シード権 ~選択の本望~

神月 無弐

第1話

光のかけらすらない闇の中・・・・ここは・・・どこ。

ゆっくりと目を開けてみる。真っ暗な空間。生暖かい。

弾力のある居心地のいいソファーに膝を抱えさせられたまま寝かされている。

カラダにダメージはないようだ。どうしてここにいる?事件にでも巻き込まれたのか。さえない頭を懸命に使ってみるが心当たりがない。喉が乾く。水が欲しい。さいわい拘束はされてはいないようだ。

闇の中で辺りを手探りすると細いホースだろうか?とにかく長い管のようなものが何本か見つかった。匂いを嗅いでみる。薬品の類ではないようだ。むしろ食をそそる匂いで無条件にカラダが欲してしまう。

ここで死ぬわけにはいかない。覚悟を決めた。恐る恐る管を加えて小さな深呼吸をするようにちょっとだけ吸い込んでみた。(うえっ)しょっぱい。薄めの醤油のような味だ。別の管を含んでみる。これは辛い。ここは調味料の倉庫か何かだろうか。どれか一つぐらいはマシなものがあるかもしれない。手に触れた順に吸ってみる。甘酸っぱい、苦い、渋い。6本目、これはいける!

ミルクシェイクのような甘い味だ。吸い込めるだけ吸い込んだ。とにかく渇きと空腹を満たしておこう。


どれくらいここにいたのだろう。闇の中では時間の感覚さえも失ってしまう。少し落ち着くと外の騒々しさに気づいた。

人の声なのか、音なのか内壁に貼られていると思われるクッション材に反響して頭を、モワっと刺激するように聞こえるだけでハッキリとは聞き取れない。グーーッ、突然、壁が狭くなったように感じた。重機かなんかでここを壊そうとしているのか!?

「ヤバい」

このままではヤられる。脱出しなきゃ。左回りに内壁を伝って逃げ道を探してみる。排気口だろうかカラダをかがめれば進めないこともない横穴の入り口を見つけた。迷わず入ることにした。狭い横穴をしばらく移動すると壁の生暖かさが熱さに変わった。進むにつれて横穴は狭くなる。とうとう行く手を温泉のように温かい大きな水溜りに阻まれてしまった。これ以上進めない。空気まで薄くなってきた。

ふいに燃え上がるような熱さに包まれた瞬間、意識が遠のいていく。(うっううっ、苦しい、死にたくない。神様、助けて!)

再び気づいた時には不思議なことに水溜りの熱水が洪水のように一気に抜け、一筋の光が差し込む小さな隙間を見つけた。冷静に分析している暇はなかった。残っている最後のすべての力を込めて必死にカラダを伸ばしてねじ込んだ。一気に光に向かう。

まばゆい光が眩しい。なんとか抜け出せたようだ。誰かに体を支えられている。

(死ぬかと思った。助かった。もう大丈夫。)

虚脱感の中で堪えられない睡魔に襲われてまた気を失ってしまった。


僕は浪人中の予備校生。理由あって一人暮らしを始めたんだけど、親の仕送りは期待できないのでイベント会社でアルバイトをしている。手を変え品を変え企画を練り、会場を押さえてセットを組む。当日は裏方として進行から警備までのフォロー役に徹し、時には着ぐるみも着る。イベントが終われば夜を徹しての撤収作業・・・とにかくクタクタだ。

だけど会場に来てくれたお客さん達の笑顔を見ているとなんだか幸せな気分に包まれて、これまでの苦労など吹き飛んでしまう。だからバイトとはいえ人を喜ばすこの仕事を僕は気に入っている。


美緒(みお)は同じ会社の広報担当をしている正社員だ。実は僕とオフィス ラブをしている。偶然、美緒が担当する仕事のサポート業務を命じられることが多く、接点が増えるのに比例してなんとなく付き合い始めた。最初は仲の良い姉弟のような関係だった。

年上の彼女は明るい性格で笑うと八重歯が見え隠れする笑顔がキュートな今ドキの20代女子だ。スタイルもよく、この笑顔でお願いされると大抵の男は断れないだろう。気に入らないところといえば、母親気取りの世話やきと物言い。あとショートカットなところ。僕の理想の女性イメージはどうしてもサラサラのロングヘアーなのだ。勝手な望みなのはわかっているがこれだけは譲れない。そのうち伸びるだろうと今は我慢している。


私生活は自慢できるものではない。とりわけ家族には縁がないようだ。父親は大工の棟梁で羽振りのいい時には気前よく仲間に奢って毎晩のように酒盛りをしていた。職人らしく気風もよく、みんなに好かれていたが、5年前に都心を震源とした地震が発生した時に建築現場で倒れてきた木材から仲間を守るために右手を潰して後遺症を負った。そのせいで満足に釘を打ったり工具を使いこなすことができなくなって親父は荒んだ。ギャンブルと酒に逃げ込むお決まりの転落人生だ。家族に暴力を振るうことはなかったが、いつまで経っても立ち直ろうとしない親父に嫌気がさしたお袋は、妹のサキ子を連れてサッサと離婚してしまった。離婚後しばらく留守にしていた親父が帰ってきたと思ったら「新しいお母さんだ」といきなり派手な若い女を紹介した。僕の彼女といっても誰も疑わないくらいの歳だ。とても新しい家族として歓迎できる心境ではなかったし僕は親や家族に対して何の期待も持たなくなった。そして煩わしさのない平穏な生活を思い描いて家を出た。


「七海〈ななみ〉君、ちょっといいかしら。第2会議室に来てちょうだい」

「は、はい。」

(何だろう)バイト先の同じチームの女上司 榊原さんからの呼び出し。

「あのね、今度私のチームでプロジェクトを受け持つことになったの。うちのビッグスポンサー [ダイヤモンド ライフ社] は知ってる?」

「はあ、福祉事業のCM見たことあります。」

「そうね、その会社。やり手の女社長さんに厚意にしてもらってるんだけど、そろそろご子息に会社を譲ることを考えてらして来月イベントで大々的に顔見せしたいんだって。」

「来月って、また急ですね」

「そうなのよ。だからキミもメンバーね」

「メンバーって!! ただのバイトにそんな大きな仕事、、、僕はいいです。」

「ダメよ。キミのこれまでの働きぶりはバイトにしておくのはもったいない。もう特別推薦で先方にもスタッフのひとりとして話は通しちゃったから。」

「そんな勝手に」

「はいはい。これはチャンスよ」

「何の?」

「決まってるじゃない。就職内定の」

「はあ!?だから僕はまだ予備校生ですってば」

「あら、そうだっけ。どっちにしろいつかは就職するんでしょ。いいじゃない。期待しているわ。」

一方的に話を打ち切られてしまった。榊原さんは仕事のできる頼れる姉御といった感じの人なんだけどやや天然系のパワハラ的な性格傾向がある。


この企業は、基金を募り近親者のいない子供達を引き取って民間の孤児施設を運営している。「真心」をモットーに掲げ、アットホームな環境づくりとボランティア貢献の評判も良く、追い風に乗って全国展開をはじめたところだ。マスコミの露出が多いこの企業のイベントを任されるのは会社にとってはチャンスだろう。でも、それを喜ぶのは社員だけでいい。何でバイトの僕までが。


19:50バイト終わりに会社帰りの美緒といつものスタバで合流して今日あったことを話した。

「おめでとう!真面目に頑張ってたもんね」

美緒は自分のことのように喜んでくれて妙に明るかった。料理が好きな美緒は『せっかくだから手料理でお祝いしましょう』と言い出し、スーパーに寄って食材を買い込んだ。メニューは内緒といっていたが、どう見ても「肉じゃが」だろうことは想像がつく材料だ。

都心から西に向かって約40分電車に揺られるとちょうどいい郊外の風景が広がる。美緒の部屋はその街のメイン商店街を抜けた先にある。ワンルームの部屋は隅々まで掃除が行き届いていてキレイだった。お菓子の空き箱を小物入れに再利用したり、カレンダーに数種類の色マジックで予定が書き込まれていたりして家庭的な一面を思わせるのが美緒らしい。

「さてと、腹ペコ隊はちょっとだけ待っててね。すぐにできるから」

「了解 (^ ^)ゞ」

僕は調子を合わせて上官にあいさつする軍隊のように敬礼した。姉貴の部屋にでもきているような安心感。美緒の手料理をたいらげ、くつろいだ後二人は何度も抱き合った。


コンセプトは決まった。孤児施設のイメージとご子息の知名度アップを軸に、子供たちに夢と家庭のぬくもりを感じてもらえるようなイベントにしたい。プレゼンテーションは榊原さんの頑張りもあって上出来だった。子供たちが将来、家庭というものに偏見を持つことなく自然に溶け込めるようにと、当日は社員をはじめとする関係者の家族にスタッフとして参加してもらいアットホームな雰囲気と様々な家族のあり方に触れてもらうというアイディアが採用された。


「お父さんとは仲良くしてるの?お兄ちゃんも貧乏クジひいちゃったわね。要領悪いんだから。『僕はいいです』だっけ?(笑)遠慮ばっかしてないで少しは自己主張しなきゃダメだよ」

「高校生のくせに生意気なこと言ってんじゃないの。勉強してんのか?」

土曜日の昼下がり久し振りに会った3つ違いのサキ子は僕の口癖を真似して笑った。しばらく会っていないうちにメイクをした私服姿は大人っぽかった。

「うっさいなあ。ランチ奢ってくれるっていうから来てあげたのに。で、なんの用?」

「ああ、今度の日曜、バイト先のイベントがあるんだ。」

「へえ、お兄ちゃんまだあのバイト続いているんだ感心感心。」

「大きなお世話だ。内定のご褒美付きなぐらい頼られているんだ。文句あんのか」

「えっ、お兄ちゃん大学あきらめて就職するんだ」

「そんなつもりはない。保険だ」

「あっそう」

僕はイベントの企画内容をかいつまんで説明した。

「そんなの大きなお世話じゃないの?余計な寂しさ与えて逆効果かもよ」

「うん、確かにそういう意見もあった。でもね、天涯孤独の子供達に自分から家族が欲しいって思ってもらうためには、家族がどういうものか感じられる場を提供しようってことになって。」

「ふ〜ん。お兄ちゃんも家族に飢えてるもんね。」

「僕のことはいいよ」

「ほら、またあ。口癖(笑)」

「ほっとけ。とにかく、親父があんなだから母さんとお前だけでも協力してよ」

「そういうことなら、しょうがないな~。わっかりました〜!お母さんに言っとくよ」

まあ、期待しないで待つとしよう。


イベント当日、会場は都内の東部に位置する人気の「ふれあい型水族館」を貸し切った。

メインの巨大水槽には、イワシの群れがキラキラときらめきながら雲のように集まって移動したり散乱しながら泳いでいる。その美しい様が人気のスポットとなっている。他の水槽にも親子や つがい で展示されているものが多く、見ているだけで仲間や家族を連想させ幸せになれる場所という点からここが選ばれた。

すでにスタッフ役をかって出てくれた社員の家族もスタンバイしている。僕の家族はまだ来ていない。

続々と何社ものプレス会社がカメラマンを連れて会場入りを始めている。美緒は広報担当としてその対応に追われていた。準主役である孤児施設から招待された子供たちもマイクロバスに乗せられて到着した。少し遅れて、主催者の女社長と主役の御曹司が黒塗りのベンツから降りてきた。すかさず榊原さんが対応する。

「これはこれは、お待ちしておりました。」

「ご苦労様。初めてでしたかしら、次期社長の貴志です。」

と女社長が左手でご子息を紹介する。

「はじめまして。プロデューサーの榊原と申します。お会いできて光栄でございます。」

「それはどうも。よろしく」

「こちらが本日貴志様の付き人役をさせていただく七海でございます。何かありましたら遠慮なくお申し付けください。」

僕は慌ててお辞儀した。女性スタッフを付けると何かあった時にこの晴れ舞台に双方誤解を招きやすいという配慮から僕が選ばれた。それにしても「付き人」って(苦笑)

「よろしくお願いいたします。本日は精一杯努めさせていただきます。」

「まあまあ、そんな力まずに。楽しくやりましょう!」

「あ、ありがとうございます。」

銀をベースに黒でシンプルにデザインされた燕尾服はまるで結婚式の披露宴のようだったが、いかにも手入れされているといった歯並びの良い真っ白な歯を輝かせて握手を求めてきた。僕は思わず汚れてもいない手をズボンで拭いてそれに応えた。

「さあ、お時間までこちらでおくつろぎください。」

榊原さんが一行を控え室へ案内していく。後ろ姿に育ちの良さというオーラを纏ったこの青年には非の打ち所がない感じだ。金持ちの息子に生まれただけなのに自分とは雲泥の差がある。

(世の中不公平だよな。生まれた時に人生のレールは引かれているのかもしれない。生まれたとこがいいヤツはそれだけで人生のシード権を持ってるみたいだ)


メインイベント開演5分前。館内アナウンスが流れた。

♪♩♫♩~ご来場、誠にありがとうございます。15時より大水槽前 特設ステージにおいて、お楽しみイベント『夢を語ろう!』を開催いたします。皆さまお誘いあわせの上、お集まりくださいませ ~♩♫♪


巨大水槽の前に設営されたメインステージは人だかりになって、今か今かと始まりを待っている。残念なことにお袋もサキ子もまだ来ていない。(やっぱりな)家族にはいつも裏切られる。


『夢を語ろう!』が始まった。御曹司を迎えてパネルディスカッション形式で孤児たちの夢についてトークする。子供たちを預かる施設事業の考え方をアピールするとともに御曹司をフィーチャーすることができる一石二鳥のアイディアだった。司会進行役の広報部員がきれいな声で御曹司を紹介しマイクを手渡すと、ここからの進行は貴志に委ねられる。

「こんにちは~。みんな元気~?」

「は~い、げんき~」

と子供たちが思い思いに返事をする。

「みんなは一緒のお家に住んでるの?」

一番おませに見える女の子が

「そう。大っきなお部屋があってね、みんなで遊ぶの」

「楽しそうだね。何して遊ぶの?」

「う~んとね。追いかけっこしたり、お絵かきしたり、お姉さんのオルガンでお歌を歌ったり」

「お姉さんもいるんだ」

「うん、いる、とっても優しいよ。だ~い好き」

「そっか、じゃ寂しくないね」

このディスカッションはリアリティを追求した嘘のない演出をするために台本なしの完全フリートークだった。仕込みも一切なし。子供たちの突飛な質問に御曹司の対応力や人柄がストレートに伝えられる。

御曹司はこれまでマスコミにも伏せられた存在だったため、どれほどの力量を持っているか心配されていたのだが、大丈夫。これならいけそうと榊原さんも満足そうだ。

後半を迎える。

「さあ、今度はみんなの夢とか聞いちゃおうかな。大きくなったら何になりたい?」

「はぁい、はい、はい、はい」

「じゃあ、元気よく手を挙げてくれたキミ」

「ウルトラマン」

「ウルトラマンかあ(笑)、残念だけどあれにはなれないよ。宇宙人だからな」

観客からも笑い声があがった。

会場は全体が和気あいあいと楽しい雰囲気で進んだ。

パイロット、お花屋さん、ケーキ屋さん、サッカー選手など何人かの受け答えが終わった。同じような定番の回答に御曹司は少し飽きてきたようだ。あるいは疲れたのか、最初の頃とは明らかに少しづつ雑になってきたのがわかる。

「はい、次」

「けん玉があったら練習して選手になって大会に出たいです。」

「はぁ~あ、キミたち本当に小っさい夢だな」

「今叶えてやるよ、はい1万円。これでけん玉買えるでしょ。よかったねえ。あっ、お釣りもあげるから」

(おいおい、それはやり過ぎだだろう。何だか雲行きが怪しくなってきたな)

「最後はキミか。で」

「あ、あの・・制服を着たいです。そし(て)・・・・」

「制服?コンビニのバイトか?それともセラー服?その前に勉強して学校でも面接にでも合格しなきゃだね。それともコスプレでもするか?お兄さんにここでキスしてくれたらすぐに買ってあげるけど。ははは」

一瞬、会場が凍りついた。彼女は年頃から見ても受験生。きっと合格して学校を卒業したら・・・と言いたかったに違いない。

「あれ、ジョークですよ。ここ笑うとこだから(笑)」

会場がザワつきだした。榊原さんが慌ててインカムで司会進行役に指示を出している。

「このままじゃまずいわ。すぐにサブマイクを使って会を終わらせて。」

「はい。ありがとうございました~。時間も押していますようなのでこれにて閉会とさせていただきたいと思います。出演者の皆さまお疲れ様でございました。子供たちありがとう!夢に向かってあきらめないでね」


♪♩♫♩~お客様にお知らせいたします。中庭広場に軽食とお飲み物をご用意しております。ご自由にご歓談ください。最後までありがとうございました~♩♫♪


その場凌ぎだが何とか事なきを得てその場をおさめた。が、それにしても最後まで話も聞かず横柄な物言いで一方的に考えを押しつけるなんて。少女に嫌な思い出として残らないことを祈りたい。


本館とイルカのショーなどが楽しめる別館をつなぐルーフバルコニー状の中庭からは海の方角に沈みかけ始めたオレンジの夕日が見えてきれいだった。ところどころに丸テーブルが用意されアナウンス通りのオードブルやデザートが用意されている。パネルディスカッションの大役を終えた孤児たちはスイーツに夢中だ。スタッフの家族が声を掛け合い、孤児たちを自分の家族の輪に入れるようにして和やかなムードを取り戻す。しばらくするとスタッフの子供たちも孤児も招待客の子供たちも打ち解けて立食スペースを駆け回り出した。

「みんな~、そんなに走り回ったら危ないわ。気を付けるのよ」

と大人たちも顔がほころぶ。

「元気があっていいな」

と、先輩が言い終わるか終らないうちに背中で怒鳴り声がする。

「このガキっ!何してくれてるんだ(怒) 弁償できんのか」

「ごめんなさい。」

どうやら、子供たちが追いかけっこに夢中になって御曹司にぶつかり、よろけた御曹司のタキシードを料理で汚してしまったようだ。

「はーい、親御さんは誰ですか~?」

御曹司は大げさに会場を見渡す。

「い・・いません。」

「いない? ああ、さっきのウルトラマンのガキか。この服いくらだと思ってんだ。」

榊原さんが駆け寄る。

「まあまあ、子供のしたことですから。お許しくださいませ。ここはどうかご穏便に」

僕も続いて頭を深く下げながらお詫びする。

「はあ!?そうやって甘やかすから施設の中ではやりたい放題、言うことなんか聞きやしない。世間の厳しさってもんを教えてやるよ。いいかよく聞け、弁償してくれる親もいねえお前は所詮貧乏人の子供。お前ひとり養うこともできないから孤児にされたんだろう。金持ちの子に生まれなかったお前らの不運だろうが。家族ごっこで喜んでんじゃねー。」

初対面の印象とは打って変わっていた。

服が汚れるぐらいのささいなことよくある話じゃないか。しかもこの子は事前資料によると交通事故で両親を失い、命からがら助かった奇跡的な子だ。何も知らずにそこまでいう権利がお前のどこにあるんだ(怒)自分の家族に対する寂しい気持ちが重なってこの子たちの悲しみがわかる。僕は思わず拳を握って御曹司に殴りかかろうと身構えた時だった。

バシっ!

「子供に何の罪があるというんだ」

聞き覚えのある声。お、親父!?そこには確かに親父が立っていた。

(どうして!?)

文化祭の演劇で使ったスーツを取りに一旦家に戻った時に忘れてきた招待状の見本を見て気まぐれにやってきたのかサキ子の計らいだろう。しかもお袋が心配そうに親父のジャンパーの裾を引っ張っていた。

(みんな来てくれてたんだ)


後日、今回の騒動で息子の失態に辟易した女社長からは、「貴志は社長の器にまだまだ資質が足りない」と後継者の話は先送りして、今まで通りの引き立てをよろしく頼むと丁寧なお詫びをいただいた。

これを受けて情状酌量の声も上がったが、クライアントへの暴力行為は許されるものではないという決定が下され、親父が起こした騒動の責任を負わされて僕はクビになった。榊原さんは「ごめんなさい。許して。」とだけ言って背を向けた。

親父がやらなければ僕がやっていたかもしれないのだから当然の報いであるのかもしれない。自分の気持ちを代行してくれた親父の行動に忘れていた家族への感謝が無かったかといわれれば嘘になるが、それでもこれまで打ち込んできた人を喜ばせるバイトができなくなることを思うと自分が直接手をくだしたことではないだけに腹立たしさの方が勝ってしまう。


またしても、家族が、親が自分を苦しめる。

(なんで、こうなるんだ!? なんで親は選べないんだろう)

社会も、家族も、自分も、何もかもが嫌になって自暴自棄になってしまう。これじゃ、親父と一緒だな(苦笑)血のつながりは断ち切れないか。畜生。チクショウ~、あの御曹司のおかげでメチャクチャだ。世の中おかし過ぎるだろう。たまたまシード権を持った者が謳歌する世界。同じ時代を生きているのに凡人には跳びぬけた才能もシード権もないから人生の進路なんかそうそう見つけられるわけもなくもがき続ける。何もかもヤル気がなくなってしまった。これからどうすればいい。涙があふれて止まらない。


美緒は僕を心配して会社帰りに毎日のようにアパートに通ってきてくれた。

なのに、美緒にあたってしまう。大人になれない自分に腹が立つ。無気力に膝を抱えるだけの僕を前に美緒は黙って裸になった。駄々っ子をあやすように僕の頭を胸に抱える。僕は力任せに押し倒して、憎しみや怒りのすべての救いを求めるように美緒を揺さぶり続けた。

「痛いよ。そんなに思い詰めちゃダメ。私はここにいるわ」

美緒を感じて、僕の頭の中は一瞬真っ白になって闇に包まれた。


光のかけらすらない闇の中・・・・ここは・・・どこ。

真っ暗な空間 、この生暖かい感触。覚えがある。僕が依然閉じ込められていたことのあるあの場所だ。

「やっと本音を話せたね」

声がする。

「誰?」

「僕はキミ。キミの中の心だよ」

「何を言ってる。ここはどこだ」

「何をそんなに怯えているの」

「答えろよ!」

「キミはそうやって世の中の矛盾や怒りを全部受け止めて苦しんじゃう。人には裏表があって、どんなにいい人に見えても陰口の一つや二つ言われるものだろう。だけどね、キミのことを悪く言う人は誰一人いないじゃないか。キミは不幸なのかい?」

「それは詭弁だ。何の取り柄もシード権も持たない人間は、負け組のレッテルを貼られて平凡に生きることすらままならない世の中じゃないか。」

「シード権なら持ってるじゃないか。金や名誉や異性よりも『人を笑顔に導く権利』をキミはあの時に選んだんだ。それこそがキミのシード権。キミはその使命を自分で選択して生まれてきたんだから。」

「あの時?!」

「そう、記憶がないのも無理ないよ。あれはキミがこの世に生まれる前の母親の体内での出来事。胎児の時のキミなんだから。人はみな「生」という権利を授かると平等に命の丘といわれる場所で世の中に生まれ出る準備をしながら順番を待つんだ。そして生き抜くための最後の試練として暗闇の中で自力で自分の運命を探し出す。臍(へそ)の緒という命のストローを選んでね。

そこで掴んだものこそがシード権。シード権を選ぶということは同時に親を選ぶということなんだ。」

「そんなあ・・・」

「人と比べる必要がどこにある? あの時、数本の臍(へそ)の緒の中から誰もが好む幸せのミルクシェイク味を選んだのは紛れもないキミ 。キミが描く理想とは違う環境や形に見えるかもしれないけれど、その中でキミは自分の掴んだシード権を使って立派に生きてるじゃないか」

「比べてるんじゃない。認めて欲しいだけなんだ!」

「大丈夫。みんなが見ているよ。ほら、笑ってる」

一面が真っ白になってこれまでバイトのイベントで出会った人たちの笑顔が走馬灯のように映し出された。

「・・・みんなぁ」


安心感と共に緊張から解き放たれたように我に返って美緒と体が離れた。

どうやら美緒とつながったまま一瞬意識が飛んでしまっていたようだ。


何かの意図で故意に消されていたと思っていた光の中で救い出されたあの時の記憶は、事件なんかじゃなかった。

美緒と深くつながったことで潜在意識の中で時間を逆行して子宮と交信ができたのだろうか。

前にも何度か美緒を抱いた時には記憶が飛んでいることがあったが、快感のせいだとばかり思っていた。

美緒は特異体質なのかもしれない。


今、美緒は僕の横で気持ちよさそうに寝息を立てて毛布にくるまっている。

もしかしたら将来の家族になるのかもしれないと思った。

気分は快晴の空のように清々しく軽やかだった。人を羨んでもはじまらない。僕にもシード権はちゃんとあった。

「僕はいいです 」

なんてもう言わない。今度は僕が笑顔になる番だ。

彼は前を向いて歩きはじめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シード権 ~選択の本望~ 神月 無弐 @kamizuki-muni

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ