第69話 汚れた人形
建物が重なり合い、迷路のように入り組んだ街にノアは降り立つ。終盤に差し掛かったジェンガのような街だ。
ノアは行くべき場所を知っているのかスタスタと歩き出して、街の外れにある井戸の前に来た。
井戸の底に着地したノアは、
「こっちかの。」
と言って、口を広げる真っ暗な横道へと吸い込まれていった。
井戸の横道をまっすぐ進むと、ドアすらなくてかつて原始人がすんでいたかのような部屋にぶち当たる。
その部屋にノアが足を踏み入れると、
「これはこれは、かわいいお客さんだ。」
と言って暗がりから男がぬっと現れた。
男は
実際に臭いを発しているらしく、ノアも露骨に眉をひそめた。
「おや、小さなかわいこちゃんもいるね。お茶をだしてあげよう。」
小さなかわいこちゃんって僕のことか? こんなネックレスの僕によく気付いたな……かわいこちゃんというのは謎だが、ネックレスだしかわいいと言えなくもないかもしれない。
クサ男は部屋の奥から茶色く変色した水差しを持ってきて、欠けたコップに泥水のような液体を注いだ。
「どうぞ。」
……どうみても人が飲むものには見えない。
3年熟成した牛の小便という感じのお茶だ。もはやお茶なのかすら怪しい。しかも水面がなぜか波立ってるし、ボウフラか何かが泳いでるのだろう。普段の僕なら特に困らず吸収できるだろうが、ノアにはきつそうな飲み物だ。
「いらん。」
とノアはぴしゃりと言う。
「よく気づいたね。これはアールグレイのお茶なんだ。レナのお気に入りの茶葉だよ。」
全然話が噛み合っていない。それにレナって誰だ? このネズミの巣みたいな場所に、他にも誰か住んでるのか?
「せっかくのお客さんだ。今レナを呼んでくるよ。」
と言ってクサ男は部屋の奥の暗闇に消えた。
しばらくして、何かを大事そうに抱えたクサ男が戻ってくる。
「ほら、レナ。恥ずかしがらないで挨拶してごらん。……よくできたね、えらいえらい。」
クサ男がレナと話しかけるそれは、やっとのことで人の形を成しているボロボロの人形だった。カビも生えて黒ずんでいる。ところどころカピカピしてるし、まだ割と新しそうな白い謎の液体も付着していた。
ノアはその人形を無視してクサ男に尋ねる。
「ここにエルメとサスケという二人組が来たはずじゃ。今の居所に心当たりはあるか?」
クサ男はレナと呼ぶ汚い人形と少し相談して、
「……うーん、お客さんはいっぱいくるからなあ、誰が誰だから分からないや。」
と言った。
どう考えてもこんなところに客が大勢訪れるとは思えないが、こいつは何を言ってるんだろうか?
「そうか。もうよい。……幸せに暮らせよ。」
と言ってノアは暗い地下室をあとにする。
「ありがとう。僕たちはいつも幸せだよね、レナ。」
というクサ男の独り言だけが部屋に残った。
井戸の外に出てようやく太陽の下に戻ってきたところでノアが言う。
「あいつは全てが美しい少女に見える幻覚魔法を開発しておったらしい。そして、その魔法を自分自身にかけた転生者だと手紙に書かれておった。……あいつは駄目じゃ。話が通じん。」
……。
頭のイカれたやつだとは思ったが、そういうことだったのか。
あいつにはあの汚い人形がどのように見えていたのだろうか? 僕には部屋にあったら一秒でも早く捨てるものナンバーワンだが、あいつにとっては大事な人だったのかもしれない。
自分自身に幻覚魔法をかけるのは、確かに誰にも迷惑をかけない合理的な方法ではある、と僕は思う。むしろ僕のような臭くて触れるだけで人を傷つけるような触手野郎こそとるべき方法なのかもしれない。
だが僕はやりたくない。
ミーナやノア、それにクルルとかと出会う前の僕なら自分自身に喜んで幻覚魔法をかけたかもしれない。今となっては、彼女たちとまともに会話すらできなくなるのはごめんだ。今もまともに会話できているかは怪しいけど、ミーナをちゃんとみないで幻覚に向かって喋り続けるのは嫌だ。
僕は名前すら知らないあのクサ男の決断を、否定はしない。ただ、僕はそうしないというだけなのだ。
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