第6話 四月のセールは殺人的
4月がクリーニング業界にとって、最も忙しい月であることはすでに述べた。衣替えと新学年が始まるのが重なるからだ。その4月を、わたしはキャリア一ヶ月に満たない状態で迎えることになった。まあ、新入社員はみんなそうなるわけだけれど。会社はこの時のために、3月8日の入社式の日から新人をトレーニングしてきたわけで、その研修プログラムの成果が問われるわけである。
わたしは、クレームやミスも経験して、それなりに仕事のやり方も覚えたところだったので、何とかなるだろう、と高をくくっていた。しかし、すぐにそれが間違いであることを知ることになった。
4月1日。店は、月の初めにセールを実施している。セール時はただでさえ忙しいらしいのだが、わたしはそのセールを体験していなかった。このあたりは、会社の研修プログラムに改善の余地のあるところだ。それはともかく、4月でかつセールということで、4月1日のエイプリルフールに、ウソ偽りなく、わたしは死を覚悟することになった。
客がひっきりなしに訪れて、全く絶え間がない。行列のできるラーメン店というのはよく聞くけれど、まさかクリーニング店に列ができるときがあるとは思わなかった。通常二人で対応しているところに、三人で対応していたわけだけれど、それでも間に合わなかった。もちろん、原因は不慣れな新人にある。わたしは、二人に申し訳なく思う余裕も無くて、ただ現われる客を夢中でさばいていた。あまりに人が来るので、そのうちに、
――あれ、この人さっき来なかったっけ?
とそんなわけないのに、一度訪れた人のような気がしてまじまじとガン見してしまった結果、思い切り眉をひそめられてしまった。
三日間のセールのうち、ようやく初日が終わったとき、わたしはクタクタになって、家に帰れるかどうか心配になったほどだった。家の行き帰りは自転車に乗っているのだけれど、ペダルを漕げるかどうかという前に、そもそもサドルに乗れるかどうかも微妙な気持ちだった。家に電話して車で迎えに来て欲しいくらいだったけれど、家業の倒産後みんな働いている中で、そんな甘えが許されるはずもなくて、何とか気力を振り絞って、4月のどこかもったりとした夜気を割って、わたしは自転車を家までコギコギした。
セール二日目は、店長と一緒だった。同じくらいの数の人は来たのだけれど、なぜか昨日ほど忙しくはなかった。わたしの能力が一日で上がるわけがないので、おそらく、店長のわたしに対するリードとサポートが上手いせいだろう。
「大変だろうけれど、ここを乗り越えれば、あとは楽だからね」
店長はわたしの倍の仕事量をこなしながらも、涼しい顔で言った。
二日目も何事もなく過ぎたのだけれど、問題は三日目に起きた。
「今日はよろしくー」
梅山さんが抜けた穴埋めとして、他店舗から応援に来たのが、原川さんだった。わたしと同じ高卒の新入社員で、入社式の日に会った子である。わたしは、彼女と一緒の店舗に入りたくなかったわけだけれど、新入社員が同じ店舗に入ることは無いということで、その心配もなく安心しきっていた。
そんな中で彼女が来ることになったのは、
わたしは、何となくいい予感を覚えなかった。その予感が的中したことを知ったのは、その日の昼過ぎのことである。
「これ、ぼくのワイシャツじゃないんですけど」
そう言って、ワイシャツを5点持ってきた男性客がいた。確認してみると、確かに間違っている。どうやら、同じようにワイシャツ5点を出した客と取り違えてしまったらしい。それをしたのが原川さんだった。
「あーあ、またやっちゃったぁ」
そう言って特に悪びれるでもない彼女に、わたしは唖然とした。
――「また」ってなに!?
しかし、それを訊いているヒマは無い。すぐに、渡し間違えた先の客に連絡を取ると、間違いは分かったが今日はそちらの店に行くことはできないので、今日必要なら取りに来てもらいたいと言われた。
「じゃあ、わたし、行ってくるよー」
原川さんは気楽な声を出すと、店舗をわたしともう一人の二人の状態にして店を出て行った。そこからは、初日以上の地獄となった。初日と同じくらい人が来るのに、労働力は3分の2になっているのだから当然である。原川さんは、なかなか帰ってこなかった。渡し間違えてしまった客の二人共に、店からさほど遠くないところに住んでいて、せいぜいが40分もあれば帰って来られるはずなのに、1時間を過ぎても帰って来ない。
その間に、次から次に来る客に対応しきれず初日以上の長蛇の列を作ってしまってしびれを切らした客にせっつかれるわ、疲労のため釣り銭を渡し間違えて指摘されるわ、散々な目に遭った。
ようやく1時間30分過ぎてから帰ってきた原川さんは、
「スマホのナビ見ながら行ったんだけど、全然見つからなくてぇ」
「え、でも、わたし、上がる時間なんだけどぉ」
そんなことを言いながらタイムカードへと目を向ける原川さんの肩を思い切りゆすってやりたい気持ちをなんとか抑えたわたしは、マネージャーに電話して、彼女の残業を申請した。
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