第2章第7話 どうして血なんかつくの!?

 わたしが勤務する店は、基本的には一つだけど、他店舗に応援に行くときもある。急な欠員が出た場合もあれば、新しい人が入らないために、慢性的に欠員である場合もある。慢性的な欠員!? なにソレ! 早く人を採用してよっていう話だ。


 その日、入ったのは、その慢性的な欠員がある店舗で、わたしと同期入社の奥村さんという子がいるところだった。この子は、しょうもない社員が多い中で、かなり話せる子で、いつも仕事が組めたら、どんなにか仕事上のストレスが減るだろうと思うような子だった。まあ、あっちもわたしのことをそう思ってくれているかどうかは知らないけど。


 仕事に命を賭けているという風でもないのに、わたしが知っているどの社員よりも仕事をきっちりとこなす。だからといって、コミュニケーションを取らないってわけでもなくて、ちょこちょこと話はする。その話の中に、人の悪口が無いのがよかった。人の悪口って聞くだけでうんざりするけど、もっとうんざりするのは、人の悪口をわたしに言う人は、わたしがいないところでは、わたしの悪口を言っているに決まっているということだ。そんな人と、どうしてこのわたしが話さないといけないんだろうって思ってしまう。わたしは、自分自身の価値を高く見積もってはいないけれど、安売りする気は毛頭無かった。


「原川さん、これ、血じゃないかな?」


 その日、工場から仕上がってきたワイシャツの仕上がり具合をチェックしていたときのことだった。あらかじめ断っておくけれど、普段は、ワイシャツの仕上がり具合のチェックなんてしない。膨大な点数のワイシャツを一枚一枚チェックしていたら、それだけで、一日の仕事が終わってしまう。その日は、たまたま客が少なく時間があって、たまたまワイシャツの点数がいつもよりも少なく労力もかからないようだったから、他にすることもないのでしていたのだった。


 奥村さんは、透明なビニールで包装されているワイシャツの、その襟のあたりにある小さな染みを、指差していた。確かに、黒ずんだ血のように見える。破かないように注意して包装を取り払ってみると、それはいっそう血のように見えた。他のワイシャツも調べてみたところ、さらに二点見つかった。


 どうして血なんかついているんだろう。ワイシャツはちゃんと水洗いしているのだから、仮に血が付いたシャツだったとしても、こんなにはっきりとは残っていないはずだった。そもそも、血液が付着した品物を受け付けることはない。当たり前。


「クリーニングが終わったあと、ビニールで包装される前についたってことになるね」


 わたしが自分の推理を話すと、奥村さんは思案げにうなずいて、


「とりあえず、工場に電話してみます」


 そう言って、備え付けられてある店の電話を手に取った。その間、わたしは、彼女が電話をしているのを、学校にお休みの電話をしている母親を見る子どものように、ただ見ているのもバカバカしいので、スマホで血の部分の証拠写真を撮ったあと、ティッシュに水をつけて、その血らしきあとを軽くこするようにしてみた。すると、あら不思議、魔法のように、血の跡が消えてしまった。そのあとに、ドライヤーで軽く乾かすと、血の跡がついていたなんて、まったく分からないくらいになった。


「クリーニングしたあとの行程で、工場の人が手を怪我して、その血がついたんじゃないかってことでした。他にも同じようなことが起こっているかもしれないので、マネージャーに言って、全店舗に連絡するようにするって」


 電話を終えた奥村さんが報告してくれた。わたしが、


「見て見て、血の跡、分からないくらいに落ちたよ」


 わたしの成果を報告すると、奥村さんは驚いたような顔をして、


「今から、お客さんに連絡して、事情をお話しして、工場に再出ししようかと思っていたんだけど」


 と思案げな目をした。


「綺麗に落ちたからいいんじゃない?」


「うーん……」


「それに、その客が、今日引き取りに来るつもりだったらどうするの? 明日来ていくワイシャツがないから、どうしても今日引き渡してもらわなければ困るとか言われたらさ」


 これは冗談事じゃなくて、むしろ、引き取りに来る客の中には、そういう風に主張する人が数多くいる。断捨離がブームだからって、そこまで、徹底的に無駄な衣類を持たなくすることないのに。


 奥村さんは、根が真面目なので、しばらく迷っている風だったけれど、


「……じゃあ、今日引き取りに来られたらお渡しすることにします。もし、今日来なかったら、明日の朝に工場に出して、夕方に受け取ることにします。このお客様がいらっしゃるのは、だいたい仕事終わりみたいだから、今日これから来なかったら、明日の夕方までは余裕があるので」


 とレジで客が店に来た履歴を確認してから、言った。


 結局、その日、その客は来なかった。


 奥村さんは、安心したようだった。

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