第2章第1話 半額券って意味あるの?

※主人公が変わります。これまでのお話で登場した、原川さん視点です。


 好きなことを仕事にしている人はどのくらいいるのかな。十人に一人? それとも、百人に一人? もしかしたら、千人に一人くらい? そのどれだって、構わない。だって、わたしはその一人になるから。なれるかどうか、じゃなくて、なる。そうじゃなきゃ、生きている意味が無い。人生に意味が無いなんてことになったら、目も当てられない。


 まあ、それでも、今すぐそうなれるわけじゃないってことは、昔、まだわたしが幼い頃、自転車に乗る練習をしたときから身に染みて分かっている。いくら、自転車に乗るって決めたって、実際に乗れるようになるためには、タイムラグがある。そのタイムラグをただ好きなことだけやって埋めるというわけに行かないのはシステムの問題だった。高校を卒業したわたしは、家庭の事情で働かなくてはいけなくて、そういうわけで、今


「原川さんは、何か意見はありませんか?」


 制服姿で、工場の会議室の隅に座っているということだった。窓からは、秋空が見えて、午前の爽やかな光が、室内に入ってきていた。


 今は月一の定例会議中だった。わたしが、勤めるクリーニング店のその業務に関して、集まった従業員たちが日頃気になったことを言う時間。


「半額割引券のことなんですけど、あれ、意味なさそうだから、やめた方が良くないですか?」


 わたしは言った。


 半額割引券というのは、店に顔を見せなくなった客を呼び寄せるためにまくエサだった。まれにしか来ない客をもう一度おびき寄せるために、「半額券が当選しました!」という葉書を送るのである。


「おいおい、意味がないってのは、どういうことだ?」


 会議の実質的なリーダーである部長が言った。50代前半くらいのダンディーな彼は、社長を差し置いて、実質的な経営の舵取りをしているということだった。社長は何をしているかと言うと、いろいろと趣味に凝っているということだった。この頃はまっているのはミニ四駆というおもちゃらしい。


「だって、あれ送っても、全然来ませんもん。来たって、それ一回だけで、あと、来ないらしいじゃないですか。だったら、あげるだけ無駄じゃないですか?」


 ふむ、と部長は押し黙った。


「あのですね、素朴に疑問なんですけど、半額券なんていう割引サービスは、よく来てくれる人にやるべきじゃないですか? もし、わたしが常連だったら、わたしの方がよく来てるのに、どうして、全然来ない人の方が優遇されるんだって思いますよ」


 室内はざわついた。そのざわつきの意味はイマイチよく分からないけど、わたしは、自分の意見がすごく真っ当であるという確信があった。


「一理ありますね」


 部長の隣で、40代前半の課長が言った。管理職唯一の女性である彼女が、部長と隣同士で座っていると、何だか中年の不倫カップルのように見える。


「一度、半額券の効果があるのか、リピート率をしっかりと取ってみるのもいいかもしれません」


 うむ、とうなずいた部長に、わたしは、


「みんなにいい顔しようとすると、返ってみんなから嫌われますよ。それと同じことじゃないですか?」


 と続けた。


「お、おいおい、原川さん!」


 部長のもう一方の隣に、30代前半の男性がいて、こっちはマネージャーだった。悪い人ではないけど、いい人でもない。長いものには巻かれろというのがモットーの無害な人だった。


「何ですか?」


「言葉使いというものがあるだろ」


「え、わたし、何か、日本語を間違って使ってましたか?」


「いや、そういうわけじゃないけど……」


 何が言いたいのか分からなくて、わたしはとりあえず、発言が終わったので、口をつぐんだ。その口が開いたのが、それからほどなくしてやってきた昼食の時間で、わたしは、頼んでおいたチキン南蛮弁当を食べた。会議の後には、近くの弁当屋に予約しておいた弁当が会社から振る舞われる。以前は幕の内弁当だけだったのけれど、一人一人違う弁当がいいって言ってみたら、あっさりと許可された。


 なんでそれまでみんな言わなかったのか、それもわたしには疑問だった。言うべきことを言わないで、「察してちゃん」をやって可愛いのは、せいぜい小学校低学年くらいのもんじゃないのかな。みんなもういい年なんだから、言いたいことがあれば言えばいいのに。まあ、でも、それもその人の人生だから、別にわたしが口出すことじゃない。わたしは自分の人生を生きるだけで手一杯だから。


 昼食後、わたしは、自分の店舗に戻った。これから仕事だった。店に戻るときに、車で戻るわけなんだけど、隣に同期入社の同僚を乗せた。足のない彼女を彼女の店に送っていくのだ。自分の人生で手一杯って言っても、まあ、そのくらいのことはできる。


「会議ですごかったね、原川さん」


 彼女――奥田さんは、言った。


「え、何が?」


 わたしが本気で分からなくて訊き返すと、半額券のことだった。


「でも、奥田さんもそう思わなかった?」


「わたしは……一度うちに通わなくなった人にも来てもらいたいと思ったから、半額券自体に効果が無くても、何かできたらいいなとは思う」


 それも一つの意見だと思うけど、わたしはピンと来なかった。何ができるかじゃなくて、何ができないのか、その方がもっと重要な気がした。人はあらゆることはできないからだ。でも、そんなことは言わなかった。理論は灰色っていう言葉がある。花の18歳同士で理屈っぽいことを言い合って灰をかぶってもしょうがない。わたしは、奥田さんを店に送り届けたあと、自分の店に戻った。

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