第2章第5話 問題はすぐに処理すべきでしょ?

 こたつぶとんを持ってきた客がいた。60歳くらいの女性なんだけど、


「ここね、ここ、ちょっと見てもらえる?」


 と言って、こたつぶとんの一角を指差すので見てみると、糸がほつれたようになっていて、それが20cmくらい、びよーんと伸びて出ている。


「どうしたんですか、これ?」


「プロでも分からない?」


 プロと言われても、わたしはクリーニングの受付で、こたつ布団の構造や破損したときにどうなるかなんてことまでは知らない。


「クリーニングお願いしても大丈夫かしら」


「分かりません」


 それを決めるのは工場の仕事。とりあえず、わたしは、


「お預かりして、それで、工場長に確認してもらいます。クリーニングできる状態ならしますし、できない状態であれば、その旨ご連絡するということにさせていただいてよろしいでしょうか?」


 そう答えた。


「それでお願いするわ」


 そのこたつぶとんは、その日の内に工場に送っておいた。


 それから一週間ほど経った日のこと、休日をはさんで出勤したわたしは、訳の分からないメモを見た。昨日のシフトの人が置いていったものだ。


「こたつぶとんですが、工場に送ったところ、工場長から、これ以上ひどくなる可能性があるからクリーニングしない方がいいということでした。しかし、手違いでクリーニングしてしまったそうです。その件をマネージャーに電話したところ、受け付けたのは原川さんなので、原川さんからお客様に電話をしてもらうようにとのことでした」


 というもの。うーん……意味不明すぎる。とりあえず、マネージャーに電話したところ、まるでそのメモを読み上げているかのような、ほぼ同じ説明をされた。


「あのー、昨日の時点で分かってたんですよね、こたつぶとんをクリーニングしたことは」


「え、ああ、そうだね」


「じゃあ、どうして、昨日お客に電話しなかったんですか?」


「いやあ、原川さんが受け付けしたから、受け付けした人から電話した方がいいと思ってさ、はは……」


「それで、そのこたつぶとん自体はクリーニングした結果、大丈夫だったんですか?」


「それが分からなくて」


「分からない!?」


「もう袋に入れてしまったからさ」


 こたつぶとんを入れるビニール袋はピッチリとしたもので、一度出したら、また工場で詰めてもらわなければいけない。もちろん、また詰めればいいだけの話だけど、その手間を惜しんでいるのだ。


「そっちに送られているはずだから、頼むよ」


 ようやく話が見えた。つまり、客に黙って勝手にクリーニングしてしまって、しかも物の状態が分からないなんていうバカみたいな事態について、クレームを受けたくなかったんだ。


 受け付けたのがわたしだって? それが何だって言うんだろう。客から見れば、わたしでも他の人でも、同じ店のスタッフだ。現にわたしだって、同僚が受け付けたクリーニング品に関して、客に電話したことなんかいくらでもある。わたしは、昨日店に入っていたレギュラーパートの顔を思い浮かべた。別所さんだ。外国人の対応も嫌だし、他人が受付した人への対応も嫌。いいご身分だった。


 マネージャーもマネージャーだった。こういうトラブルのとき責任を取るんじゃなければ、他に何をすることがあるんだろう。シフト作りも遅いのに。


「そういうことで、頼むよ、原川さ――」


 腹が立ったわたしは、電話をガチャ切りした。その同じ電話で、客に連絡を取る。わたしは正直に話した。そうする以外、何ができる?


「あら、そうなの……それで、大丈夫だったの?」


「大丈夫だとは思うんですが、分かりません」


「そう……じゃあ、夕方くらいにお店に伺うわ」


 保留すると言ったことを守らずに勝手にクリーニングして、物の状態も分からないなんていう法外な話、ちょっとくらい文句を言ってもいいところだけど、特に文句らしい言葉は無かった。でも、大人しい人の方が怖い。いざ店に来たら、怒濤のごとく言い出すかもしれない。そう思っていたけど、カウンターの上に置かれたクリーニング品を見た客は、


「ここで開けるわけにはいかないのよね?」


 もの静かな調子を崩さなかった。


「すみません。開けるともう詰められないんです」


「どうして糸が飛び出すのかは、やっぱり分からない?」


「分からないみたいです」


 あれから工場長に電話して聞いたことだった。


「そうなの……じゃあ、まあ、しょうがないわね」


「他のところだったら、分かるかもしれませんよ」


 わたしが言うと、彼女は、ぷっと噴き出して、


「他のクリーニング店を勧めるの?」


 おかしそうに訊いてきた。


 うちの会社では分からないのだから、知りたかったら他社に行ってもらうしかないっていう当然の理屈だけど、何か変かな。


「ふふっ、いいわ、別に。もう寿命かもしれないしね」


 そう言うと、老婦人は店を出ようとしたので、わたしは、外に停められた車まで、こたつぶとんを運んでやった。


「ありがとう」


「どういたしまして」


「また来るわね」


「お待ちしてます」


 わたしは店に入って、嫌だけど、事の顛末を、マネージャーに報告してやった。


「やっぱり、原川さんが対応した方が、うまくいったね」


 そんなことを言うものだから、わたしじゃなくても、誰でも同じ結果になったはずだと言った。わたしは、特別なことはしていない。


「いや、そんなことはないって、やっぱり、原川さんはさ――」


 わたしはもう一度電話をガチャ切りした。

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