第26話 コインランドリー事件

 うちの店舗はスーパーの中にあるのだけれど、独立した店舗の場合には、コインランドリーが併設されている場合がある。


 お盆を過ぎ、まだまだ暑さが続く、8月の下旬、コインランドリーが併設された店舗にヘルプで入ったわたしは、夕方、30代前半くらいの体格のいい男性が店に入ってくるのを見た。


「いらっしゃいませ」


「あの、さっきコインランドリーで、洗濯をしたんだけどさ。取りに来たら、なくなってたんだよ」


 なるほど、とわたしは、うなずいた。うなずいたけれど、何をすることもできない。というのも、コインランドリー内で起こった紛失などは店の責任ではないからだ。あくまで客の責任である。わたしが、警察に届けるように勧めようかと思ったところで、彼は、


「でさあ、それって仕事着で、明日着られないと困るわけよ。それで、しょうがないから、新しいのを買ってきたんだ。おたくが悪いんだから、弁償してもらえるよね」


 とんでもないことを言い出した。


 自分の洗濯物を自分で監視しているなんていうのは、当然の話であって、それをしていないがゆえに誰かに持ち去られて、しかも、新品を買ったあげくに、他人に弁償しろ、なんてどういう神経をしていたら、言うことができるのだろうか。素朴に疑問である。


 わたしは、ランドリー内での紛失等は、店の責任では無いので、そのようなことはできかねます、と答えた。すると、彼はムッとした顔をしたようである。しかし、そんな顔をされても、どうしようもない。


「本当にできないの?」


「はい、申し訳ないのですが」


「あんた、いくつ?」


「18ですが……それが何か?」


 年齢を言うと、彼はあからさまにバカにしたような目をして、


「新卒で入ったばっかのヤツが偉そうに言うなよ。上司呼べ」


 横柄に言ってきた。こういう手合いはある程度慣れてしまったわたしは、少々お待ちください、と言って、マネージャーに電話することにした。


 一つ、マネージャーのいいところを挙げるとすれば、すぐに電話に出るということだろう。その他は知らない。わたしは、これこれこういうことです、とマネージャーに伝えて、


「今、そのお客様が、こちらにいらっしゃいます」


 と一言添えると、


「……じゃあ、電話に出てもらって」


 と諦めたような声を聞いた。


 それから、客の男は、マネージャーに向かって、思う存分、怒鳴り声を上げた。基本的に、お客様は神様だ的考えを持っているマネージャーも、さすがに、弁償の件を勝手に決めることはできずに、やむをえず、わたしと同じ説明をしたようだった。


「お前も、お前の上司も話しになんねーな!」


 男は捨て台詞を吐いて出て行った。見も知らぬ男性に、「お前」呼ばわりされたわたしは、深呼吸した。大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。気持ちは少し楽になったけれど、完全にストレスがなくなったわけではなかった。ストレスというのはほとんど万能で、胃に穴を空けたりする程度は朝飯前だと聞く。わたしは、仕事が無い休日にリフレッシュしているけれども、念のため、そのリフレッシュ度をいっそう高める工夫を何かしたほうがいいかもしれないと思った。


 後日、うちの店舗に入っているときに、その店舗から連絡があって、


「出てきたのよ!」


 自分の洗濯物も見ていられなかった男性の無くなった作業着が現われたという、感動的な報告を受けた。どこから現われたのかというと、彼の作業着を間違えて持って行ってしまった女性客が、自己申告してくれたということなのである。どうやら、その女性は、娘がランドリーに出したものを、代わって取りに来てやって、その時に間違えて持っていってしまったというのだ。よっぽどみんな、洗濯ものから目を離すのが好きらしい。


 結局、そのあと男性客に連絡を取って作業着を取りに来てもらい、男性客は、その女性客から、新しい作業着分を弁償してもらえることになったらしい。わたしやマネージャーに怒鳴ることもできて、彼は一石三鳥というところだろう。


「それで、その男性のお客様から、あのときの受付の子に謝っておいてくれって言われたのよ」


「そうですか」


 とわたしは、白けた気持ちで聞いた。散々怒鳴ったあとに、怒鳴ってゴメン、なんて言うのは、卑しい人間のすることだろうと、わたしは思う。不良が更生すると立派なことだと言われるけれど、それなら、そもそも不良にならない方がよっぽど立派であるのと、同じ理屈である。


 とはいえ、わたしは、別に彼に菓子折を持ってきて丁重に頭を下げてもらいたいとかそんなことを考えているわけじゃない。ただゴメン一言で安く済ませようとする人間は、その人自体が安っぽいと思うだけだ。


 マネージャーのように、お客様は神様だ的な人は、そういう客でも、客は客だと思うのだろうけれど、わたしは、あまり付き合いたいとは思わなかった。そういう客も客だと考えて対処すれば、そういう客じゃない普通の客への対応に歪みがでるような気がした。


 うちの店長にいつも言われているとおり、一人の客を特別に扱うことは、他の九十九人の客を不利益に取り扱うことと同じなわけで、今回の彼への対応は、他に何かしようがあったかもしれないけれど、とりあえず他の九十九人の客を害さないものではあったろうと思った。

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