インターミッション・5

恋と煙草と女と女

 「音乃さんもターナさんも不潔です」


 ぷりぷりしながら洗濯物を畳む真琴に、菜岐佐は禁煙パイプを咥えながら付き合っていた。


 今朝方、事後の二人をとりあえず風呂にいれ、洗濯機がまわっている間に正座させて説教をした。

 想い合うのが悪いことだとは言わないが、女子しかいない場所ですべきことじゃない、ターナが男の子だったらこれがどういう意味になるのか理解しているのか、と真琴に厳しく問われてシュンとしてしまった二人に、罰として四人分の朝食を作ること、そしてターナも必ず一品作ること、と申し渡し、音乃が実家から持ち帰った野菜をメインに用意された食卓は、食材の新鮮なこともあって四人の気分を改める切っ掛けにはなった。


 食後、恐縮しつつも楽しげに出かけた音乃とターナを見送ると、菜岐佐と真琴はそれぞれに部屋の片付けなどで時間を潰し、軽く昼食を済ませると、夏の日差しにさらされてすっかり乾いた洗濯物を片付ける頃合いとなっていた。

 散々汚れた寝具の取り込みを、叱られた先輩に任せるなど音乃の度胸も大したものだというところだったが、こればかりは真琴が呆れながらも申し出た結果なのだから仕方が無い。多分、初めてのことを経て何かと浮き立っていた後輩を送り出す先輩の親心、というところだったのだろう。

 ただ、やはり据えかねるものが無くは無いようで、怒りのぶり返したことを思わせる手付きは、付き合いの長い菜岐佐から見てもまだ少し苛立ちが見えるのだった。


 「…しかし、あれはちょっとしたものだったな。愛を囁く、なんて優しいものじゃなくて、愛を叫ぶ、って感じだったものな」


 それを見かねて、菜岐佐が茶化したように言う。

 二人が夜帰ってきた時には、それにも気付かず真っ最中だったのだから、真琴と菜岐佐の受けた衝撃というのも、今思い返しても…。


 「………っ」


 …菜岐佐にとってはまた赤面するのも無理の無い話だったりする。


 「…そうですね。いつかこうなるとは思ってましたけど、ターナさんしばらくいなくなるって話でしたから、まさかお部屋で、とは思いませんでしたけど」


 音乃のシーツとタオルケットを畳み終え、幾分落ち着きを取り戻したような声で、真琴も嘆息する。


 「はい、終わりました。ナギちゃん、お茶にしましょう…どうかしました?赤い顔して」

 「あ、いや…ちょっと思い出して…じゃなくてだな、それより真琴は気付いていたのか?あの二人が、その……そういう関係だということは」


 本心を気取られないことにホッとしつつ、菜岐佐は真琴の言葉の気になったことを訊く。


 「…ナギちゃん」


 のだったが、戻ってきたのはただただ呆れかえった、と言わんばかりの真琴のため息だった。


 「女の子がそういう鈍いのはどうかと思います。音乃さん、春頃からずっとターナさんに好き好き光線出してたじゃないですか。みんな気付いてたのに、ナギちゃんだけですよ、知らなかったの」

 「好き好き光線て…いくつだよ、お前は。って、いや、みんな気付いてた?」

 「そうですよ。ナギちゃんと音乃さんがいない時に話題にもなりましたよ?大丈夫かなー、って」

 「……」


 思わず絶句する菜岐佐。

 夜の屋根の上でえらそうに忠告してた自分が急に恥ずかしくなり、菜岐佐は慌てて禁煙パイプを取り落としてしまう。


 が、それはそれとして菜岐佐にはもう一つ、懸念することがあった。




 末永菜岐佐は、同い年の三津田真琴に恋している。


 そのことに気付いたのはもう去年のことだったが、気風のいい麗人、というキャラに反して菜岐佐は自分の気持ちを抱えて悶々するまま年を越し、やがて進級してもそのままでいた。

 変化が訪れたのは、後輩の樫宮音乃も同じような気持ちを抱えていると知った…いや、自分の抱えている葛藤などとうに通り越していると思い知ってからで、それ以後は積極的に真琴に構うようになり、今回に至っては日を合わせて早く東京に戻ってくることを示し合わせることまで、してのけたのだ。


 そして夜、少し雰囲気のいい店に誘い、気持ちを打ち明けよう…と決心まではしたのだが、そこは長年培った後ろめたさだかヘタレ具合だかが災いし、結局何も言えずに自己嫌悪を抱えて部屋に帰ってきたならば…という次第だった。


 「…なあ、真琴」

 「はい?」


 とはいえ、後輩があーまで先に行ってしまっては先輩の矜持に関わる。

 こういう話題になったのを幸いと、菜岐佐は意を決して訊く。


 「お前は…その、なんだ。女同士で…っていうことに抵抗があったり…するか?」

 「?えっと、音乃さんとターナさんのことですか?」


 それはちょっと菜岐佐の問いの意図とは違ったのだが、訂正する度胸もなく、仕方なしに頷いて先を促す。


 「…そうですね、二人とも好き合っているなら別に構わないんじゃないですか。どちらかが一方的に、っていうのなら感心しませんけど、あそこまで仲がいいのなら、他人がとやかく言うことじゃないと思いますけど」


 しばし考え込んだ後に返ってきた、ごく一般的な論評に、菜岐佐はうーんと唸って項垂れる。

 聞きたかったのはそういうことと違うのだが、と。


 「どうかしましたか?ナギちゃん」

 「え?…っと、おい、真琴」


 そんな菜岐佐の反応を訝しんだか、真琴はにじり寄って下の方から顔をのぞき込む。

 ごく薄い化粧の香りが菜岐佐をドギマギさせ、距離の近いことに慌てて菜岐佐は、思わず仰け反って体を離すのだった。


 「また顔が赤いですよ。熱中症…ってわけでもないでしょうけど、何か冷たいものでも作りましょうか?」

 「あ、ああ…いや、いい。大丈夫だ」


 全く。初心な生娘じゃあるまいし…と思って菜岐佐は気を落ち着かせようとするのだが、生憎と菜岐佐は男を知らなかった。

 いや、高校生の頃に付き合いはあったが、長続きしなかっただけのことだ。

 真琴は…と思うと柄にもなく嫉妬にかられる気持ちもある。

 二人の間でそういった話題が出たこともあり、真琴は高校の頃にはそれなりの付き合いもあったようで、その時に感じたモヤモヤした気分を自己分析したら自分の気持ちを自覚した…などといったこともあったが。


 「そうですか?気分が悪かったら言ってくださいね」


 曖昧に頷く菜岐佐を気遣わしげに見やり、真琴は畳んだ洗濯物を仕舞いにいく。


 「真琴!」


 その背中を見てつい、菜岐佐は声をかけてしまった。なんと言えばいいのか、決めてもいないうちに、だった。


 「はい?どうしました、ナギちゃん。やっぱり冷たいものいります?」

 「そうでなくて…ああ、うん。真琴、な。聞いておきたいことがあって」

 「はい。なんです?」


 歯切れのわるい言葉をかけられ、それでも真琴はほんわかと応じている。

 そんな姿を見ると、やっぱり好きなんだよな、この子が…と思わずにはいられない菜岐佐だ。


 「その、なんだ。えっと…真琴はさ、ああ、うん…女同士とかいうのは…どう、思う?」

 「それさっき聞きましたよ、ナギちゃん」


 しまった、と思ったがもう引き返せない。

 考えるより口が先に動いているのを自覚しつつも、菜岐佐はそれを止められなかった。


 「いや、真琴自身が、だ。自分がそうなることとか…考えたことって、あるか?」


 「………えっと」


 殊の外、真剣に見えた。

 といって菜岐佐についてどうのこうの、と考えているようにも見えず、針のむしろに座らされているような心持ちのまま、時間は過ぎていく。


 「…まあ、好きになってしまったのなら、そういうことがあっても不思議じゃない、って思いますよね。音乃さんを見てると。とても可愛いかったじゃないですか、ターナさんにぽーっとなってた音乃さん」


 (よし!樫宮でかした!)


 …などと思って拳を握りかけて我に返った。

 菜岐佐は別に女性が好きというわけではない。気になる人がいて、目で追っているうちに自覚して、こうなった。

 だから、同じ気持ちになってもらえたなら…と思っていると、真琴は言葉を継ぐ。


 「…ですけど、やっぱり音乃さんとターナさんを見てると、やっぱりまずいなあ、とも思いますよね。、いろいろ差し障りありますしね。えらそうに説教した手前、難しいんじゃないですか?」


 (樫宮ぁぁぁぁぁ…恨むぞ~~……)


 音乃が聞いたらふくれそうなくらい、見事な手のひら返しだった。


 そ、そうか…と、取り繕う余裕もなく落ち込んだ菜岐佐に真琴は、「元気だしてくださいね、ナギちゃん」などと微笑みながら伝えて出て行ったのだが、それにも気付かず胡座のまま菜岐佐は沈み込んでいる。


 (やっぱり駄目なのかな…あいつのように、自分を持って、憧憬する存在にぶち当たれるような強さは私には………ん?)


 と、菜岐佐は真琴の言葉に何かひっかかるものを覚える。

 それが何かは分からないが、もう一度確かめてみる必要はある、いや、今聞かなかったらきっと後悔するだろうと根拠のない確信を得て、真琴を追おうと立ち上がった。

 そして、居間の敷居を踏んだ時だった。


 「きゃっ?!」

 「わっ!…と、悪い、真琴」


 戻ってきた真琴とかち合い、ちょうど抱きとめるような形になってしまう。


 「…どうしたんです?急いで」

 「ああ。ひとつ確かめておきたいことがあった」

 「はい、なんでしょう?」


 菜岐佐よりも大分小柄な真琴の体。

 自分とは違う、女性らしいやわらかさにあてられて、菜岐佐はまた赤面する。


 「…また顔が赤いですよ?どうしました、ナギちゃん?」


 けれどそう言う真琴は、菜岐佐の腕の中で、今度はどこかイタズラっぽい笑みを浮かべてこちらを見上げていた。


 「……今思ったんだけどな。お前もしかして、全部分かってて言ってるんじゃないのか?」

 「さあ?なんのことです?」


 思わず真琴を支えていた手を離し、一歩退いて菜岐佐は大きくため息をつく。


 「あらあらナギちゃん?もう少しやる気出してもいいと思うんですよ、わたしは」

 「やる気って…何の話か分かって言って…」


 いるんだろうなあ、と思う。


 菜岐佐は音乃に言ったことがある。

 簡単に解けない問題のある関係で、相手の気持ちが分からないまま自分の気持ちだけで突っ走ってしまっていいとは思えない、と。

 けれど、音乃はその時、菜岐佐にこう言ったのだ。


 友だちという関係で収めておけない自分の気持ちに、嘘はつけない、と。


 (…まったく。お前はいいことを言ったものだよ、樫宮)


 それで拒まれることだってあるだろう。

 あるいは関わりの全てが壊れてしまうことすら、あるかもしれない。

 そして、それを怖れて引くことだって、一つの勇気だ。

 大事なことは、自分に嘘をつかないこと。それさえ守れば、後悔はしないのだろうと菜岐佐は思う。


 なら、自分のやることは一つだ。


 「真琴」

 「はい、なんですか?ナギちゃん」


 ほんわかと笑いながら自分の名を呼ぶこの女性が、私は欲しい。


 そう思って、彼女の肩を抱く。


 「真琴、あのな」

 「…ナギちゃん。タバコくさいです」

 「………」


 思い切り勢いを削がれた。

 いつも言われてることを、いつもと少し違う口調で言われたから、菜岐佐はなんと言って返せばいいのか、分からなくなる。


 「…実家に帰ってる間は吸わなかったぞ。昨日だってお前の前では吸ってないし」

 「でも今朝はけっこーすぱすぱやってましたよね?」

 「…ええと、あいつらのアレが気になって」

 「ストレス解消にはなるかもしれませんけど、その匂い、わたしは好きじゃないです」


 真琴はそう言って、菜岐佐の腕から逃れた。

 少なからずショックを受け、呆然としているうちに、真琴は言う。


 「そうですね。お話の続きは…ナギちゃんがタバコを止めてから聞きましょう?しかも期限付きです。わたしの誕生日がタイムリミットです」

 「お、おい…お前の誕生日って…来月だろ?!」

 「ですね。あ、あと誕生日過ぎてタバコ再開したら…そのお話の内容は無かったことにします。いいですね?」

 「そんなあ……」


 我ながら情けない声を出す。

 流石に成人してから吸い始めたものだったが、中毒と言われても仕方無い量を毎日吸い込んでいるのだ。

 だから、完全に禁煙するとなると…。


 絶望的な気分で膝から崩れ落ちる菜岐佐の肩に、真琴は手を置いてこう言うのだった。


 「がんばってくださいね、わたしのために。ナギちゃん」

 「真琴、後生だ、数を減らすくらいで勘弁してくれないか…?」

 「だめです」


 取り付く間も無いとはこのことか。そう思いつつも、ストックしてあるカートンで最後にしようと決意する。


 小悪魔のような女性に恋し翻弄される、結構いっぱいいっぱいな二十一歳だった。

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