続けるのです。


「何を言います。私の解釈の方が、教科書のそれより私の好みに沿います。私はこちらに、子らと仲良く時を過ごしたいとの気持ちを汲むものです」


 え? どこが?


 無邪気に微笑んでいらっしゃいますが。

 おばあちゃんにかかれば。

 偉い先生たちも形無しです。


 いえ。


 歌の通り。

 沢山の聞き手がいれば。

 一人くらい真の意味にたどり着くであろう。


 この歌自身がそう語っているということなのでしょうか。


「……あれ? そういえば」


 俺が穂咲の顔を見ると。

 聞きたいことが伝わったようで。

 即答してくれました。


「おばあちゃんの名前、おきくちゃんなの」



 数多しあれば きくも混じれり。



 俺には『きく』という言葉に。

 時代を越えて。

 三つ目のかけ詞が生まれたように思えたのでした。


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