第3話

「忘れちゃった、ごめんね?」


開口一番、彼女は容赦なく俺の淡い期待を叩き潰した。


「ですよねー……」


俺はガックリと項垂れる。

分かってはいた、だが実際に言われるとなるとダメージが大きい。


「そんなガッカリしないでよ。私が覚えていないのは、いつものことだよ?」


からっと笑う汐音。

彼女は、自分がさり気なくとんでもない事を言っているのに気づいてるのだろうか。


「覚えていないってあのなぁ、落ち込めとは言わないけど、少しくらい思い出す努力をしてくれよな?」


俺と汐音は、この島に暮らす唯一の幼馴染みだ。

昔は毎日のように顔を合わせ遊んでいた親友だったのだが、10年前のある日、汐音は忽然と姿を消した。


それは何の前触れもなく、唐突に。


突然失ったありふれた日々を、幼馴染みを、島民に『死んだ』の一言で片付けられた時には酷く憤慨したものだった。

信じられなくて、ずっと何年も狭い島の中を探し続けた。


だが汐音は見つからず、それから10年。


諦めかけていたところに、彼女はひょっこり帰ってきたのだ。

記憶をまるごと何処かに置いてきて――


「だってしょうがないよ、記憶なくしちゃったんだもん。まぁ、思い出せたらそれが一番いいんだけどね」


汐音はゆるりと首を傾げる。

蒼とオレンジのオッドアイに、サラサラと風に靡く水色の長髪。

姿形は面影を色濃く残しているのに、あの頃の彼女はもういない。

何も記憶が残っていないのだから。

島のことも、遊んだ日のことも、幼馴染みのことも、何も――


「で、それは昔のキミと私で書いたものなの?」


星座の地図を見て汐音が尋ねる。

彼女は俺をあの頃みたいに『夏芽』とは呼ばない。

俺自身が教えていないんだ。

自分が忘れられてしまったことを認めたくなくて――

チクリと心が痛むのを感じながら、答える。


「そうだよ。幼い頃二人で、一緒に『星座開拓』をしたんだ」


思い出した今なら、あの日のことが鮮明に分かる。


まだ、汐音が行方不明になる前-つまり、彼女にまだ記憶があった時。

二人で自分たちだけの新しい星座を作ろうって言って、天体観測をした。

だいぶめちゃくちゃな星座を作った気がする。

星を模写して、作った星座を書き記したもの-それがこの地図だ。

宝の地図とは大げさだが、幼心ながらそれだけ星空が綺麗で感動したんだ。


「そっかぁ」と言いながら、汐音は星座図をしげしげと眺める。


「見た感じ、変な星座ばかりだね。シャケ座とか、コップ座とか」


「しょうがないさ。子供の思想なんてそんなもんだろ?」


首を振る俺に、汐音が「またまた」と茶化すように言う。


「そんなこと言って~。今だって子供じゃない」


「なっ……そんなことない!今はもう大人だぞ」


「ほら、そうやってムキになっちゃうところがまだまだ子供だよ」


「ぐっ……」


――汐音に言葉で負けている……。

ぐうの音も出ない俺に汐音はクスクス笑うと、提案を持ちかけてきた。


「ねぇ、今日の夜に天体観測しようよ」


「夜に?」


「そう、せっかく見つけた『地図』なんだしさ。自分達で作った星座を探してみたいなぁなんて」


「なるほどな。うん……それはいいかも」


汐音の提案に賛成しかけたところで、あることを思い出す。


「あ……でも今日、夜にかけて大雨が降るって予報だったんだっけ」


空を見れば、どんよりとした雲が垂れこめている。

雨が降るのは時間の問題だろう。

汐音が空を見上げてのんびり呟く。


「確かに雲が多いねぇ。今にも雨が降りそう。――でも大丈夫、夜には晴れるよ」


「いやいや!どう見ても無理だってこれ!」


俺は慌てて曇天の空を指さす。

しかし汐音は薄く笑ったままだ。


「だから大丈夫だってば。夜には雲も晴れて、絶好の天体観測日和になる。信じてよ。ね?」


不思議な光をたたえるオッドアイの瞳に見つめられ、俺はゴクリと唾を呑む。

そう、昔もあったんだ。

こうして、時々彼女が予言めいたことを言う時が。

そして、こういう場合はたいてい――


「……分かった。じゃあ、待ち合わせは?」


「夜空のよく見える丘に、深夜1時でどうかな」


いつもと変わらない無邪気な笑顔で、汐音は微笑んだ。

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