第49話

 「マリャシェさん連れて行かれた…っていうの?アレ…じゃなくって、なんでもいいけど出て行っちゃたじゃないのどーすんのよ!」

 「だからでかい声で怒鳴るなと言ってるだろーがこのバカ音乃!…大家さんが来たらどうする!」

 「…あ」


 ようやく気付いて静かになる音乃だった。

 部屋で大暴れした時の剣幕は、思い出すと未だにターナと音乃の心胆を寒からしめるものだったが、それがゴキブリに対する恐怖かどうかは微妙なところとして、ともかくターナは音乃を静かにさせるところから始めなければならなかった。


 「いーから落ち着け。考えがある」

 「考えぇぇぇ…?ターナのことは信頼してるけどさ、ほんとどーにかしてよ…」


 迂闊に動けないのはお前の身を案じているからだろうが、といいかけて止めた。

 考えてみれば音乃の存在はターナをこの国のこの街に留め置いている理由でもあるのだ。音乃の責任のように言うのはフェアではない。


 「…とにかくお前はこの部屋で待ってろ。マリャシェは今から追いかけてどうにかしてくる」

 「どうにかって…何とかなるの?」

 「……任せろ、としか言えない。あのな、もうわたしはお前に気休め言って適当に誤魔化すとか出来ないししたくもないんだ。本音を言えばそばに居て欲しいが、それをしたらお前のためにならないし、わたしのためにもならないと思ったからこう言っている。だから…ああもう、頼むから言うことを聞いてくれ!」

 「ターナずるい!」

 「ああそうだ!ずるいと思われようが何だろうがお前を危険に晒したくない。納得しろとは言わないが理解しろ。もうそれだけだ」

 「うー……」


 理屈では分かっても感情では分かりたくない。

 音乃の気持ちはターナにも同意出来るから、切り札を出した。


 「…食事の仕度、してる最中だっただろ。帰ったら食べる。だから用意しておいてくれ」

 「……うー、分かった。それが今の私が、ターナの一番役に立てることだってのは分かる。だから…もう、マリャシェさん絶対に連れ戻してよ、なんてこと言わないからせめてターナだけは無事に帰ってきて」

 「それは勿論さ。ふふ、音乃、いい子だ」

 「子供扱いすんな、ばかターナ。…行ってらっしゃい」

 「ああ」


 最後はそれでも笑ってくれた。今はそれでいい。ターナの好きな音乃は、そういう娘だ。


 再び鎧を着装する。

 部屋を飛び出し、マリャシェの後を追った。




 足取りを追うのは殊の外難しくはなかった。

 通行人の認識を集めてマリャシェの容姿を辿れたからだ。こういう時、目立つ恰好は役に立つ。


 ただしターナには懸念がある。

 マリャシェの、竜の娘としての力だ。「異世界統合の意思」がそれを、マリャシェの力のままに扱えたとしたら、その足取りも偽ったものだという心配だ。


 (…あり得る話ではある、が…)


 今のところその姿…目撃情報は途絶えてはいない。遠く離れた場所にまでそれを伝播することも出来なくはないが、それは竜の娘四家系の中でも認識を伝える力においては最強と言える、ターナの四女家でさえ訓練もせずに出来ることではない。

 力を失い始めて久しいマリャシェの力で出来るものなのかは怪しいところだ。増して、本来の自分の能力ではないのだ。「異世界統合の意思」にそこまで出来るものか…。


 結局、賭けに近い。

 それでも他にマリャシェを追う手立ても思いつかないターナとしてはそうせざるを得ないのだ。


 (どうなるかは分からない、が…わたしは音乃の作った夜食が食べたいからな)


 ふっ、と笑みが浮かぶ。

 今のところただ一つ確かなものを認め、ターナはマリャシェの認識を追い、自身の姿を人の認識から消す無意識の作業を続けた。




 「もー少しマシな場所に誘い込めないのか、貴様は…」


 呆れながら言った。

 それはそうだろう、ビアホールで一杯やってるマリャシェの姿、などというものを見せられては愚痴の一つも出るというものだ。それくらいのこと、させてやれなかった我が身の不甲斐なさを省みる心理も無くは無い。


 【何せ子供の姿じゃあ、こんな楽しい場所に出入りも出来ないからね。楽しませてもらってるよ】

 「少しは自重しろ、このドアホ。ったく…」


 川辺に仮設された会場は、熱帯夜に涼を求める人でごった返している。

 なんとなく、故国において似たような場があったことを思い出した。もちろんターナは酒を嗜む様なことなど無かったが。


 【…乾杯しようか?】

 「わたしが暴れられないからといって勝手なことを言うな」

 【つれないな。折角僕の大望の叶う第一歩だというのに】


 いくら追う者のいる身といっても鎧姿は場違いに過ぎる。ターナは除装して、止むなくマリャシェが着いていたアルミ製のテーブル席に相席した。


 「…こんな真似をしているところを見ると、話をするつもりくらいはあるようだな」

 【そうだね。追いかける気を無くさせるくらいのことは、しておきたいからね】

 「どういう意味だ」

 【それなりに衝撃の事実、ってやつを教えてあげようと思ってね。キミ、竜の娘に起こる、狂戦士化って現象をどう思う?】

 「………」


 慎重になる。

 生ビールのジョッキを煽ってアルコールを飲む姿を睨み付けた。マリャシェが酒に強いかどうかは知らなかったが、身体によくないものをそう大量に摂取させるのもどうかとは思うのだったが…。


 「……碌でもない話ということくらいにしか思わないな。世界がどうのこうの言われたところで、それに大人しく従う謂われは無い。子が親のいいなりにならなければならない、という道理もあるまい」

 【健全な発想だねぇ。ま、ひとたび絶望を味わえば考えも変わるかもしれないけど…ねえ、この身体の女が、キミの留守中どうしていたか、分かるかい?】

 「………」

 【僕は待ち構えていたんだ。狂戦士の兆しを示して、この世界に追放される竜の娘が現れるのをね。手を尽くして見つけた時は狂喜したものさ…ただ、キミという厄介な存在が近くにいたから、接触する機会を待った。そしてそれは訪れた。今日のことさ】

 「……くそ」

 【…そう悪いことばかりでもないよ。僕が今日の朝、キミが出かけていったすぐあとのことさ、あの部屋に行ってみたら…この身体の女は苦しんでいた】

 「……なんだと?」

 【キミはバカだなあ、本当に。あのさ、この女は竜として顕現するのを必死に堪えていたことに気付かなかったのかい?きっと毎日、キミが出かけたあとはそうしていたに違いないよ】

 「………」


 返す言葉もなかった。

 顕現するまでにはまだ間がある、自分にはまだ時間はある、その言葉を無条件に信じていた自分を罵りたくなった。あれは、そうであって欲しいと自分が思っていただけで、マリャシェはこの世界にやってきてからずっと、苦しんでいた。

 …ターナが背負うべき苦しみを、少しでも先に延ばしておけるように、と。


 【…既に顕現は始まっていたよ。もしかして僕が行かなければ今頃あの一帯は廃墟にでもなっていたかもしれないね。感謝して欲しいな】

 「……それで、貴様はどうした」


 マリャシェの顔を見ることも出来ず、俯いたまま唸るように声を絞り出す。


 【狂戦士を求めた理由が、それさ。世界に拒まれ、絶望にまみれて起源の姿を顕現させようとしている竜の娘に僕は囁くだけでいい。『僕が、求めよう。世界に拒まれても、僕だけはキミを拒まない』。それだけ。それだけで、絶望した竜の娘の全てが、僕のものになる】


 ……世界に生み出され、世界のために戦い、人に祀り上げられ扱われ、その最後がこれだ。

 竜の娘の身と心は世界の全てに陵辱され、捨てられる。挙げ句、自らの敵に利用されるだけ。


 「………」

 【いい顔だね。身を取り巻く全てのものに絶望した、いい顔だ。あるいは今ならキミも僕の…】


 『ターナ』


 「…あ」


 対面する相手を力なく睨み付けていたターナの脳裏に、声が響く。幻聴か、とも思い、しかしその優しき響きを自分にもたらすのはただ一人しかいないと、知る。


 知って、刮目した。

 目の前にはあるのは、抗ってきて、抗おうと我が身に定めた存在だった。


 「…わたしが、絶望するにはまだ早い。帰るところがある。だから、絶望などするものか」


 【……結構しぶといね、キミも。これだけの話をすれば良い感じに絶望してくれると思ったんだけれど】

 「ふん、残念だったな。生憎と…貴様の助言通り、わたしはわたしの大事に思うものと、思うままに在ればいいだけのことだ」

 【助言?何のことだい?】

 「……何?……あ……」


 ”ターナ。ネノのことを大事にしなさい”


 目の前の姿が、そう言ったように思えた。


 (…そうか、マリャシェ。お前はまだお前として在るのだな)


 ターナの認識に、喧噪が戻って来る。

 大丈夫、まだ追える。負える。音乃も、マリャシェも、それから竜の娘の身に待ち受ける終末も。


 【…あまり愉快じゃない展開になってきたようだね。僕はお暇した方が良さそうだ】

 「そう簡単に逃がすと思うか?」

 【この場で竜として顕現してみせようか?どうなるか分かったものじゃないよ】


 乱暴ではあるが、雑な脅しだった。ターナをからかうような余裕のある物言いではない。

 こいつはこいつなりに、追い詰められているということか。


 なら、自分のやることは決まった。徹底的に追い詰めるだけだ。


 不敵に笑うと、マリャシェの顔は嫌なものを見たように歪んだ。


 【…覚悟の決まった奴っていうのは扱いづらいな。竜の娘が相手じゃあ尚更だ。何を考えているのかも読めやしない】


 竜の娘の間で認識を換えるのは不可能ではないが、少なくともマリャシェ本来の力でターナを相手にすることはかなうまい。

 言葉通りに受け取るのは危険かもしれない。だが、ターナにはなんとなく、今の「異世界統合の意思」が、単純に力だけでターナを圧倒出来るものでもないように思えた。


 ならば、今は放置しておいても大丈夫だろう。

 マリャシェだけを、ターナが追うことは不可能というわけでもない。それと、大事なことだが竜として顕現してしまうことも…癪には障るが、「異世界統合の意思」に任せてしまえば避けられるというわけだ。


 「…ふん、扱いづらいのはお互い様だ。わたしは行くぞ。せいぜいその身体、大切に扱っておいてもらおう」

 【もう今回は諦めてしまって、他の竜の娘が送り込まれるのを待つという手もあるんだけどね】

 「そんな真似をしたところでわたしへの嫌がらせにしかならないだろうが。お前がその程度のことで大望とやらを果たす取っかかりを手放すとも思えないがな」


 捨て台詞のように言い放ち、立ち上がる。

 相手は「言うね」と感心したかのように肩をすくめていた。なんとも人間くさい仕草だった。



 (やってやる。まずは奴の本体を探し当てること。マリャシェをその絶望から救う手立てを見つけること。やれることがあるのなら…わたしにはやれるさ)


 きっと大事なことを忘れたまま、ターナは闘志に奮い立つ。

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