第20話 たまには反撃

「聞いたよ、マネージャーとやり合ったんだって?」


 翌日、わたしは、他店舗から応援に入ってくれた原川さんから楽しげな声を聞いた。原川さんはわたしと同期入社の同い年で、プライベートでもたまにやり取りがあって、


「今度飲みに行こうよ」


 と誘われているのだけれど、未成年だから――もちろん彼女も未成年――ということで、断っている程度の仲だった。つまりは、大した仲ではない。


 昨日起こったことが今日には伝わっているとは、さすが情報社会である。しかし、その情報の源は、おそらくはマネージャー自身だろうと推測していると、


「マネージャーが配送の塩田さんに話して、その塩田さんから聞いたんだけどねー」


 まさしくその通りだった。


「マズかったと思う?」


 わたしは訊いてみた。わたし自身は別に悪いことをしたとは思っていなかったが、世間一般の評価はやはり気になった。


「別にいいんじゃない。言いたいこと言ってやればさ。マネージャーのことなんて、大して気にする必要ないじゃん」


 原川さんはあっけらかんとして言った。それを聞いてわたしはちょっとホッとした反面で、彼女は会社に対してあまり思い入れがないからそんなことが言えるのかもしれないと思い直した。原川さんは、夢を追うために――その夢がどんなものかは聞いていない――、そのうちに会社を辞めるつもりだそうである。


――いや、関係ないか、そんなこと。


 原川さんは思ったことを言ったまでのことであって、そこに底意そこいを見るのは、わたしの心がねじ曲がっているからかもしれない。


「昔はもうちょっと素直だったと思うんだけど」


「どしたの、いきなり? まあ、ここクレームばっかだからさ、ちょっとは意固地になるって」


「やっぱり、そうなのかな」


「そりゃそうよ。泥をかけられれば、どんな美人だって、綺麗ではいられないもん」


 原川さんはうがったことを言った。しかし、そうだとしても、人は泥をかぶったままでは気持ち悪いものであり、どこかでその泥を落としたいと思うものだろう。わたしは、クレームによってつけられた悪意という泥を落とすための清流を、できるだけ早期に見つける必要性を認めた。


 そんなときに、


「すみません」


 30代前半くらいの女性がカウンターに現われて、コートを持ってきたようである。


「いらっしゃいませ」


 と受付しようとすると、フードを見せてきて、


「このファーなんですけど、この前こちらでクリーニングしてもらったら、ペシャンコになったんです。元通りふわふわにしてもらえませんか?」


 早速クレームがやってきた。


 わたしはファーを確認した。フェイクファーである。これがふわふわになることなんかあるのだろうか。いや、買ったときはふわふわしていたのかもしれないけれど、使っているうちに汚れてぺちゃんこになり、クリーニングしたとしても、完全に元通りになることは無いように思われた。とはいえ、それを客に言うことはできずに、とりあえず再預かりしようとしたところ、


「あのー、それって、フェイクファーですよね。本物だったらまだしも、フェイクファーが買ったときみたいに元通りになることなんて無理ですよ。ていうか、クリーニング出すより、買った方が安いんじゃないですか?」


 原川さんが言った。


 客は唖然としたようである。わたしも唖然とした。しかし、原川さんは、しれっとした顔で、


「他のお客様でも同じような方がいたんですけど、三回も出して行って、それでも納得されなかったんですー。『絶対に元通りになるっ!』て言って聞かなくって。でも、そんなことってあります? 使ったものがすっかり元通りになるなんてことあり得ませんよ。魔法じゃないんだから」


 そう続けた。


 客はどう突っ込んでいいか、二の句が継げないようだった。わたしは半開きになった口を何とか動かして、


「あ、あの、とにかくもう一度お預かりしますので、仕上がり次第、ご連絡いたします」


 そう言うと、彼女の凍り付いた時が動き出したようで、


「……よろしくお願いします」


 そう答えて、カウンターを離れて行った。


「い、いつも、あんなこと言ってるの、原川さん?」


「そんなわけないじゃん」


「そ、そうだよね」


「でも、割と言ってるかな。だって、できないことはできないわけだし。できないことをできるように言うのって、詐欺じゃない?」


 それはそうかもしれないけれど、でも、できるかできないかは、やってみないと分からないということもある。わたし自身がクリーニングするわけではないから、そんなに簡単にできるかどうかを判断することは、できないのではないだろうか。とはいえ、


「さっきのお客さんの顔、見た?」


 と訊いてきた原川さんの言葉に、わたしは、唖然とした彼女の顔を思い出して、つい笑ってしまった。クレームをつけにきたのに、まさか店員に口答えされるとは思わなかったのだろう。もちろん、さっきのような原川さんの対応がよくないことは確かだ。それは間違いない。一方で、胸がすくような気持ちになったことも確かだった。そうして、わたしは隣にいるわたしと同い年の女の子のすっきりとした顔立ちを見ながら、この子の心にクレームという泥がはねることはあるのだろうか、と大いに疑問を持った。

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