第25話 面倒な飲み会
「あー、メンドクサイ。あー、ユウウツ」
客が来ない暇な日のさらに暇な時間帯に、隣から遠野さんが、言った。遠野さんは、仕事に関することで不平不満を言ったことがない人だった。マネージャーなどに対する批判はするけれど、自分の仕事はきっちりとこなす。そんな人を嘆かせているのは、何なのかと言えば、
「飲み会なんて、参加したい人だけが参加すればいいのよ」
迫る暑気払いの件だった。数日後に、会社主催の飲み会が予定されていて、それは年2回あるもののうちの一つだった。夏と年末にそれぞれ、暑気払いと忘年会という名目で、みんなでお酒を飲むらしい。もちろん、未成年者はアルコールを摂取できないので、ジュースかウーロン茶でも飲んでいることになる。
わたしは、初参加なので、どういう具合のものか分からないわけだけれど、
「まあ、別にどうってこともないっちゃないんだけどさ……時間取って行くもんじゃないよ。その日、わたし仕事だしさ。仕事終わって、リラックスできる時間帯に、どうしてまた上司の顔見なきゃいけないの?」
とにかく、あまり楽しめるものではないらしい。わたしなどは、さらに酔っ払うこともできないわけだから、他人が酔っ払っているところを見せられ続けることになるわけで、そう考えれば、あまり楽しくなさそうな気分になってきた。
「具合悪いとか言って休んじゃおうかなあ」
遠野さんはそこまで言った。
その飲み会の話を、原川さんにすると、
「ただでお酒飲めるんでしょ、わたし、絶対行くけど」
楽しみでしょうがないという真逆の答えが返ってきた。
「でも、原川さん未成年だから」
「だからって、ずっと監視されてるわけじゃないでしょ」
「いや、見られてるかどうかの問題じゃないよ」
「でも、飲み会でお酒飲まなかったら、何してればいいの?」
まさに、それをわたしも聞きたかったのだった。
「……人間観察?」
「そんなことするなら、パンダでも見ていた方がマシだよ」
確かにその通りかもしれない。わたしは、二人で話でもしていることを提案したけれど、
「話なら今してるじゃん」
と大変もっともなことを言われた。
飲み会当日、わたしは、原川さんの車に乗せてもらって、会場入りした。車じゃ飲めないね、と言うわたしに、彼女は、
「運転代行っていうサービスがあるからね」
と答えた。どうにかして飲むつもりらしい。わたしは、帰りは親に迎えに来てもらうことになっていた。
店から近いところにある海鮮居酒屋で開かれた暑気払いは、特に何も問題なく進んだ。自己紹介あり、ゲームありで、わたしは、遠野さんの隣に座って、ウーロン茶を飲んでいた。問題が起こったのは、途中で社長が現われてからだった。社長は自分で持ち込んだウイスキーを主に管理職の男性と飲んでいたのだけれど、そのうちの一人であるマネージャーが、こっちに歩いてきて、わたし……ではなく、隣にいる遠野さんに、社長に酌をするように求めてきたのだった。
遠野さんは、露骨に嫌な顔をした。当たり前だ。飲み会っていうのはみんなが飲んで楽しむ場であって、接待の場ではないということは、今日初めて飲み会に出たわたしにだって分かることだった。
「綺麗どころがいないと、社長も寂しいからさ」
マネージャーは勝手なことを言っていた。社長が指示したのか、マネージャーの判断か知らないが、どちらにせよ、ロクでもないことで、当然断るべき所だけれど、相手が社長がらみだと、普段はっきりとしている遠野さんも二の足を踏んでいた。
「わたしがしましょうか?」
隣から、わたしは割って入った。すると、マネージャーは嫌な顔をしつつも、遠野さんがなかなかなびいてくれないためか、
「そうだな、この際、キミでもいいか」
と失礼極まることを言った。わたしは立ち上がりかけたけれど、隣から遠野さんが、
「わたし行きます」
と言った。彼女の目を見ると、仕方なさそうに微笑んでいた。わたしは、マネージャーと、これを野放しにしている社長に対して、猛烈に腹が立った。
遠野さんが中腰になったそのとき、
「マネージャー」
にぎやかな宴会の席に、すっきりとした声が通り抜けた。
それは、近くで、管理職の中で唯一の女性である課長と飲んでいたうちの店長の声だった。店長は、マネージャーを見据えると、
「うちの女の子たちは、コンパニオンじゃありません。そういうことをさせたいなら、そういうお店に行ってください」
とはっきりと言った。その声は決して大きな声ではなかったけれど、不思議に場にしみいるような声で、一瞬、わたしの周りがしんとなったあとに、その通り! という歓声が上がった。
「マネージャー、それセクハラですよ!」
「パワハラじゃないの!?」
「遠野さんっていうところが、いっそういやらしいよね!」
「顔からいやらしさがしみ出てますよ」
「お酒がマズくなるわ」
「ていうかさ、もう飲み会自体やんなくてよくない?」
「飲んでるときまで、なんで上司の機嫌取んなきゃいけないのよ」
「わたしたちの機嫌取りなさいよ! これもともと、従業員の慰労会でしょ!」
「マネージャー、いい加減、まともなシフト出してよ!」
以前に同じことをさせられた人がいたのか、関係ないことも含めて、ほとんど怒号になった。
そのとき、パンパンと手が打ち鳴らされて、店長の隣に座っていた課長が立ち上がった。40代の後半くらいの彼女は、凜とした趣がある人で、
「全くもってみんなの言うとおりだと思うわ。そういうわけで、今から、社長と部長とわたしとマネージャーで、みんなに一杯ずつ、お酌をしたいと思います」
そんなことを言い出したものだから、管理職連は、ぎょっとした顔をした。
「お、おい、おれもするのか?」
騒ぎと関係ないと言わんばかりに、部長が戸惑った声を上げたけれど、
「はい。でも、働いているみんなをねぎらいたくないって言うなら、無理にお願いはしません」
課長は涼しい顔で言った。部長はがっくりと肩を落とした。かくして、わたしたちは、役付の皆様に、一杯ずつお酌をしてもらえることになった。瓶ビールか、日本酒のどちらかが。それはこの飲み会のプランには入っていなかったので、彼らの持ち出しとなった。
当然、わたしは、飲めないので、酌の代わりに、ジュースを給仕してもらった。
「いつもありがとう」
と言いながら、他人の前に飲み物を出したことがないのか、ぎこちなくジュースを差し出してくれる社長に、わたしもどもりながら、礼を言った。
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