第48話
”狂戦士の出現した理由について、ターナの知っていることはありますか?”
”いや、そう言われてもな…大体、竜の娘に関して逃げ回っていたわたしが知っているはずもないだろうが”
情けないことを言っている、という自覚はあったが事実には違いない。
音乃にどう思われるか不安になってそっと顔を見てみたが、こちらの視線に気づいて柔らかく微笑んだだけだった。
「……照れるな」
「…ターナを照れさせられるとか、私も進歩したもんだねー」
”…あの、そうやって二人時空を作るのは勘弁してもらえませんか?目の毒なのですが”
呆れられていた。
”…悪い。続けてくれ”
”周りが見えなくなるときがあるものですね、ターナも。さて…狂戦士の出現の経緯ですが、言われているのはいくつかあります。一つは、ひとの血と混ざり合って正しい血統が維持出来なくなったことで生じた狂いというものです。もう一つが…ターナ、あなたはご存じないと思いますが、かつて竜の娘の血の存続が危ぶまれた時代がありました。その時、ときの娘たちと血統の維持を重んじた人の判断で、同族間の婚姻が推し進められた時代があったのです”
血が濃くなる。
それに弊害があることは音乃も知っている。近しい血の間で婚姻や出産が続くと、障害を持った子供が産まれる可能性が高くなる。そんな事象は地球の生物でもあったから、同様のことが起きても不思議には思えなかった。
”確定的に語られているわけではありませんが、その時代に狂戦士が初めて現出したと言われていますから、そのように思われたのでしょう。ですが”
と、マリャシェはここで一度言葉を切った。
口を湿らすように、音乃のいれた茶を飲み干す。すっかり冷めていた。
”…実のところ、そのどちらも正しくはありません。本当のところは、竜の娘が世界に必要とされた理由によるものなのです”
”世界に必要と…された理由?”
”はい。ターナもこれは知っているでしょう?『異世界統合の意思』が現れ、その力を振るって数多在る世界を一つに繋ぎせしめようとしたことに、世界の方からその対抗措置として竜の娘が遣わされた、と”
”まあな。勝手なことをするものだ、と子供の頃は思ったものだが”
ターナの感想こそ勝手なものだ、と言わんばかりにマリャシェは苦笑した。
だがすぐにそれを引っ込めて、話を続ける。
”『異世界統合の意思』は去りました。少なくとも、今在る世界においてかつてのような力を振るうことは叶いません。と、世界が判断したとしたらどうでしょうか。今いる、竜の娘はもう世界にとって不要となるのではありませんか?”
”………”
「……」
それこそ勝手な言い分だろう、と今度は真剣に思う。
必要となったから遣わした。用事がなければ不要と判断?わたしたちは一体何のために…いやそれは明らかだが、要らなくなったから始末しよ…う、……と?
”まさか、とは思うが。狂戦士化とは、不要になった竜の娘を破棄する手段、だというのか?”
「………」
”そういう話もある、ということです。確定的な話ではありません。ですが、はっきりしていることが、一つあります”
”なんだ”
”狂戦士となる兆しの顕れる時、その竜の娘には声が聞こえるのです。『世界に、お前は要らない』と”
”…!!”
「ターナ…?」
我知らず立ち上がっていた。
マリャシェを下に見下ろすターナの顔は、音乃から見ても明らかに青ざめていた。
『世界に、お前は要らない』
その言葉に心当たりがあった。
マリャシェを探して街を歩いていた時に、確かに聞こえたのだ。
狂戦士となる兆しと、その言葉が聞こえることが等しいのであれば。
(わたしも…狂える竜と、なる…のか…?)
「ターナ!!」
体を揺さぶられて我に返った。
気づくと、音乃が自分の顔を下から覗き込んできていた。
「…大丈夫?顔色悪いけど…」
「…うん、大丈夫だ。ありがとう」
受けた衝撃の大きさに比べれば大分落ち着いた声で答えられたと思う。
それでも、肩に乗せられた音乃の手に自分のそれを重ねながら腰を下ろす自分の足が、どこか自分のものではないように思えた。
”…あなたは大丈夫。きっと。恋をした竜の娘にとって世界とは、恋しい相手のことに他なりません。あなたとネノが近しくある限り、あなたにそんな兆しは顕れない。だからターナ。その子を大事にしなさいね”
「……え?あの、マリャシェさん?」
今の言葉は音乃には意図的に伝えなかったのだろう。マリャシェが何を言ったのか分からない音乃は少し焦ったようにマリャシェとターナの顔の間で視線を往復させていた。
”…分かった。言われたことはよく覚えておこう。それにしても…どうしてマリャシェは狂戦士にそこまで詳しい…あ、いや自身がその身であればこそ、か…済まない、詮無いことを聞いてしまった”
”いえ、今までの話は前置きのようなものですよ。本題は…これからですね”
”…マリャシェ?”
「マリャシェさん?」
その黒い瞳が怪しく瞬いていた。
魅入られたように、二人は静かになる。
「………」
”…マリャシェ、何を始める気だ?”
”そう急かさないでください。まず、竜の娘が狂戦士となる理由。それをよく覚えておきましょう”
”あ、ああ……幾つかの説はあったが…世界に必要とされなくなった竜の娘が…その、破棄される、ということだな”
”そうです。そして、出現の時から竜の娘にはそのような仕組みが備わっていた、としたらどうです?世界にとって不要どころか、その力がいずれ害にすらなるだろうと最初から見做されていて、時が経った今、決められていた通りに世界から廃棄されるために、狂戦士として変化してきているのではないですか?”
「…そうだとしたら……酷い話ですね」
”あなたのその感想はあなたのものですよ。世界の方は…要らなくなったもの、危険になったものを切り捨てるだけのことなのでしょう”
”そういう言い方は無いだろう!音乃はわたしたちの身命を惜しんで…”
”世界の方でそう捉える筋合いは無い、ということですよ、ターナ。世界は常に、自身が産み落としたものにさえ、憐憫の一欠片も持ち得ない。ひとの尺度で測った価値など斟酌する理由は無い。世界とはそういうものなのです”
確信でも得ているかのような断言だった。
だが音乃はともかく、生まれてからずっと、竜の娘という存在の在り方に疑問を抱いていたターナにとって、マリャシェの見解に認めるべきところは無い…とは言い切れない。そうして生きてきた結果の形が今ここにいる自分で、隣にいる音乃もその結果の一つに他ならないのだ。
マリャシェの言い切った世界の有り様を否定するのであれば、そのように見做していた自分の生き方をも否定することになる。そして、それでも、それだからこそ得た恋を、自分で否定することになる。
「ターナ」
「え…?」
冷静な声。
それに気がつき顔を上げる。いつの間にか俯き唇を噛みしめていた。血の味こそしなかったが、下唇に痺れるような痛みが残っている。
そんなターナの顔を、ぐいっと力任せに引き寄せて声をかける者がいる。
「ちょっとごめん。こっち向いて?」
「えぁ…?わっ…ね、音乃…なにを…」
「じっとしてて。ほらー、何今になって汗かいてるのー。わたしとレーニが参ってた間も一人だけ涼しい顔してたくせにさ」
「い、いやこれは別に暑くてかいた汗じゃなくて…わぷ」
ターナの額ににじみ出ていた汗を最初は拭いていたが、そのうち顔全体を覆うようにハンカチで拭う音乃だった。
「はい、おしまい。ターナお化粧しないからこのままでもいいよね」
「いや化粧はともかく…もう少し優しくしてくれてもいいんじゃないか…」
「ターナ?あなた悪い顔になってたよ。だからこれくらいで、いい」
「…どういう意味だ、ったく……」
ハンカチを畳んでいる音乃を横目で恨めしそうに見ながら、ターナはマリャシェに向き直る。
何故か彼女は、呆気にとられたような顔をしていた。
”…まあ、いい。それでマリャシェ。わたしはどうすればいいのだ。世界がどーとか言われてもな、結局わたしのやらなければいけないことなんかもっと単純なのだと思う。要は…音乃と、音乃のいるこの世界を守れればいい。それだけだ”
「恋人がすごく単純で心配な今日この頃です。わたしだってね、マリャシェさん。ターナと一緒にいられてターナが酷い目に遭わなければそれで充分です。あとマリャシェさんが辛いことにならないのも大事かな。それになるとターナも悲しむだろうし」
”………”
言いたいことをいってやった、みたいな顔の二人。
そしてそれを見ていたマリャシェは呆気、から次第に愉快そうにクスクスと笑い始め、やがてマリャシェの普段からは想像もつかない、大笑いに変じてゆく。ゲラゲラ、アハハ、カカカ、と。
その異様な笑い方にターナは身を引き、マリャシェに何が起きたのか見極めようと目を眇めて彼女の全身を見つめる。
音乃は、ターナに促されてその背中に下がった。腰を浮かせかけたターナの肩の上からマリャシェを見つめる目には、心配そうな色があった。
ただ、それが報われた形は、二人の本意とは大きく異なるものだったのだろう。
そして次第に、哄笑は収まりゆく。
”アハハハハハハ…ハハ、ハハハハ……はぁ、あー笑った笑った。いや、バカにしたわけじゃないよ。世界に対する恨み辛みはあるだろうにさ、結局自分のコトしか考えないっていう矮小さには勝てないんだな、って感心しただけだね。ホント、人間って奴は勝手なものさ。そうだろう?『竜の娘』”
「………まさかな、と思ったが…とうにマリャシェは貴様に囚われていた、というわけか。『異世界統合の意思』」
「………マリャシェさん…」
【ま、そういうことさ。ああ、僕にとっては簡単だからこちらに変えさせてもらうよ】
「…うっ?!」
音乃が思わず耳を押さえて体を折り伏す。いつか味わったものを思い出してしまったのかと、ターナがその背に手をあてるが、音乃はすぐに何事も無かったように体を起こして、ターナの手を握り言う。大丈夫、あいつに集中して、と。
「…だな」
音乃を庇いつつ、武装を完了させる。
この部屋の中でその姿になるのはいつぞやゴキブリ退治をした時以来だったが、ターナも音乃も冗談を言う気分ではない。
【そう武張った真似はしなくてもいいよ。それにこの女を僕が押さえているうちは、竜として顕れることもない。君たちにとっても悪い話なんじゃないかな?】
「どういう意味だ」
マリャシェ…かどうかは分からないが、少なくともその身姿は彼女のものに相違無く思える。
あるいは乗っ取ったのか。どちらにしても、人質にとられているようなものだ。
【どういう意味もなにも…さっきの話を聞いて大体想像はつくと思うのだけれどね。あれは僕の本心だ。本心から、世界を恨んでいる。それだけだよ】
「ほー。つまりあれか、さっき貴様はわたしに、ボクの悩みをきいてください、とかやってたわけか。これは新鮮な体験だ。我が故国や同族の仇敵に相談されるとか、姉や遠祖が聞いたらなんと思うか教えてやりたい」
【そう雑な煽り方をするものじゃないと思うけどね。まあいいよ、取り方は自由にすればいい】
ち、やはり街の不良やチンピラを相手にするのとはわけが違うな。
内心で舌打ちをする。まあ煽って逆上されても困るわけなのだが、この際ターナの気が済むか済まないか、という違いはあった。
「…しかし、マリャシェの体を掠め取って何とする?我が故国から竜の娘が来るのを待ち構えていたように見受けるが。ああ、そういえば初対面の時も何かそれらしいことを言っていたな」
【その通りだよ。正確には、狂戦士に堕した竜の娘を、だけどね。…ただ、予想外というか当てが外れたというか…力の薄くなった狂戦士が来るとは思わなかったな。当代だと良かったのだけれどねぇ】
当代。
つまり、ターナと同じ世代の、まだ子を成していない長女かその妹のうちの誰か、か。
何人か親交の…親交と呼べるような関係は無かったが、顔見知りよりはマシだった、と呼べる程の関係を思い浮かべる。思わずゲンナリするような者も多かったが、彼女らが狂戦士に堕してこちらへ送られてきて、そしてこの六百年越しの仇敵にいいようにされるのを見るのは、正直ありがたい話ではない。
【当代に拘るのは単に大きな力が必要だから、なんだけどね。まあこの女が送られるという前例を作ったのだし、気長に待つとするよ】
世間話のように物騒な話をするな、コイツは。
思っているうちにマリャシェ…の姿をした「異世界統合の意思」は立ち上がり、部屋を出て行こうとする。
「待て、貴様どこに行く気だ。というかそれなら別にマリャシェの体は必要ないだろうが」
音乃を庇いながらその身で相対する。
背中の彼女はまだ元気。自分の肩に置かれたその手に勇気づけられる。
【必要…はあるよ?まず、僕の本身は子供だからね。この女の体があれば怪しまれずにあれやこれやと出来る。そして、力を失いつつあるとはいえ…竜の娘には違い無い。その力を振るえるというのであれば、僕が手放さない理由になるとは、思わないかい?】
「話にならんな。そしてわたしがそうさせると思うのか?」
【思わないよ、と言ったらどうするつもりだい?】
「決まってる…こうするんだっ…!」
得物を振りかざし、襲いかかるターナ…。
【!……って、どういうつもりだい】
を迎え撃つつもりだったらしい「異世界統合の意思」は、武器どころか鎧までその身から消し、やってられっか、みたいに肩をすくめているだけのターナを警戒した様子で見ていた。
「どーいうもこーいうもない。少なくとも今逆らってもロクなコトにはならなそうだからな。今日の所は見逃してやるさ」
【…素直過ぎて疑わしいのだけれどね】
「バカかお前。音乃がいるのに無茶出来るわけないだろうが。どーせ逆らったところでまた音乃を苦しませるだけだろう。それにすぐマリャシェの身体に悪さするわけじゃないことも分かったんだ。なら今は好きにさせておくのが得策というものだ」
【………ま、信用しておくよ。じゃあね。出来ればもう会わないことを祈るよ】
「意見が合わないものだな。こちらは落ち着いたら早速追いかけるさ。待ってろ」
平行世界に遍く道を徹す、などという想像もつかないことを目的としていた存在にしては…友達同士がケンカ別れするような調子で出て行ったことを、妙にも面白くも思える音乃だった。
そして一先ず口出しはしていなかったが、マリャシェの姿が掻き消えてきっかり十秒後。
「どーすんのよターナぁっ?!」
「でかい声出すな、バカ!」
…耐えきれずにターナに食ってかかっていた。
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