第8話 マネージャーの人となり
女性だらけの職場の中で、基本的に男性は管理職に限られる。その中の一人がマネージャーだ。わたしたちの直属の上司に当たる人である。このマネージャーというポストは、いったいどういう仕事なのだろうか、とわたしはまだ入社して二ヶ月も経っておらず、自分の頭の上にくるハエも満足に払えない状態ながら、どうしても考えざるを得ないのは、
「どう、調子は?」
そのマネージャーが、ちょこちょこと店舗を見回りに来るからだった。特に何の理由があるわけでもないのに、ただやってきては、答えようもない問いだけ投げかけて帰って行く。初め、勤務の状態を確かめに来ているのだろうと思っていたのだけれど、それにしては短時間で帰って行くし、一緒に仕事をしていくわけでもないので、そのうちに、不審に思うようになったのだった。
「ただのスケベオヤジよ」
バッチリメイクの藤井さんが言った。
「ああやって若い子のいる店舗に行っては、その子を口説こうとしているわけ」
えっ、とわたしは驚いた。そうして、それは冗談だろう、と思ったけれど、
「ホントのことよ。だって、若い子がいない店舗には全然行かないんだもん。何考えてるんだろうね、奥さんも子どももいるのにさ」
藤井さんは、感情の色を交えない声で続けた。勤務時間中にそんなことをしていたら、それはもう公私混同どころの話じゃなくて、仕事を全く仕事だと思っていないということになってしまう。直属の上司に当たる人であるので、よっぽど信じたくない話だったけれど、
「今度、夕食でも一緒に取りながら、色々仕事のことを教えてあげるよ」
その話を聞いた数日後に当のマネージャーからそんなことを言われたときには、信じざるをえなかった。わたしは丁重にお断りした。世の中には年上の男性が好きという人もいれば、妻子を持った男性に惹かれるという人もいる。しかし、わたしはそのどちらでもなかった。
マネージャーはしつこかった。
「まあまあ、そう言わないでさあ、いつ空いてるの? 時間は合わせるよ。ベトナム料理は好き?」
あまりにしつこいので、強く断らなければいけないと思ったわたしが息を吸い込んだところで、
「やめておいた方がいいですよー、マネージャー」
と口を出してくれたのは、遠野さんだった。すらりとした体つきと彫りの深い顔立ちからモデルのようにも見える彼女は、この店のバイトスタッフの一人で、まだ21歳ながら、すでに結婚していた。
「この子のカレシ、すっごいヤキモチ焼きで、この前なんか、ちょっと声をかけてきただけの男を投げ飛ばしたんですって」
ねえ、と遠野さんが同意を求めてくるけれど、一体何の話をしているのか、わたしには分からなかった。なにせ、わたしはカレシ募集中の身だからだ。
「え、な、投げ飛ばした?」
マネージャーは目を白黒させた。
「そうですよ。柔道の黒帯らしくて、思い切り、コンクリートに……なんだっけ、背負い投げ? ……その技で、そのナンパ男を背中から叩きつけたんですって」
「その人は、ど、どうなったんだ?」
「それ、聞きます? マネージャー、お昼食べましたか? あ、食べたんですね。じゃあ、どうなったかは聞かない方がいいと思いますよ」
そう言うと、遠野さんは、
「ほら、マネージャー、あの人ですよ。この子のカレシ。よくこの店にも来るんです。自分のカノジョが変な男に声かけられていないか確かめるためにね」
スーパーに向かって、軽くあごをしゃくるようにした。
それを聞いたマネージャーは明らかに青ざめた顔をすると、遠野さんが示した方を見もせずに、
「そ、そろそろ時間だな」
と時計を確認して、足早に帰っていった。
「ありがとうございます、助かりました」
マネージャーを追い払うための作り話であったことに気づいたわたしが、お礼を言うと、遠野さんは手を振って、
「いいのよ、そんなこと」
と笑ったあと、真剣な顔になって、
「でも、あの人はかなり問題だね。仕事する気ゼロなんだもん。何だったら、こっちの仕事の邪魔になってるから、マイナスの存在だよね」
言うと、
「この前なんか、他店舗の話だけど、そこの店長さんが病気がちなんだけどね、また具合がよくなくて休んだとき、本人にかけた言葉がさ、『ちょくちょくとよく休むねえ。もういっそ入院して完全に体を治すまで出てこない方が、君自身にとっても、店にとってもいいんじゃないかなあ』だったんだってさ。信じられないよね」
と続けた。わたしは驚いた。それが本当だとしたら、確かにひどい。
「『人は会社から離れるんじゃない、マネージャーから離れるんだ』なんていう言葉もあるくらいだからね。多分、あのマネージャーの下じゃ、これからどんどん辞めていく人が出ると思うよ」
遠野さんは不吉なことをあっけらかんと言ってのけたあと、
「わたしだって今の店長の下じゃなかったら、とっくに辞めてるもん。今の店長が、あのマネージャーとしっかりとやり合ってくれる人だから、この店で働いているだけだからねー」
そう続けて、そのとき来店してきた客に向き合って、スマイルを与えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます