第14話 伸びたワンピースとなくなった礼服
相変わらずクレームは多い。
新緑がいっそう綺麗に輝くようになった5月の下旬に、ワンピースを持ってきた親子がいた。母親と中学生くらいの娘である。
「お宅に預けたら、ワンピースの裾が伸びたじゃない、どうしてくれるの?」
とまだ年若い娘の前で、母親は
工場はすぐに直してくれたようで、二日ほどしたあとに、そのワンピースを母親に引き取ってもらったところ、その日のうちにやってきて、
「まだ長いままよっ、直っていないじゃないの。この店は客にウソをつくのっ!?」
と顔を真っ赤にして声を荒げた。この仕事に就くまで、怒鳴り声を上げるのは男性の専売特許だと思っていたが、同じくらい女性も怒鳴るものだということを知った。特に知りたい事実でもなかったけど。
インフルエンザじゃないけれど、多少怒鳴り声に抵抗ができているわたしは、「クレームには冷静に」という自分自身に課したルールもあるので、平静に、もう一度お預かりさせてもらいたい旨、伝えた。
「今度直っていなかったら、承知しないからね!」
口から炎でも吐き出しそうな勢いで再び金切り声を上げて女性が去ったあと、わたしは、工場に電話した。すると、工場長は、
「いやー、それはちょっとおかしいわ。メーカーに確かめてみる」
と言ってくれた。メーカーからの回答を待ったところ、なんと、
「寸法通りです」
とのこと。つまり、ワンピースの裾は伸びてなどおらず、彼女が、何をどう誤解したのか、伸びている、と信じ込んでいただけなのだった。
わたしは、安堵感とともに、何度かの怒れる彼女とのやりとりは何だったのか、と徒労感を覚えたのだけれど、
「こういうこともしょっちゅうあるからね。だから、よっぽどお客様の言いなりではダメだということよ」
と店長に言われて、教訓を一つ得たことにしようと思った。メーカーからの回答文書を彼女に見せたところ、
「あら、そうなのね。伸びているように見えたんだけど。お世話様」
そう言って、悪びれもせず、引き取って帰っていった。
また別のクレームは、
「あのー、家に礼服が無いんです。こちらに預かってもらっていると思うんですけど」
というものだった。こちらは、年
わたしはいつ頃クリーニングに出されたのか訊くと、覚えていないという。レシートも持っていないようなので、よっぽど怪しい話だったけれど、
「家に無いんですから、絶対にこちらにあるハズなんです!」
と語勢を強められては、とりあえず探してみるしかない。時間をもらって店内を探してみたが、それらしきものは、何も無かった。そもそも、彼女の、店の利用履歴を調べてみても、礼服での預かりの記録が無かった。わたしは、ますます嫌な予感がしてきた。店内には無かったことを電話で伝えても、
「家に無いんですから、そちらにあるんだと思うんです」
との一点張り。どこをどうしたらそういう理屈がひねり出されてくるのか、分からない。礼服が家になくても、クリーニング店以外のところに置いてきてしまっていることだってあるだろう。法事の時に寺に忘れたとか、法事のあとの食事の席に忘れたとか、もしかしたら、そのあと家に帰るときに、すれちがった貧しい人に
「本当にごめんなさいね、よく探してみたら、家にあったのよ」
ということになったのだから、目も当てられなかった。初めから彼女の一人相撲だったのだ。どうして土俵に上がる前に、そもそも相手がいるのかどうか確かめないのか。わたしは、電話を聞いて、ぐったりしてしまった。老婦人は、謝罪の電話をかけてきた翌日に、菓子折まで持ってきてくれたけれど、対応したわたしはうまく笑えていたかどうかは自信が無い。
そういう風にして風薫る5月は過ぎ、梅実る6月になった。店は相変わらず欠員1の状態で、他店舗からちょこちょこと応援に来てもらっていた。
「いつ新しい人来るんですか?」
わたしが訊くと、
「さあ、どうだろうね」
その時一緒に入っていた遠野さんが、そのほっそりとした首をひねった。
「募集はかけているらしいけど、なかなか集まらないらしいよ。しばらくは、この状態かもね。いつかのセールの時じゃないけど、人が足りない状態ってやめてもらいたいよね」
そんなことを話していた折、マネージャーから電話がかかってきて、
「悪いけど、他の店舗に入ってもらいたいんだ。明後日なんだけど、大丈夫かな?」
と言われた。どうやら、他の店舗で、急な休みを取る必要がある人が出たらしい。わたしは、出るのは構わないけれど、足が自転車しか無いので、それで通えるところならと言っておいた。すると、この店から、車で5分ほどだという。だったら、自転車でも大してかからないので、OKしておいた。
「助かるよ。今度、ランチでもおごるから」
もちろん、そっちはOKしなかった。
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