2. ニホンアマガエル



「はい、これ。あきらくんの分ね。発表会までに、好きな色とか模様でかざってきてね」


保育士がやってきて、正方形の紙を差し出した。


その手にあった色紙カラーペーパーを見ても、あきらの表情は冴えなかった。


じっと見つめること5秒。ようやく先生から色紙を受け取った。


あきらに渡されたカラーペーパーは、単色の黄緑色。薄くて1枚の何の変哲もない紙片だった。


寝汗で濡れたシャツを着替える為、あきらはいちど色紙をフローリングの床に置いた。


新しい上着を懸命に引っ張って、袖口から大きな頭をずり出した。ズボンをたくし上げ、シャツを中に入れる。


着替え終えたあきらは、木の床にペタンと座り込んで、カラーペーパーと睨めっこをしていた。


やがて緑の紙に手を伸ばし、つまみ上げる。両手で持ち替え、お腹の高さにかかげた。


「でろ」


あきらは無感情に言った。


言葉をうけて、緑の紙の表面がフワリと波立った。中央で起こった小さな波紋が四角い紙の全体に広がっていき、端まで染み伝わって、消えた。


やがて間をあけて、中央に光の粒子パーティクルが浮かび上がった。最初は1つ、次に2つと増えていき、やがては数えられなくなる。クルクルと星たちが渦を作り始めて、最後にピカッと光った。


光はあきらの瞳に反射したが、彼の表情に驚きとか感動の兆しはなかった。


粒子が何かを形作っていく。それが完成に近づくにつれ、明るかった光は徐々に消え失せた。


先ほどまで何もなかったカラーペーパーの中央に、黄緑色の生き物の姿が、浮かび上がっていた。


『ケロケロ』


それ・・がけたたましく、鳴いた。


あきらはうんざりとした様子で、その――生きていない――生き物を見て、ため息を漏らした。


『カラーペーパーの世界へようこそ。この映像および音声素材は、子供の未来を創造するマデル社がお届けします』


生き物の映像が水平にゆっくりと回り出す。あわせて女性の声で生態の解説が始まった。


『ニホンアマガエル。20XX年に絶滅。大きさは2センチから4センチぐらい。オスよりもメスのほうが大きく…』


「すきっぷ」


ぶっきらぼうなあきらの声で、女性の声が消えた。ゆっくりと回っていたカエルの映像が、背を向けて止まった。


なんせあきらはその解説を聞き飽きていた――内容を覚えてしまう程に。


その時、不愉快そうな声が聞こえた。


『おい、いつも言うことだけどな。《かいせつ》はちゃんと最後まで聞けよ』


それはカラーペーパーの中央に浮いている、映像のカエルが喋りかけてくる声だった。


『まったく、あいかわらず、俺の言うことを、聞いていないんだな』


あきらに背中を向けていたカエルは、懸命に手と足を動かして、自分の位置を修正した。3度目の水平回転でようやく正面を向き、あきらと顔を向き合わせた。


「なんだよ、またおまえか」


せっかく視線を合わせたカエルの苦労も顧みず、あきらはそっぽを向いた。


「もういい、お前とは、しゃべりたくない」


『つれない事を言うなよ、《ぼっちゃん》』


「ぼっちゃんって呼ぶの、やめろよ! みんなにからかわれるんだから」


『へぇ。じゃあ、ヒナちゃんみたいに、《あきらくん》って呼べばいいのかい?』


カエルは皮肉たっぷりに言って、ケロケロと笑った。アマガエル特有の目の横の縞模様が、ピクピクと動いた。


「うるさい!」


あきらはかっとなって、このたちの悪いカエルの映像を睨みつけた。


けれどイライラとする気持ちは全然、おさまらなかった。


マコさんがいけないんだ! あきらはこの前も、保育士の先生にお願いしたばかりだった。



「マコさん! ぼくの【ぴーえー】のきおく、はやくキレイにしてよ!」


「あー、あきらくんのね…え、えーと、ちょっと待ってね…説明書…説明書…えーっと、ここの所を押して…」


保育士の喋りと手つきが、どんどん怪しくなる。あきらの目が疑いの光を帯びていく。



ここ近年の教育玩具のほとんどは、標準でPA(パーソナライズド・アシスタント)機能に対応していた。


子供は一般的に、気に入ったおもちゃを見つけると、より長い時間かけて遊ぶ傾向がある。


そして男の子も女の子も、個人ごとに独自の遊び方を発見したり、自分とおもちゃだけの会話を楽しんだりするものだ。


ひとりの時間が長い保育園の子らにとっては、特にその傾向が強くあった。


この「個人の遊びの記憶」の方が、玩具自体の機能より大事だというのが、今の教育玩具業界の通説になっていた。


それを実現するのが、PAの役割になっていた。


玩具が子供と会話できるのは当然の事だが、PAがあれば、その遊びの記憶――会話や映像――は蓄積され、買い替えた場合でも、次のおもちゃの知能に、記憶を引き継ぐ事ができた。

(だから新しいおもちゃを買ってきても、子供は寂しい思いをせず、両親はほっとし、玩具業界も売上への貢献を喜ぶのだ)


けれど、あきらにとっては、そんな便利な機能が、邪魔で仕方がなかった。



マコ先生とのやり取りの結末は、いつも決まっている。


「…あ、電話! ごめーん、あきらくん、後でやっておくから!」


前回、そんな約束が交わされてから、もう1週間は経っている。


おかげで、彼が遊ぶどの玩具にも、この憎たらしく、皮肉好きなAIとのやり取りが付きまとった。


特に今日は、マコ先生が休みだったので、あきらは文句も言えなかった。


「きょうもカエル? どうせ緑色なら、たまにはカマキリとか出してみろよ」


あきらは精一杯作った、いやそうな声で言った。


『そいつは、無理だね』


アマガエルはぴしゃりと言った。


『説明ファイルに書いてあるだろ。カラーペーパーは、使う子供と紙の色の組み合わせで、出てくる生き物が決まるんだ。そんなに見たければ、違う色を選べよ。金とか銀はオススメだぜ』


「ふん」


あきらはチラリと部屋の中央を見て、それから鼻を鳴らした。


それと同じぐらいのタイミングで、部屋の中央の方から、子供たちの歓声が上がった。


「クワガタだ!」


「カッコいい!」


「ひろくん、すごい!」


聞こえるのは、称賛の声ばかり。


ひろくんと呼ばれた背の高い男の子は、得意げだった。その手には、金色に輝くカラーペーパーを持っている。


彼はサービス精神を発揮して、両手をあげて、映し出された映像を仲間の園児たちに見せていた。


金色の紙の上には、かつて南の国に生息していた、金色に輝く美しい、クワガタの映像が映し出されていた。


『オウゴンオニクワガタ。20XX年に地球上より絶滅』


そして、さらにもうひと歓声が、すぐ隣りであがった。


「大きい! それにキレイなトンボ!」


「タカくん! みんなに見せて」


力の強そうな肩幅の広い男の子が、同じく銀色の紙を頭上に掲げていた。


紙の上に浮かんでいるトンボは、ひときわ立派な体を持ち、尾の付け根あたりに、美しい水色の筋が入っていた。


『ヤンマの仲間、ギンヤンマ。20XX年に絶滅種に指定』


クラスの大半の子供が集まるなか、あきらはぽつんとひとり、ロッカーのそばに座り込んで、その様子を表情無く見つめていた。


『あーあ、だから言ったのに。今回もあいつらに、いい色を取られちまった』


アマガエルの冷やかしに、あきらは特に応戦しようとしなかった。


拍子抜けしたカエルは、四本の指のついた右の前足で、自分の目の回りを拭き始めた。


園児とカエルのAIは気づかなかった。その彼らの背後から、昼寝の時に声をかけた子が、ゆっくりと近づいてきた。


同じたいよう組の女の子、ヒナだった。


「わあ、あきらくんのアマガエル、かわいいね」


ヒナの褒める声は、あきらの肩の後ろから、覗き込むように届いた。


カラーペーパーに表示された緑のカエルを見た少女は、心底羨ましそうにしていた。


あきらはヒナをちらりと見たが、答えようとしない。


代わりに彼のカエルが、照れたように言った。


『へへ、ありがとう。ひなちゃんは、何をもらったんだい?』


「ヒナはお花。オシロイバナ、だって」


嬉しそうに笑い、手もとのカラーペーパーを開いて、2人に見せた。


緑の葉に、ラッパのような形をした花びらを持つ植物が、その場に回っていた。


『へぇ、赤色の紙に花か。女の子らしくて、いいね。そうだろ、あきらくん・・・・・


「…ああ、そうだね」


カエルにうながされて、あきらは渋々、返事をした。


そんな浮かない様子の友達を見て、ヒナは何か言いたげな素振りを見せた。


いったん止めて、少し考えてから、再度口を開く。


「ヒナ、ほんとうは、金とか銀の紙が欲しいの。なのに、いつもあの子たち2人が、先に取っちゃうでしょう?」


少女は腕を組んで、怒ったポーズを取った。


「だからこんど先生に言おうと思ってるの。私たちにも、ちょうだいって。もしもらえたら、あきらくんにもあげるね」


その台詞は、あきらの気持ちを考えたもので、早熟な女の子が考えた、お姉さんらしい優しさだった。


けれど残念なことに、あきらには真意が通じていなかった。


「いらないよ。僕はあんな色の紙に、興味ないんだから」


あきらは自分の色紙もそのままにして、そこから立ち去っていった。


残されたヒナは、とても悲しそうな顔をしていた。


『馬鹿だな、本当は欲しいくせに…頑固なやつ』


主人に聞こえないよう、ぼそりとつぶやいた後、カエルは喉を膨らませ、コロロと鳴らした。

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