第16話 人を見ればクレーマーと思え
人を見れば泥棒だと思えというのが警察の格言らしいけれど、人を見ればクレーマーと思え、というのをクリーニング業界の格言としたい。
「キャンセルしたシーツを受け取りに来たんだけど」
恰幅のよい40代半ば頃の男性が、7月の上旬に店に現われた。男性は、シーツを10枚以上出していったのだが、それをキャンセルしたのだった。当然、預けてもらったときの状態で、彼にお返ししたところ、
「おい! 仕上がってないじゃないか!」
と突然怒鳴り出した。こちらとしては、一体何を言われているのか分からない。というのも、彼は注文をキャンセルしたわけなのだから、仕上がっていないのは当然である。まさか、キャンセルしたことをまたキャンセルしたわけじゃないよね、と思ってみたが、そんな連絡は受けていない。
「キャンセルということでしたので、そのままお返しする形になりますが」
と言ったところ、彼はキャンセルしたことを綺麗に忘れてしまっていたらしく、それに気がついたような顔をしたが、すぐに取り繕うような表情を作って、
「金を受け取っているのに、仕上げずに品物を返すのか、この店は! 詐欺じゃないか!」
と言い出した。基本的に、支払いは先払いであるので、今回も当然にシーツのクリーニング代は受け取っていたけれど、もちろん、キャンセルということになれば、返金することになる。わたしが、料金分の払い戻しに取りかかろうとすると、
「金だけ返されても困るんだよ! こっちは、クリーニングしてもらいに来てるんだからな!」
と自分の都合を強引に押し通すためか、ますます大きな声を出すので、わたしは腹が立ったが、
「もう一度お出しになるのであれば、お日にちをいただくことになります」
努めて冷静な声を出すと、
「自分のミスを認めずに、日にちをくれだと!? 何なんだ、この店は!?」
まるで悲劇役者のような大げさな声を、周囲に轟かせた。
店長からは、
「身の危険を感じたり、あるいは、営業妨害だと思ったりしたら、すぐに警察を呼んでいいからね」
と言われていたので、よっぽど110番してやろうかと思ったけれど、その前に、男性は、
「こんな店は二度と利用するかっ!」
と口角から泡を飛ばす勢いで言って、シーツとお金をひったくると、そのまま、カウンターから離れて行った。
全く理不尽極まるクレーマーであるわけだけれど、その例は今の彼にとどまらない。地球上にこれだけたくさんの人間がいれば、それは、相当変わっている人だっているに違いないが、それがどんな引力によるのか、クリーニング業界にかなりの割合で集まって来ている気がする。
汚れたものを持ってくる人の心も相当汚れているのかもしれず、シャツなりシーツなりをクリーニングする前に、自分の心をクリーニングしてもらいたいなあ、とそんなことを皮肉交じりに考えるわたしは、まだまだこの業界では新参者で、たった4ヶ月間しか働いていないわけだけれど、それでも自信を持って言えることが、冒頭の新格言だった。
人を見ればクレーマーと思え。
もちろん、クレームには、適切なものもある。それによって、サービスの向上に役立つものだってある。しかし、それは全体からすればほんのわずかであって、大部分はこのように、クレームと言うのもはばかられる、子どものわがままとさえ言えないような、全く自己都合のいちゃもんなのだった。
「もしかしたら、今の人、もうこっちが仕上げていたことを期待していたのかもね」
わたしの隣で、新作悲劇「クレーニングしてもらえなかった男」の上演を見ていた同僚が言った。21歳のすっきりとした美貌の彼女は、
「それで、『おれはちゃんとキャンセルって言ったよな。仕上げたのはそっちの勝手なんだから、金は払わないぞ!』みたいなさ」
と続けた。
わたしは、男性がキャンセルしたことを忘れていたのだと推測したけれど、なるほど、言われてみれば、その可能性もあるわけで、そうして、そちらの方がたちが悪い分、よりありそうな話だった。たちが悪いだけありそうなんて考えるわたしの性格も、かなり悪くなっているのかもしれない。
「職業病よね、仕方ないわ」
仕方ないと言われても、4ヶ月でこれだと、1年くらい経っている頃には、どうなってしまっているんだろう。それこそ、車道にさまよい出てしまおうとしている赤ちゃんを、純粋な善意から助けようとする人に対して、
「そうやって、親から謝礼を巻き上げようとしているに違いない」
なんて考えるようになってしまうかもしれないと思えば、そこはかとなく恐ろしかった。
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