4. 発表会
「あら、あきらくんのママ。おはよー」
「あ、めいちゃんママ。おはよ~…ふあぁ」
「どうしたの? 眠そうね」
「んー、あのね。あきらが1週間ぐらい前からずっと、夜中まで寝ないの。何かに熱中してて。それでこっちも寝不足になっちゃって…」
「あはは、あきらくん元気ねー」
「それで、あきらが寝るようパパに説得をお願いしたんだけどさー。今度はパパまで、寝なくなっちゃって…ふたりで熱中してるの。もう、いやんなっちゃう」
「ふふ、そうなんだ、大変ね。あれ、あきらくんは?」
「ヒナちゃんと一緒に中に行ったよ。ほら教室の真ん中に並んでる」
母親たちが教室の中へ入ると、そこには先生の前で行儀よく、列を作って座る子供たちの姿があった。
今日の発表会を前に、保育士たちが子供におさらいの説明をする。
「はい、その次はたいよう組さんたちの、カラーペーパーの作品発表をやりますーす。みんなちゃんと色紙、持ってきてるかなー」
「はーい」
男女混ざった、子供たちの元気な声。発表が待ちきれない何人かの子は、自分の作品をカバンから取り出し始めた。
周りの友達をつかまえ、互いに見せっこを始める。
「どう、俺のすごいだろ!」
「私の見て!」
そんな楽しそうな声がするなかで、ヒナは自分の赤いペーパーを取り出して、手に持っていた。
中央に映るオシロイバナを覆うように、緑のクレパスで葉の色をつけ、ピンクの色を付けた綿の雲をあしらっている。
何とも女の子らしい作品に仕上がっていた。誰かに見せれば褒めてもらえる出来なのだが、ヒナはそうしなかった。
むしろ落ち着かない様子で、きょろきょろし、しきりに背後を気にしている。
理由があった。ヒナは見てしまったからだ。あきらの
もういちど、嘘であればいいと、振り向いてみる。
やっぱり変わらない。体育座りで膝に手を組むあきら。彼のつま先の前に置かれている物は、彼のカラーペーパー。
もちろん先生からもらった時の緑と、紙の色は変わっていない。しかし変わっていないのは、それだけでは無かった。
カラーペーパーには地の色以外、まったく色も飾りも付けられておらず、いわゆる白紙の状態だったのだ。
ヒナはあきらの様子を、ドキドキしながら見ていた。まるで自分が宿題を忘れたかのように、ぎゅっと手を握り、本気で心配していた。
そこまであきらを気にするのは、友達を心配する優しさと、少しだけ芽生えていた、幼い恋心のせいもあった。
「あれ、あきらくんの…」
恐れていたことがおきた! ヒナ以外の子が異変に気づいたのだ。
「せんせー、あきらくん宿題を忘れていまーす」
子供の無慈悲な残酷さで、小さな悪魔はあきらの失態を、公然と暴露した。
「えー!」
途端に騒ぎが始まった。あきらの周りに子供の輪ができ、口々に非難を始める。
「まじかよー」
「信じられないよねー。色塗るだけで、簡単なのに!」
騒動の中心にいるあきらだったが、まるで動じた様子がない。そのまま膝の前で手をつなぎ、前の一点を見つめ、しらん顔を続けていた。
ついに保育士がやってきて、騒動をおさめた。男の保育士は手を振り、周りの子供達を解散させる。そうしてから、あきらの前にしゃがんで小さく、こっそりと言う。
「なあ、あきらくん。大丈夫だよ。飾りが無くたって、絵が出てくるんだから。動物の名前を言うだけでいいんだよ」
どうやら先生も、宿題を忘れてきたと決めつけている様子だったが、あきらは何も言わなかった。
発表会は、終盤を迎えていた。
「はーい、タカくんの作品でした。立派なトンボさんに、大きな空が書いてあって、とても素敵でしたねー」
男の子は拍手に送られ、満足げな表情を見せた。自分の椅子に帰る途中で、仲間の男の子たちに、ガッツポーズをして見せる。
「次は、最後の発表になります。では、あきらくんです。どうぞー」
保育士の呼び出しがあり、あきらが簡易的に作られた舞台袖から出てきた。親と先生、そして子供たちの、まばらな拍手が鳴る。
あきらは練習したとおり礼をすると、中央まで歩いてきた。手には丸めたカラーペーパーを持っていた。事情を知っている同じ組の子供たちが、客席で指をさし、クスクスと笑っている。
ひとりだけヒナが、見ているのが辛くなり、うつむいていた。
「では、あきらくんの作品を見てみましょう」
本当は子供本人に題名や作った感想を言わせるのだが、司会の先生は事情を伝えられており、早めに終わらそうと省略した。
「お題は『ニホンアマガエル』です!」
皆の態度が示すとおり、その発表は失望で終わるはずだった。
しかしあきらは、この会場の誰もが予想しない行動を取った。
彼はいきなりその場にしゃがみこんだ。正座の姿勢のまま、カラーペーパーを自分の前の床に置いて、前かがみになった。
そしてその紙を、おもむろに折りたたみ始めたのだ。
親も子供も先生も、全員が固まった。司会すら、声も出ない。何が始まって、どうなろうとしているのか、誰にも分からなかった。
すぐに各席でざわつきが始まり、混乱の度合いが皆の会話に表れる。
「あきら、何してるんだ?」
「おい! あんなに何回も紙を折って…からーぺーぱーを壊してるぜ!」
「宿題を忘れたせいで、おかしくなったのか?」
「せんせー、あきらくん、玩具を壊してます!」
会場中で、困惑と疑惑とが入り乱れていた。
その騒ぎを聞き、ヒナもすぐに顔をあげた。
「あきらくん…」
少女にもあきらの意図は全くわからなかった。けれど、舞台にいるあきらの顔は決して
むしろここ最近見たことがないぐらい、真剣に見えた。
保護者席でも混乱が起こっていた。
「ね、ねえ…あきらママ! あれ…何をしてるの?」
「あきらくん、今日少し、変だった気がするんだけど?」
「ちょっとぉ、ママが助けてあげた方がいいんじゃない?」
口々に責め立てられる、あきらの母も、どうして良いか分からない状態だった。
やがて人々の騒ぎがピタリと収まった。
あきらが自分の作業を終えたのだ。
彼はすっかり小さく折り畳まれ、形の変わった
手の上で伸ばし、形を整え、再び床に置く。
「できました」
あきらが宣言した。
大人たちも子供たちも、目を瞬いて、出来上がったものを呆然と見ていた。
それは紙でできたカエルだった。
もちろん生きてはいない。けれど確かに1枚の四角い紙を使い、不思議な折り方をして出来上がった、緑のカエルだった。
あきらはしゃがんで、紙でできたカエルのお尻を、人差し指で撫でた。それはぴょんと、前に小さくジャンプした。
「ニホンアマガエルです」
そのひと声がきっかけとなり、せきを切るように場の全員が喋り出した。
「あれは何だ!? 見たこと無いぞ!」
「新しい玩具? ホームページには乗ってないぞ?」
「カエルだって…ありゃ、ただの紙だよ!」
「はは、何だよあれ。ニセモンじゃないか! からーぺーぱのカエルのほうが、ぜんぜん本物じゃん!」
客席から上がる声の9割は、苦笑やため息など、称賛には程遠いものだった。
その批判があまりに酷いので、ついには何人もの先生たちが、子供たちの間に入り、フォローしだす始末だった。
「み、みなさーん、ご静粛にー。あきらくんの発表でした! 拍手をお願いしまーす」
司会の声が響いた。
大人たちは顔を見合わせ、まあ仕方ないといった様子で、手を叩き始めた。
あきらのママは、どうしようもない表情のまま赤面し、ひたすら下を向いていた。
けれど、ヒナだけは違った。少女はまだ舞台を見ていた。
「あきらくん…」
あきらはそのまま、前を向いていた。顔は伏せていない。彼は恥ずかしさなど、微塵も感じていない様子だった。
そして瞳の中には、これから起こそうとする、何かへの強い意志が見て取れた。
だからヒナは、それを信じて大きな声で叫んだ。
「先生、待って! あきらくんの発表、まだ終わってないから!」
「え?」
司会の先生は、驚いてヒナを見た。そのせいなのか、マイクの角度が変わり、スピーカーから激しいハウリング音が響いた。
たまらず観客たちは喋るのをやめ、拍手を中断して耳を塞ぐ。
その結果、再び場が静かになった。
用意されたようなこの時を割って、あきらが喋り始めた。
「僕はこのまえ公園で、あるおじいさんに会いました。僕はその人に、この色紙の本当の使い方を教わりました」
あきらは緑色の紙のカエルを持ち上げ、立ち上がった。皆に見えるように、右の掌の上を開いて、その上にポンと乗せる。
「そのひとつが、このカエルです。1枚の紙を決まった方法で折ることで、本当にたくさんの形を作ることができます」
あきらはポケットの中から、すでに折り上げた別の色紙を取り出した。今度はそれを左の掌に乗せる。
水色の小鳥と白いウサギだった。どれも直線を基準にして形を成している。ただ何回も折って、開いて、切って、作られていた。写真でも図鑑でも、本物を見たことのある者なら、容易に元の形が想像できる、不思議な紙の細工だった。
「そして僕みたいな子供にも、作れるんですよ」
最初は笑っていた皆が、その幾何学的な細工の見事さと、あきらの話を聞いて、だんだんと惹き込まれていった。
「そして、僕は最後に不思議な言葉を教わりました」
あきらはにこっと笑った。
「それがこの紙の本来の力。僕らはこの子たちに、命を吹き込めるんだ」
そして彼はそっと、その言葉を唱えた。
「オリ・ガミ」
しゅわっと、あきらの掌の上で星が弾けた。
さきほど取り出されたカラーペーパーの細工たちが、みるみるうちに光りだした。
最初に変化が起こったのは、緑のニホンアマガエルだった。
紙の外側の形を
光が強くなると、そのぶん周囲が暗くなって、カエルの色紙本体は見えなくなっていく。いつしかその姿は、一筆書きのように、縁取りられた光の線だけになった。
他の小鳥や魚も、同じように縁取りの看板のようになり、それぞれの色を放って、あきらの掌の上に、浮かんでいた。
やがて次の変化が起こった。直線が徐々に曲がり出した。その線は自然が生み出した、なめらかな線へと変わっていく。
その変化が、カエルの目にも足にもお腹にも、あらゆる部分に起こっていく。
急に光がぱっと消えた。しばらくの間、人の目には残像の線しか見えなかった。
目が慣れてくると、そこに何かがうごめいていた。
『ケロケロ』
静寂をやぶって、カエルの鳴き声が響いた。
あきらの右手に乗っていたのは、小さな緑色のアマガエルだった。
粘膜に覆われた目のテカリ。黄緑色の水に濡れた肌の質感。小さく上下する喉の下の皮膚。
それはただの平面の映像ではない。どの角度から見ても、本物のアマガエルにしか見えなかった。
あの紙でできていた姿が嘘だったかのように、カラーペーパーは、生き物そのものに変化した。
『わお! こりゃいいや。なあ、あきら。今度の変化は楽しいな。俺も動きやすいぜ』
あきらのPAが、ごきげんな声を出した。
「これが僕のほしかった本当の色紙です。だって誰でも、どの色でも、自分が欲しいものが作れるんだから」
「あきらくん、すごいよ!」
皆が固まっていた中、ヒナがひとり、嬉しそうに拍手をした。
あきらの左手でバサバサと羽音がした。掌で生まれた小鳥が、音に驚いて教室の天井へと飛び立ったのだ。
身をかがめたあきらは、床の上に左手を差し出し、乗っていたウサギを床に離した。
ウサギは人々を気にすることなく、客席の通路へぴょんぴょんと跳ねていった。
それがきっかけとなって、周りから大きな拍手がおこった。びっくりするぐらい、大きな音だった。
途端に、舞台の上のあきらは、飛び出してきた園児たちの一団に囲まれた。
「すごい! あきらくん!」
「ねえ、ねえ! 僕にもあのカエルを教えてよ!」
「私はお花!」
「ちょっと、私が先!」
あきらはカエルを落とさないようにしながら、園児たちを抑えるのに、必死だった。
保育園の先生たちは、あまりのできごとに、自分たちの仕事を忘れて、ただ立ち尽くしていた。
「あ、あれ? カラーペーパーって、あんな事できたっけ? ねえ…先生?」
「え…は、はい! あ、あの…説明書…説明書…」
マコ先生は、ありもしない機能の説明ページを、ただ呆然と探していた。
こんなことになってしまうなんて――
教室の隅で、金紙と銀紙を手に、ひろとタカは居心地の悪い思いをしていた。
あれだけ子供たちを惹きつけていた、自分たちのキラキラの色紙が、途端に価値のない物に思えたからだった。
「…なんだよ!」
タカは不貞腐れ、自分の金の色紙をグシャグシャにして、部屋のゴミ箱めがけて投げ捨てた。
そういう時に限って、狙いは外れるものだ。紙はゴミ箱の縁で跳ね、コロコロと転がって、床に止まった。
その様子を見ていたあきらが、ゆっくりと歩いて来て、丸められゴミとなった色紙を、拾い上げた。
「ねえ、タカくん。色紙を使えば、すごく大きなクワガタムシとかトンボが作れるんだって。2枚の紙を組み合わせるみたい。だから今度いっしょに、おじいさんの所に、折り方を習いに行かない?」
それを聞いたタカは、ひろと顔を見合わせた。彼らにとって、もう別に紙の色へのこだわりとかは、どうでも良くなっていた。
「おお、いいぜ」
タカはうなずいた。そしてそれを聞いたあきらも、笑みを返した。
『おっと、こっちにもお客さんだぜ、あきら。まったく人気者だな』
掌から移動したカエルが、あきらの肩の上から喋りかけた。
あきらはその声を聞いて、振り向いた。
「ヒナちゃん…」
ヒナは級友たちがあきらの周りから去るまで、話しかけるのを遠慮し、待っていたのだった。
「はっぴょうかいのあきらくん、すごかったよ。ヒナ、驚いちゃった。これでタカくんたちとも、仲良くなれるね」
言葉ではあきらを応援していたが、ヒナの表情は何だか淋しげだった。
2人の間に、気まずい沈黙が流れる。
「じゃあヒナ、帰るね。あきらくん、バイバイ」
踵を返して立ち去ろうとするヒナの足を止めたのは、あきらの
『ヒナちゃん。俺の主人が、君に何か言いたいってさ』
ヒナは驚いて、あきらの顔を見た。
あきらは照れくさそうな顔をして困っていたが、ついに、指で頭を掻きながらヒナに口を開いた。
「オシロイバナ」
「え?」
「その赤い紙に映っている花のことだよ。それも色紙で折れるんだ」
「そうなの?」
「うん…でね…」
あきらは続けられなくなって、床の上の自分の親指を眺めて、もじもじとしていた。やがて決意して、ヒナに右手を出した。
「そのおじいさんが言ったんだ。『自分が色紙を上手に折りたかったら、人に教えることも上手になるのがコツだよ』って。だからヒナちゃん。あっちで僕に、オシロイバナの折り方を、教えさせてくれない?」
あきらの言葉は、じわじわとヒナの胸に染み込んでいった。冷たかった胸の奥が、じんわりと暖かくなった気がして、少女は嬉しさに、瞳を輝かせた。
「うん!」
ヒナはあきらが差し出した手を、両手でぎゅっとつかんだ。
2人はそのまま、級友たちが集まる、教室の奥へと歩いて行った。
『どうやら俺の記憶、消されなくて済みそうだな』
奥の方から、ニホンアマガエルがケロケロと笑う声が聞こえた。
(イロガミ おわり)
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