第5話 店長の力
店長が彼女にどんな風に言ってくれたのかは分からないけれど、それから、梅山さんのイビリはピタリとやんだ。とは言っても、優しくなったということではなくて、イビリがやんだ代わりに、必要なこと以外はしゃべらなくなった。仕事に関することの他は一切話さないのだ。それは一見当たり前のようだけれど、そうして、事実わたしも自分が働き出す前は、仕事をするということはそういうことだと思っていたのだが、実際は仕事中に、色々と仕事に関係の無い話をするものである。それは無駄話ではない。そうやって、仲間同士コミュニケーションを高めることによって、仕事の効率を上げることができるのだ。
もちろん、しゃべり過ぎて効率が落ちることもあるだろうけれど、多少のコミュニケーションは絶対にあった方がいい。それが、わたしと梅山さんの間から、ワイパーで拭き取られた水滴のように、すっかりと消えた。客が次から次に来ているときはいいけれど、いないときは、死そのもののような沈黙がわたしたちの間に横たわった。
おそらくは、わたしの告げ口を恨んでいるのかもしれないけれど、それは筋違いだと思うし、仮にそうだとしても、わたしは気にしなかった。他人が自分のことをどう思うかということを考えて生きるのはいいけれど、考えすぎれば生き方が窮屈になってしまう。他人のために生きているなら別だけど、自分のために生きたいなら、他人から見られた自分、なんていうものをそれほど大事に思うべきじゃない。
彼女の恨みが筋違いだとしても、その恨みをわたしが招いたことは確かであるので、自業自得、わたしは沈黙に耐えることにした。覚悟を決めれば、大して難しい話でもなかった。わたしは、そんなにおしゃべりな方じゃないし、色々と考えるべきこともある。次の休日の過ごし方とか、お給料の使い道とか、その気になれば結婚後の家族設計だって考えることもできた――相手がいないので、ほとんど妄想の類だけど。
そんな風にして梅山さんと付き合っているうちに、彼女が別の店舗に異動することになりそうだということを聞いて、驚いた。
「店長がマネージャーにかけあったみたいねー」
歌舞伎役者のようなバッチリメイクの藤井さんが、そう教えてくれた。
「店長ってそんなことができるんですか?」
店のスタッフの人事権まであるとは思わなかったわたしが尋ねると、
「あの人は特別なの」
と言って、藤井さんが語ってくれたところによると、何でも店長は以前に経営不振の店舗を建て直したことがあって、その腕を買われて、今の店舗に入ったということなのだった。
「この店は県内で一番売り上げが良かったんだけど、一時期どん底まで落ち込んだらしいの。それをまた一年でトップに返り咲かせたのがあの人なのよ」
マネージャーの上に課長という役職があるのだけれど、その課長に是非にと乞われて、今の店舗に入ったということだった。
「その時の条件として、この店のスタッフは全て店長が選べるということにしたらしいの。それだけ、この店って、会社にとって重要だってことね」
藤井さんはあっさりと言ってのけたけれど、それって破格の待遇だと思う。店の人事権を持てるなんて。
「だから、わたしたちも、ちゃんとしないと、どっかに移されちゃうかもよ~」
藤井さんは、そんなことを言いながら、手の爪を見た。しっかりとネイルが施された爪は、まるでネコ科の獣のそれのように見える。仮に藤井さんの話が全部本当だとして、店長がどういう基準で彼女を選んだのかは分からないけれど、少なくとも身だしなみで選んだわけではなさそうだった。
梅山さんが別の店舗のシフトになる前に、もう一度だけ彼女と一緒になることがあって、その時もやはり、会話は仕事のことだけに限られた。わたしは、彼女からは、不快を得たことの方が大きかったけれど、それでも一応お世話になったことでもあるし、彼女が上がるときに、お礼だけ言っておいた。物まで買って渡すのはわざとらしいと思ったのでやめた。
すると、梅山さんは、
「わたしの方こそ色々とごめんなさいね」
などと言ってくれることもなく、ふん、と鼻を鳴らすようにすると、何も答えずに、そのまま店を後にした。最後まで後味が悪いことになってしまったけれど、最後にはハッピーになるなんていうのは、マンガや映画の中の話であることは知っていた。現実はそれほど甘くはない。
わたしは店長に梅山さんの異動がどうして起こったのか訊いてみようかなと思ったけれど、やめることにした。仮に藤井さんの言った通り、店長がマネージャーにかけ合ったのであれば、それは店長の判断だということになって、その判断に対して質問するというのは
正直に言えば、梅山さんがいなくなって、わたしは働きやすくなった。冷たい沈黙に耐えるために妄想する必要もなくなった。梅山さんがいなくなった穴を埋めるためにまた新しい人が来ることになるけれど、しばらくの間は、他店舗の人が応援に入ってくれるということだった。
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