海へ、行こう・前編

 「楽しみだな」

 「うん、そうだね。ターナが選んでくれた水着だもんね」

 「ふふ、わたしだって音乃が選んだ水着だ。こういうものを着るのは初めてだが…胸が躍るな」

 「着たとこはまだ見せ合ってないもんね…あーもう、早く海に着かないかなあ」

 「気が早いな、音乃は。まだ三人揃ったばかりだろ?」

 「あーそうだね…。で、マキはなんでそんなにぶぅたれてんの?」


 上越新幹線の三人掛けシート。

 窓際に音乃、真ん中のシートにターナが座り、通路側に腰掛けた蒔乃は…足を組んで通路側の肘掛けを文字通りに使い、左手の拳にあごをのせて、「やってられっか」という顔をしていた。


 「だな。連れて行けというから一緒に行くことにしたというのに、マキノもわけがわからない奴だ」

 「ね。あ、そうだターナ、朝ご飯に作ってきたおにぎりそろそろ食べない?」

 「いいな。わたしは音乃の作った方を頂こう。だから音乃は…」

 「分かってるって。ターナの作ったのは、全部私のものだからね。あ、そーいうわけだからマキは私の作ったのを…」


 「いーかげんにしろー!このバカップルどもがぁぁぁっ!!………あ、どーもスミマセン……」


 立ち上がって怒鳴った蒔乃は、E4Maxの二階指定席を半分以上埋めた他の乗客の冷たい視線に晒されて、しおしおとシートに腰掛け、


 「………」


 そして、窓際の席で呆れかえっていた姉を睨み付けたのだった。




 音乃の部屋で一夜をともにした音乃とターナは、会えなかった時間を取り戻さんばかりに、翌日は遊び歩いた。

 たかが十日程度…というべきなのだろうが、とにかくつきあい始めて今が一番楽しい時期だから仕方が無い、と、あきらめ顔で屋敷のとある先輩女子が言ったという話はさておくとして。

 そしてその時に面白半分で入った水着専門店で、互いにこれが似合うだのこれはないわーだのといった、余人の入り込めない盛り上がりの末、いつの間にか新潟まで海水浴に行くという話になった次第だ。


 「…いきなり行っても大丈夫なの?ていうか、マキまで一緒だとさすがに申し訳ないような気が…」

 「行くこと自体は、もしかしたら連れてくるかもとは言っておいたし、カホも音乃に会いたがってることは知ってたしな。ただ、マキノのこともあるし、一応確認してみる」


 しかも、泊まりで、となると宿泊先の問題もある。

 ショッピングの最中にLINEで割り込んできた蒔乃が、「だったらあたしも行く!」などと図々しいことを言い出したのも、頭の痛い問題だった。

 それでも、何とかなるだろ、といつもの調子で電話をかけていたターナを、流石に落ち着かない心持ちで音乃は見ていたのだったが。


 「…ありがとうございます。では、明日の夕方には。はい、失礼します……構わない、とさ」

 「またなんていうか、大らかな人だね…」


 特に揉めた様子もなく、あっさり承諾されたのには、意外を通り越して呆気にとられたものだ。

 ともあれ、居候のターナは別として、その関係者を追加で二人、まとめて引き受けてくれた岩村家の女主人に感謝するところから、二人の夏休みは始まったと言える。




 「…でー、連れてってくれるのは嬉しいんだけどさ、あたしが高崎から合流する前からずぅっとそんな調子だったんじゃないでしょーね?」

 「そんな調子?」

 「だから、そーやって音乃ちゃんとターナがいちゃいちゃいちゃいちゃしてたんじゃないのか、って話よ」

 「…何を言ってるんだ、マキノは」

 「別にいちゃいちゃなんかしてないじゃない。ね?」

 「だな」

 「え……」


 躊躇も照れもなく即答されて、絶句する蒔乃。

 今のがいちゃいちゃでないのだとしたら、これまでの音乃ちゃんとターナは全面核戦争だったよーなものじゃないのか。

 そんな絶望的な顔つきで、何やら談笑している二人を見る。


 なにか、ちがう。

 夏休み初め頃にターナに暴露されて慌ててた姉と、決定的に、何かが違う。それはもちろん、ターナにしても同様で、蒔乃の頭ではうまくまとめることは出来ないのだが、二人の間に余裕のようなものがある。

 腕組みをしてそんなことを蒔乃は考えていたのだが。


 「…マキノ、席を替わろう」

 「え?」

 「あ、そうだね。マキ、真ん中おいで」

 「え、どーいう…」

 「ほら」


 と、立ち上がったターナに強引に席を譲られ、あれ?などと思っている間にシートのテーブルを引き出され、音乃の荷物の中から出されたおにぎりがそこに載せられる。


 「あ、これターナの作ったやつ。上手でしょ?」

 「音乃、別にそんなことは…」

 「最初の頃に比べると上達したんだから、ふふっ」


 少し照れくさそうなターナと、どういうわけか自慢げな音乃。

 自分を挟む二人の和やかな空気にあてられて、蒔乃は俵型のおにぎりを口にした…のだったが。


 「………ターナぁ?おにぎりにワサビ漬けは流石に合わないと思うんだけど」

 「そうか?なかなか美味いと思うのだが…」


 山葵の茎を酒粕に漬けた漬け物の味が広がる口をもにゅもにゅさせながら蒔乃は沈鬱な表情になり、賛意を得られなかったターナは少し残念そうな顔になっていた。



   ・・・・・



 とはいえ、潮風に身をさらせば気分もよくなるというものであり。


 「海ぃぃぃぃぃっ!!」

 「テンション高いな、マキノは」

 「去年は来られなかったからね。私がなんやかんやあって」


 駅に到着し、海の方へ向かうバスに乗る前からウズウズとしていた蒔乃だったが、海の家が立ち並ぶ海水浴場が見えるとガマン出来ないとばかりに駆け出し、視界いっぱいに広がる海を見て、子供のように声を張り上げるのだった。


 「…音乃は泳げるのか?」

 「ふふん、海なし県民を舐めないでよね。子供の頃から家族揃って年に一度は泊まりで海に遊びに来てたんだから。それよりターナは?意外と泳げなかったりして」

 「それこそ舐めるな。故国に海は無かったが、大きな湖はあってな。夏はよく泳ぎにいったものさ」

 「…そっか」


 微かに音乃の表情が重くなる。

 故郷の話などさせてしまったことを悔いてのことだったが、ターナは隣の音乃に軽く肩をぶつけて、そんなことを気にするなバカ、とでも言わんばかりにイタズラっぽい笑顔を向けていた。


 「おーい二人ともー!早く来ーい!」


 そして盆の人混みで賑わう砂浜からは、早くも人並みに紛れて姿の見えなくなった蒔乃の、待ちきれない、といった喜色溢れる声が届いたのだった。




 地元民らしき人に尋ね、女性三人連れで入りやすい海の家を紹介してもらった音乃たちは、荷物を預けて早速水着に着替える。


 「音乃ちゃんおそーい…ってか、なんで今さら水着隠したりするのさ」

 「うっさい。マキに最初に見せるのがもったいないだけよ」

 「…ははあ。ターナにまず見せたい、というフクザツなオトメなんとか、ってやつかあ」


 いち早く着替えて座敷で待っていた蒔乃の前に、続いてやってきた音乃の格好を見て蒔乃は感心したような、呆れたような顔つきになる。

 丈の長いパーカーを羽織った姿はいかにも不慣れな感じではあるが、上衣の裾からのぞく二本の足は、鍛えられたアスリートのものだ。ただ、もともとのスタイルの良さもあって、パーカーのポケットに手を入れてもじもじしている姿は、妹から見ても魅力的な女性と言うのに充分だった。


 「それよりターナどーしたの?」

 「私が出る時もまだなんか迷ってたみたい。まさか水着の着方分かんなかったりして」

 「まさかあ」


 ともの蒔乃の言を否定しきれない音乃である。何せ、こちらの世界で水着になるのは初めてなのだから。


 「…あたし、見てこよーか?」

 「やめときなさい。恥ずかしかったりするんでしょ、きっと」

 「その恥じらうターナ。見届けたい!」

 「あ、こら!」


 と、音乃の止める手もかいくぐって更衣室に駆け出した蒔乃だったが。


 「あいたっ?!」

 「…と、済まない、ってマキノか。こんな場所で走ると危ないぞ」


 ちょうど更衣室から出てきたターナに衝突して、鼻を打つ始末だった。


 「いたた…ターナ胸板相変わらず固く…ないね。おっきくなった?」

 「おかげさまでな。ほら、こんなところでたむろってたら他のひとの邪魔だ。音乃のところに行くぞ」

 「はやく音乃ちゃんの水着姿みたーい、とか素直に言えばいいのに」

 「言って良いのか?」

 「…のろけは勘弁して」


 真剣な顔で言ってのけるターナにあっては、降参するほかない。


 「ま、それよりほら、はやく音乃ちゃんとこいこか。まだあたし二人がどんな水着買ったか教えてもらってないし」

 「あ、ああ。そうだな…なんだかドキドキする」

 「それはどっちの意味で?」

 「決まってる。音乃の水着姿を見るのも、わたしの水着を見てもらうのも、どちらもだ」

 「くっ…ターナかわええ…音乃ちゃんが惚れるのもわかるわぁ…」


 半ば以上本気で言っていそうな蒔乃のそんな発言に、何か間違ったことを言ったのだろうか、と首をひねりながら、蒔乃に手を引かれるターナという態で音乃のもとへ向かう二人だった。


 「おまたせ。さーて、お披露目といきましょーか」

 「…う、うん」

 「…そ、そうだな…」


 二人きりで肌を重ねてみても、それとこれとは事情が異なるらしい。

 蒔乃がにやにやしながら見守る中、人影もまばらな海の家の座敷で三人は、即席の水着ショーということになる。


 「…とはいえさ、このままだと日が暮れるのであたしが見たい方から剥くね。じゃあまずターナ…えい」

 「わぁっ?!お、おいマキノ…かえせっ!」


 といっても手遅れである。

 肩から羽織っていた大きなバスタオルを引っ剥がすと、その下にあった白い素肌があらわになる。


 「おお~…黒のチューブトップにデニム風のホットパンツかー。水着っぽくはないけど似合ってるじゃん。音乃ちゃん、なかなかいいチョイスだー」

 「そ、そうか?その…音乃、どうだ?お前の選んでくれた水着だが…」

 「………はっ?!…ご、ごめん、見とれてた。なんか、イイ…」

 「うん…ありがとう……」


 本気で呆けてた音乃の言葉に、ターナも顔を赤らめていた。

 実際、水着としてはアンバランスだが、スラリとしてバランスのとれた体躯のターナだ。足も日本人離れした長さであるから、ショートパンツでもそこらの半端なモデルなどよりも、足は長く見える。


 「ターナが髪上げたとこ初めてみたけど、それもいいね」

 「ああ、これは音乃に教えてもらった。あまり髪をいじることなどしたことがなかったからな。だが、やってみるとなかなか楽しいな」


 実際は簡単に後頭部でクリップを使ってまとめているだけだが、蒔乃も音乃も背中まで届く髪を下ろしたところしか見ていなかったから、小顔がよけいに強調されるようで、ついまじまじと見つめてしまうのだった。


 「…あまりそう見るな、恥ずかしい…というか、わたしばかりこんな目に遭うのは不公平だ。音乃…?」

 「えっ…あー、その…ターナの後だとなんか気後れするというかね…?」

 「マキノ」

 「いえす、まむ」


 一言でターナの意を汲んだ蒔乃が、音乃の後ろにまわって羽交い締めに抑える。


 「ええっ?!あちょっ、マキなにす…」

 「往生際が悪いぞ、音乃。ほらっ」

 「きゃぁっ!」


 そして、パーカーの裾をつかんで一息に引っ張り上げ、蒔乃もタイミングを合わせて手を離したため、それだけで音乃の水着姿は二人の前にさらされてしまった。


 「…ひゅー。音乃ちゃんだいたぁん」

 「うん、いいな。きれいだぞ、音乃」

 「いきなりひん剥くなぁっ!」


 イロイロと手で隠しつつその場にへたり込んだ音乃を、一方は生温かく、もう一方は眩しそうに見つめていた。


 「ほら、座ってたらよく見えない。音乃、立って」

 「うう…もう少し勿体ぶっておきたかった…」

 「音乃ちゃん図々しー」


 とはいえ、本人がそう言うだけのことはある。

 ターナと違ってこちらはオーソドックスな白のビキニ。標準よりも、やや表面積は狭い方か。

 ただし、ターナよりも、どころか標準よりも出ているところは出ているので、この格好で浜辺を歩いていたらいろいろと注目は浴びそうだった。


 「…けどびっみょーに残念ではあるよね」

 「うるさい。どーせ足太いわよ」

 「いや、足太いのは別にいーんだけどさ…」

 「…うん。それも音乃の魅力だとは思うし、わたしは悪くないと思うがな」


 ターナと蒔乃の視線は、音乃の腹部に注がれている。

 つまるところ。


 「割れてるもんねえ。それほど目立たないとはいえ」


 締まっているのは悪いことではないだろうが、要するにスポーツマン体型に振れていて、ビキニでのセックスアピール的には微妙なところ、という評価なのだった。


 「実際触り心地は、必ずしもよくはなかった」

 「…あれ、そんなに念入りに触ったの?」


 うっかり口を滑らしたターナは、しまったという顔を蒔乃から逸らす。

 それ以上追求する様子も無さそうだったのだが、音乃は慌てて矛先を蒔乃に向けるのだった。


 「うっさい。幼児体型よりはマシでしょ。マキもなんなの、このぷっくりしたお腹はー」

 「ええっ?!そんな言うほどー、って触んないでよ、もうっ!」

 「というか、マキノの水着は、これは何と言うものなのだ?」

 「あ、これ?タンキニっていうんだけど」


 蒔乃がそう言いながら腰回りの布を指でつまんで持ち上げられた水着は、いかにも健康的な女子高生に相応しい、少しフリルの多めな白とピンクで彩られたものだった。


 「そんなの持ってたっけ?」

 「去年買ったんだけどさ、結局着なかったし」

 「ふぅん」


 家族旅行は確かに行かなかったが、友だちとプールにでも行けば良さそうなものだが、そういうこともなかったらしい。


 「ま、これでお披露目も終わったことだし。いこっか」

 「そうだね。ターナ、競争しよーか?」

 「少しは大人しく遊ぶということを覚えろ、この体力バカ」

 「ひどーい!」


 何はともあれ、賑々しく海の家を出ていく三人だった。

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