第21話 大人の対処

 次の出勤日に、店長から、


「今日、お昼過ぎに、マネージャーが来て、話したいことがあるから、時間をもらいたいと言ってたわよ」


 と言われた。


 わたしは、はい、分かりました、と返事をしたあと、クレーマーに関するマネージャーとの例のやり取りについて、店長に話した。もちろん、店長は既にマネージャーから話は聞いているだろうけれど、自分の口から説明したかったのだ。


 わたしの話を聞いた店長は微笑むと、


「あなたの対応は間違っていないわ」


 と言ってくれた。


 わたしは心の底からホッとした。そうして、自分の幸運を認めた。バックアップしてくれる人が、すぐ上にいてくれることが、働く上でどんなにありがたいことか、初めて働きに出たわたしにも、はっきりと理解できた。


「間違っていることは間違っているのだから、あなたは、それをただ主張すればいいのよ。いざとなれば、わたしが責任を取るから」


 ここまで言ってもらえたら、怖いものはなくなる思いだった。そもそも、マネージャーのことを恐れているわけじゃないし。


 午前中をそれなりに忙しく過ごしたあと、お昼の休憩を取ると、取り終わってからすぐにマネージャーが現われた。少しの間、店長にカウンター業務をお願いしたわたしは、店内の奥で――といっても、店の中は狭いので、カウンターからちょこっと引っ込んだところというに過ぎないけれど――難しい顔をしたマネージャーと向かい合うことになった。


 厳しい叱責を受けることを予測していたわけだけれど、予想に反して、マネージャーの口から現われたのは、特に何ということもない、仕事に関する一般的な注意に過ぎなかった。わざわざ時間を取ってするようなこともでもない、分かり切った話である。その分かり切った話の果てに、きっとこの前の件がやってくるに違いないとわたしは心がまえを作っていたわけだけれど、待てど暮らせど、そんな話はなく、たっぷりと20分ほど、毒にも薬にもならない訓戒を受け続けることになった。まるで日めくりの格言を聞き続けるのにも似たつまらなさに、うんざりメーターが振り切れそうになった頃、ようやく話は終わって、肝心な部分には完全に触れないまま、


「まあ、そういうことだから、これからも頑張ってな」


 と言って、マネージャーは去って行った。


「いったい、何をしに来たんでしょうか?」


 わたしは店長に尋ねた。


「あなたの様子を見に来たんじゃないの」


「様子ですか?」


「そう。もしもこの前のことに恐れ入っているようだったら注意して、この前のことを何とも思ってないような雰囲気だったら、機嫌を取ろうとしたんじゃないかな。で、そのどちらでもなかったんで、どちらでもない態度になったんじゃない」


 この一件でもって、わたしはますますマネージャーから心を離すことになった。離れた分だけ客観的になることができ、この人にはまともな対応をしてはいけないということが分かった。いわゆる、大人の付き合い方をする必要があることを認めたのだった。もちろん、どうしても譲れないところは譲れないわけだけれど、それ以外の部分では、上手に付き合う必要がある。


「上に立つ人にもその人なりの苦労があるのよ」


 店長が言った。ただし、とすぐに付け加えて、


「下にいる人にもその人なりの苦労があるわけだから、それを考慮しない人の苦労まで、こちらが考慮してあげる必要は無いと思うわ」


 と言った。


 店長はマネージャーのことをどう思っているのだろうか。訊いてみたい気持ちをわたしはぐっと押さえた。というのも、わたしは、マネージャーに対して悪感情――これはもうはっきりと認めていいけれど――を持っているわけだから、店長のマネージャーに対する気持ちを訊くときに、ある種の悪意のフィルターがかかってしまうことは避けられないからだ。それは、フェアではない。もちろん、誰に対する公正さかと言えば、マネージャーに対してではなくて、自分自身に対してということになる。


「なかなか難しいことだけど、あまり物事を気にしないことよ。こちらが考えているより、あちらは考えていないことがほとんどだからね」


「そういう人とあまりお付き合いしたくないです」


 わたしは、せっかくの店長の忠告に、率直に答えてしまった。気を悪くされたかなと思ったところ、


「実はわたしもよ」


 そう言って、店長は笑った。


 わたしは、マネージャーと店長の立場が逆でなかったことに、心から感謝した。

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