第15話 初めての他店舗と研修期間の終わり
その日、わたしは、初めて別の店舗に入ることになった。そこは、スーパーの中にスペースを借りる形ではなく、独立した店になっている店舗だった。
「今日はよろしくね」
迎えてくれたパートの方は、気の良さそうな30代の女性で、他の店舗だからといって、仕事内容が変わるわけでもないので、わたしはよほど気楽に構えていたのだけれど、午前からお昼を過ぎて、夕方に至るところで、何か引っかかりを感じた。
一緒に入っているそのパートさんの働き方がなにかおかしいと思ったのである。具体的にどこがどうというわけでもなく、確かに彼女は真面目に業務をこなしているのだけれど、いつも自分の店に存在するものが、そこには欠けているような、そんな気持ちがしたのだった。それに気がついたのは、集配の人が夕方に来て、
「原川さんがまたやったみたいだよ。客に、名指しでクレーム受けたみたいで、さらにそのクレーム受けたことに対して言い返したみたいだよ。本社にも連絡がいったみたいでね、いやはや、いろいろとやらかす子だね」
いつもの通り、他店舗の噂話をして帰って行ったあとのことである。工場に送り迎えしてもらったときから、ちょこちょこと原川さんと親交があったわたしは、彼女のことを心配しながら仕事に戻ったわけだけれど、次に来た客にパートの彼女が向かったときに、違和感の原因がつかめた。
「では、お預かりしますね」
と彼女が品物を受け取ったあとに、
「あの、すみません、このデラックス仕上げ、というのはどういう仕上げ方なんでしょうか」
と客が質問し出したのが聞こえた。デラックス仕上げとは、洗い方は変わらないのけれど、最後に手仕上げを加えるものだった。彼女がそれを説明すると、客は、じゃあ、それでお願いします、とその分の料金を支払った。
わたしはそこで、名探偵が真犯人に気がついたときのように、ピキーンと来た。彼女はそれまで、どの客に対しても、一人としてオプションを勧めていなかったのだ。今のデラックス仕上げのほかに、特別料金を払うことによって、様々な加工を施すことができるのだけれど、それをまったく客に説明していなかった。
――どうして、加工を勧めないんだろう。
わたしはこれまで来る客来る客に、忙しそうにしている人以外には全て、加工を勧めてきた。そう教育を受けたからということもあるけれど、勧めなければ、客はオプションの存在が分からないからである。それなのにどうして勧めないのか。わたしは、よほど疑問だったが、この店にはこの店のやり方があるのだろうから、口出しすべきではないと思って、何も訊かなかった。訊きはしなかったが、それからも自分がカウンターに立つときは、来る客に常に勧めていたところ、
「結構みんな取ってくれるもんだねー」
と脇から彼女が感心したような口ぶりで言った。
わたしが何と答えていいか分からず曖昧に微笑みながら黙っていると、
「でも、加工って、いくらとっても全然こっちにとっては意味ないよね。一つ取れば、キャッシュバックがあるとか、そういうんならテンション上がるけど」
そんなことを言ってきた。
謎は全て解けた。骨を折って客に勧めても自分の利益にならないから、加工を取らなかったのだ。
「結局得するのって会社なんだからさ……まあ、あなたは正社員だからそうやって会社のためになることをしても意味あるけど、うちらはパートだからねー」
わたしは正社員だから会社のためになることをやっているわけではない。正社員だろうが、バイトだろうが、会社と契約して働いている以上は、会社の利益になることをするのは当然ではないだろうか。しかし、それはわたしの考え方で、それを他人に、しかも、おそらくはわたしよりも以前から働いている人に押しつける気は無かった。ただ、一つ言えるのは、そうやって、オプションを提示しないというのは、客に対して不誠実な態度であるということである。少なくともわたしは不誠実なことを他人に行いたくはない。だから、それからも、加工オプションを提示し続けた。
「店長さん、喜んでたわよ、たくさん、加工を取ってくれたって」
その店に入った翌日に、自分の店に出ると、一緒になった店長がそう声をかけてくれた。
「当たり前のことをしただけです」
「そうね。でも、当たり前のことをするのは難しいからね」
この店のレギュラーのバイトさん達はみな、甲斐甲斐しく働いている。それは、おそらくは店長の人柄のせいなのかもしれない。もしもそうだとすれば、加工を取らなかったあの人自体を責めるわけにもいかないが、しかし、わたしは、やっぱり基本的には誰が上にいても、自分の仕事はきちんとやりたいと思った。ただ一方で、
「いや、本当に助かったよ。で、どうかな、この前のランチの件は? どこか行きたいお店があるなら、どこでもいいんだよ。夕飯だっていいんだ。本当に、ベトナム料理には興味ない?」
もしも、マネージャーのような人が店長だったら、今と同じテンションで働き続ける自信が持てないだろうというのも、偽らざる本心だった。
「今日で、そのエプロンともお別れね」
店長が、わたしの身につけている黄色いエプロンを見て、言った。
その日が、わたしの研修期間最後の日だった。
研修期間が終わったからと言って一人前になるわけではないけれど、少なくとも客からは、そのように見られる。もう新人とは見なされないということは、それだけ責任感を持つ必要があるということだ。そんなことを考えたわたしの顔がこわばっていたのだろう、店長はわたしをリラックスさせるように、微笑むと、
「人はできることしかできないのだから、背伸びしようとしないことよ」
と言ってくれた。
できることしかできないとしても、できることを増やすようにしたいとわたしは思う。そのためにどうすればいいかということを、背伸びせずに、ちゃんと地に足をつけて考えていきたい。まずはクレームにもっとうまく対処できるようになりたい、と思ったわたしは、会社が提供しているサービスの詳細を、もう一度おさらいすることにした。
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