第5話
勝敗はあっさり決まった。
とは言っても、おおよその結果は分かっていたのだが。
「俺の勝ちだな」
勝ち誇る俺に汐音が肩をバシバシ叩く。
「ズルイよー!だってキミ、目がいいんでしょ?私なんか片目しか見えないんだから、ハンデくらいくれたっていいのに!」
そう言って汐音はオッドアイの左眼を指さす。
夕陽のようなオレンジ色の左眼。
綺麗な色だがそこに透明感はなく、その瞳は明らかに濁っている。
このオッドアイは昔からで、本人曰く『生まれつき』らしい。
「今さらすぎだろ。それに、そもそも勝負を持ちかけてきたのは汐音じゃないか」
汐音の抗議をバッサリ切り捨てた俺は、汐音に向かって手を差し出した。
「じゃあ、約束な。勝負に負けたんだから奢ってもらおうかな」
「んーまぁ負けちゃったしね。何か飲み物取ってくるよ」
頷いた汐音は立ち上がると、軽くスカートについた汚れを払う。
「飲み物、何がいい?」
「何でもいいよ。汐音に任せる」
「了解、それじゃあ待っててね」
そう言うと汐音は走って丘を駆けていった。
「そんな急がなくてもいいのに」
あっという間に姿の見えなくなった彼女を見送りながら、苦笑する。
正直、好きな飲み物はある。
でも言えなかったのだ。
『こういう飲み物が好きなんだ!』って、初めて知ったような反応をされるのが辛いから。
「昔の汐音だったら知ってるんだけどな……」
あまり記憶喪失を気にしていない汐音に、昔の記憶を強要させるのはよくないのかもしれない。
頭では分かっている。
だが――
「やっぱり、忘れられたほうは辛いよ」
思わず呟く。
一緒にいればいるほど、あの頃の彼女はもういないんだと落胆する。
ずっと待ち続けて、ようやく会えたのに覚えてないなんて。
この複雑な気持ちのやり場が分からない。
「せめて、名前だけでも思い出してくれたら……」
無性に寂しくなって、膝を抱えてうずくまる。
すると突然、頬にヒヤッとした感覚を覚えた。
「うわぁっ!?」
見れば汐音が飲み物を片手に笑っている。
「ぼーっとしちゃってどうしたの?らしくないよ。」
「いや、ちょっと考え事。何でもないさ。」
-考え事の原因が汐音だなんて、本人には言えないな。
モヤモヤしていた気持ちを振り払って、汐音から受け取った飲み物を開けようとする。
そして、ここで気づいた。
この飲み物は-
「あれっ、これってもしかして炭酸水!?」
「そうだよ、キミが一番好きな飲み物。あれ、それじゃないほうがよかった?」
不安そうな汐音に俺は首を振る。
「いや、そんなことない!でも、何で炭酸水が俺の好物だなんて知ってるんだ?」
俺は記憶喪失になった汐音に、一度も好物のことを喋っていない。
それが何故――
「だっても何も、言ってたでしょ。『天体観測の時は炭酸水に限る』って。」
断言する汐音。
しかしすぐにしどろもどろになる。
「あれ、言ったっけ?うーんちょっと朧気。何となくそんな気がしたんだけどなぁ……?」
眉をしかめて悩む汐音に答える。
「確かに言ったよ。でもそれは、汐音が記憶喪失になる前の、それこそこの地図を作った時の話だ」
そう、昔確かにそう言った。
それを思い出したということは――
「汐音、もしかして少しだけ昔のことを思い出した?」
「いや、思い出したわけじゃないみたい。霧の向こうを見ているような……何かはっきりしないや」
「そっか……」
一瞬だけ期待してしまったことを後悔する。
ただでさえ、何一つ思い出せていない状態だ。
こんな簡単にポンと記憶が戻ってくるわけもない。
汐音は記憶のことをさして気にする風でもなく、手に持ったビンを開けた。
「ほら、そんなことより飲もうよ。せっかく冷たいのに、ぬるくなっちゃうよ?」
「あぁ……そうだな」
促された俺は、炭酸水のビンを開けて一口飲む。
その様子を見て微笑んだ汐音は、飲む手を止めると空を仰いだ。
「星座探し、面白かったなぁ。……気づいたんだけどさ、キミの作った星座って魚ばかりだよね。シャケにマグロ、カツオ、イカ...全部そうだよ」
汐音に言われて彼女の手から地図を取ると、それを広げて確認する。
確かに俺が考えた星座は魚ばかりだ。
恥ずかしくて頬が熱くなっていくのを感じながら、必死で弁明する。
「しょっしょうがないだろ!昔は漁ばっか連れていかれてたから、魚の名前しか知らなかったんだよ」
「あ、そうか。お家は漁師さんなんだっけ?」
「まぁな。必要最小限だけ獲って、慎ましく生活してるよ」
俺は頷く。
島という閉鎖的な環境で生活している以上、家の職業も限られるものだ。
俺は地図を広げたまま、今度は汐音の作った星座を見た。
「それに比べて、汐音はお伽噺のものばっかだよな。王冠とか、馬車とか、箒とか。やっぱりお伽噺が好きだから?」
「えへへ、そうなのかも。……って言っても、読んだ内容は殆ど忘れちゃったから、今また読み返してるけどね」
笑いながら頭をかく汐音。
昔から『外の世界』に憧れていた彼女は、お伽話や伝承が大好きだった。
「今は何がお気に入り?」
「うーん今はねぇ...遠い昔にいた伝説の龍の話とか!あとあと、願い事を叶える千年桜の話とか!!」
目をビー玉のように輝かせて喋り始める汐音。
だんだん話が加速し、止まらなくなってくる。
――しまった、余計なスイッチを押した!
激しく後悔したが、もう既に遅かった。
俺が相槌を打つ間もなく、はしゃぎながら話し続ける。
意識が話から遠のいていく中、ふと思い出す。
――昔もそうだったな...。
軽率に伝承について聞こうものなら、朝まで語り明かす勢いで、ずっと聞かされたこと。
その時の汐音は、とても生き生きして楽しそうだったこと。
昔の汐音の姿が重なって、思わず「フフフッ」と笑う。
俺の笑いに気づいた汐音は、話す手を止めて首を傾げた。
「どうしたの?今の話、そんなに面白かった?」
「いや、違うんだ。昔も今も汐音は変わらないなって」
――そう、例え記憶がなくたって汐音は汐音なんだ。
俺のこと、昔のこと。
全部忘れられてしまったことは事実だし、きっとこれからも辛く思い続けるだろう。
でも、会うこと自体が絶望的だった汐音とこうして会えて、また遊んでいる。
今、過ごしている時間が奇跡なんだ。
「そりゃあそうだよ、私は今も昔も『私』だよ」
「記憶ないのに?」
「もちろん。記憶がなくなったって、私という存在は揺るがないのだ!」
両手を腰に当てておどけたように言った汐音は、空を見上げると声をあげた。
「あっ流れ星だ!」
「えっどこ!?」
「ほら、真上だよ真上!」
言われて上を見れば、真っ暗な夜空に光が流れている。
それも一つだけでなく、幾つもの流れ星が。
「そういえば今って、流星群の時期だったっけ?」
首を傾げる俺に、汐音も「どうなんだろう?」と呟く。
しかしハッと顔をあげると、俺の肩をガクガクと揺すってきた。
「ねぇ、そうだ願い事!早く願い事を言わないと終わっちゃうよ!!」
「あっ……そうか!」
慌てて両手を合わせて、思いついた願い事を3回心の中で唱える。
隣では汐音も目を閉じて、願い事をしている。
しばらくの沈黙のあと、汐音が尋ねてきた。
「キミは何をお願いしたの?」
「俺は豊作祈願と...あと汐音の記憶が戻りますようにって」
俺にとってはどちらも切実な願いだ。
願いを聞いて、汐音が優しく微笑んだ。
「そっか」
「それで汐音は?何を願ったんだ?」
「んーとね……内緒」
人さし指を口に当てて悪戯っぽく笑う汐音。
想定外の返答に俺は思わず叫ぶ。
「えーっ、なにそれ!?俺だけに言わせといてズルいぞ!」
「えへへ、だって私も言うなんて一言も言ってないもん」
あまりにくだらないやり取りに、二人して笑い合う。
昔も今も、俺達は幼馴染みなんだ。
例え遠く離れ離れになっていたって。
昔の記憶がなくたって。
笑い合う俺達の上を、流星が優しく撫でるように流れて消えていった。
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