第45話

 「…久しぶり、ターナ」

 「……ああ」

 「あの?ふたり、どうしたですか?」


 八月には入っているが、入出国の絶えない成田空港での再会のアイサツはこのように、すこぶる冴えないものだった。

 冴えない、といっても音乃とレーニ、ターナとレーニの組み合わせそれぞれは相応に盛り上がりを見せたのだったが、それが落ち着いて顔を見合わせた音乃とターナの顔合わせが、この有様だったというわけである。


 「ご飯、ちゃんと食べてた?」

 「…音乃はそればっかりだな」

 「あはは…ごめん」

 「………」

 「…??」


 そのやりとりの意味が分からずにただ混乱しているばかりのレーニが、きっと傍目には気の毒にすら見えたことだろう。

 音乃にしても例外ではなく、それ以前に来客をもてなす立場として適切ではない対応なのだと気づくと、ターナのことはさておいて声をかける。


 「えーっと、レーニ?達也くん…は明日からなんだっけ」

 「ハイ!…タツヤさん、ブカツの合宿、です。でも、ネノとターナ、一緒です」

 「ふふ、そうだな。今日のところは思い切り遊ぶとしようか」


 それは先に聞かされていたから、驚きではない。

 というより、最愛の人に会うよりも一日早くやってきて、先に自分たちと会おうとしてくれたレーニの気持ちは素直に嬉しいものだった。

 ターナにおいてもそれは同じことで、そこは本心から歓迎するように、音乃と並んで話しかけている。


 「はい、です。でも、ネノとターナ、ケンカ、です?」

 「えっ?」


 …ただ問題は、レーニが空気を読めないというか読む気がないというか…そもそも読めるほど今のこの二人の関係について、前情報が無いことなのだった……。



 

 レーニが再来日するという話は以前からあったが、家の事情、ということでそれがいつになるのかは、直前になるまで決まらなかったらしい。

 家の事情、に心当たりのある音乃とターナであったから、急に決まったという予定に文句のあろうはずもなく、訪れる日程を知らせてきたメールを同時に受信すると早速に、どうもてなしてやろうかという話で盛り上がる、のかと思いきや、ターナの後ろで二人の電話での会話を聞いていたマリャシェ辺りは、言葉も分からないのに頭を抱える有様だった、となれば、どんなギクシャクした会話だったかが知れようというものだ。


 まあそれでも。二人の共通の友人、ということで一緒に出迎えるところまでは合意し、「何故か」現地集合となったのは、果たして空港の中で別々に迷子になってしまったことと関係があるのか、ないものか。

 暗い顔をしてようやく入国ゲートの前で出会えた二人には、どうでもいいことのようだった。



 「レーニ、途中でディズニーランドとかもあるんだけど。本当にいいの?」

 「はい。夜にゲンゾウさん、あいさつします。まずご飯いきましょう」

 

 成田エクスプレス…ではなく、総武線快速列車のボックス席に三人で陣取り、東京方面に向かっている。

 座席は進行方向に向かってレーニと音乃が並んで座り、対面にターナが腰掛けていたが、窓際のレーニの向かいに座っているターナと、通路側に座っている音乃はさっきから一度も目を合わせていなかった。

 それに気付いてか気付かずにか、レーニは田園風景から千葉を過ぎて巨大な街の風景に変わる総武線の景色の変化に驚いていて、そういえば前回の往き来は羽田だったことを音乃に思い出させるのだった。


 「成田は初めてなの?」

 「ハイ。東京、遠いです」

 「なんか事情があったっぽいけどね。私なんかの産まれるよりずっと前の話みたいだし」

 「でも景色、良かったです」

 「うん、私も千葉より向こうがあんなにのどかでいい眺めだって知らなかったもん」

 「別に音乃だって初めてでもないだろうが」

 「…あー、うん。海外は二度くらい行ったことあったし、その時通ったかな」

 「そうか」

 「………?」


 会話が無いわけではない。ただ、とにかくどこか上滑りしていた。


 もの言いたそうな音乃。

 どこか上の空なターナ。

 それから、何が起きているのか分からず首をひねるレーニ。

 そんな三者三様の思惑を乗せて、列車はそろそろ錦糸町に差し掛かるところだった。




 夜は犬山玄三のもとにあいさつに行くという話であったから、それまで前回充分に出来なかった都内観光をしよう、という話になったのは良かったのだが…。


 「あー、やっと生き返った…」

 「ですー…」


 上野の西洋美術館に入って生気を取り戻した顔で、音乃とレーニはホールのベンチでのびていた。


 ここに来るまでは紆余曲折があった。

 アメ横に行ってみたいと言っていたレーニを案内したはいいが、八月の都内を舐めた所業に天罰覿面と言うべきか、暑さに弱いレーニと音乃はあっさり音を上げたのだった。

 音乃に至っては「氷の上がなつかしー…」とまで言っていて、今日は微妙な顔合わせになっているターナですら心配して、背中に負ぶってやろうか?と真面目な顔で覗き込んでいたものだ。


 さて、これからどうしたものか。


 それほど暑さに強いというわけではないが、ターナの場合環境に身を置くやり方を様々に覚えていることもあり、二人ほど消耗してはいない。

 だから、ひとりで初めて入る建物の中を珍しそうに眺めていた。


 建物としてはさして大きくはないし、新しくもない。

 適度に古く、ターナにはかえって落ち着きをもたらすようですらある。

 それは故国の建築物に包まれているような錯覚を覚えさせられるからなのだろうが、不思議とターナはそれを不快に捉えてはいなかった。


 そんな自分を訝しく思う。

 故郷を捨てたと思っていたのに、今の自分は捨てたものを嫌っているわけでも疎んでいるわけでもないらしい。ただ、そこにあったものが今の自分を育てていたことにひどく戸惑っている。そんなところなのだろうか。

 ならば、自分は今の自分をそれほど厭っているわけでもないのかもしれない。

 そう思って、なんとなく音乃の方に視線を向けた。

 少し離れたベンチで今は、受付で受け取ったパンフレットを眺めている。少しは元気を取り戻したようだった。なるほど、冷房の効果はあったということか。


 そのうち、隣のレーニに声をかけて何事か話し始めた。

 レーニはまだぐったりとしていたが、音乃はお構いなく自分の話を続けている。

 あの気遣いのある音乃が珍しい、と思っていると、音乃は立ち上がってこちらに向かってきた。思わず身構えてしまうターナ。


 「…ね、ちょっと私館内を見てくるからさ、レーニのこと頼んでもいい?」


 流石に気後れを覗かせてはいるが、なんとも他人の意見に耳を傾けそうも無い、たまに見る音乃の頑固な面持ちだ。

 反対しても無意味だろうとターナも、好きにしろとだけ告げると、音乃は片手拝みでもう一度、レーニをお願い、とだけ言って機嫌の良さそうな足取りで奥に向かっていく。


 「…なんだかな。さて、と」


 そんな様子を少しホッとした気分で見送ると、こちらを見ていたレーニの側に近づき、ベンチの隣に腰掛けた。


 「…音乃は何をしに行ったんだ?」

 「あ…と、気に入っている画家のひと、あるそうです。見てくる、です」

 「そうか…」


 また妙な趣味があったものだと感心する。

 少し元気になったレーニが掻い摘まんで話したところによると、初めて行った海外でホームシックとスランプに陥っていた時に見た絵で元気になって、それ以後よく見ている作家、だそうで、そういえば音乃の部屋に画集みたいな本があったことを思い出した。


 「それならしばらく戻ってこないだろうな」


 偶然ではあろうが、そういった出会いに思うところがあるのは理解できる。

 とりあえず好きなようにさせることにして、ターナもしばしのんびりとすることに決めた。


 「ターナ、ネノ、ケンカしてます?」


 …と決めて大きく伸びをしたら、そんなことを隣のレーニが訊いてくる。

 そういえば空港でも同じ事を訊かれた気がする。その時は音乃と一緒に否定していたが、今は自分一人だ。二度も訊いてくるということは、そんなに自分たちの様子が変に見えたのだろうか。


 「…別にケンカしてるわけじゃない。わたしと音乃と、それぞれの問題ですれ違っているだけだ。心配いらない」

 「でも、ネノ、元気ないです。ターナ、ネノ元気する、です」

 「そうは言ってもな…」


 それはターナも、元気のない音乃より元気に自分の世話をやいてくれる音乃の方が、好きだと思う。

 けれど今の音乃は…ターナから見ても、自分の気持ちをどこか持て余しているように見える。

 そして音乃が扱いかねている彼女自身の気持ちといえば…。


 「………っ」


 …それが自分に向いているものだと今更ながらに気付いて、ターナは紅潮した。


 (いや、何なんだこれは…わたしだって音乃のことは嫌いじゃない…けれど、それがそういう意味だとか思うと…何でこんなに緊張するのだ?!)


 「ターナ?」

 「はいっ?!」

 「…わたし、考えあります」


 普段のターナを思うとあまり他人には見せない方がいい姿は、レーニには興味深く見えていたらしい。なんともイタズラっぽい顔と自信のありそうな口調で、ターナが思わず警戒するようなことを言う。


 「…考え?というか、レーニはわたしに何をさせたいのだ?」

 「ターナ、ネノ、仲良く、です。いやですか?」

 「…その、別に仲が悪いわけではなくてだな……あーもう、一体どう説明すればいいのだ…」


 大体、自分でもどうすればいいのか見当もつかないのだ。レーニとはひとかたならない問題を乗り越えた仲ではあるが、ほいほい頼っていい問題とも思えない。


 「大丈夫、です。とても静か、それからきれいなところで話する、です。ネノ、きっと、喜びます」

 「…………」


 信じてみてもいいかも、と思った。




 「…信じたわたしがバカだったのか?」


 いや、どちらにしても来ることにはなっていたのだから、行動としては問題はない。

 それにしても、美術館で気を取り直して以降、涼しい場所を転々として暗くなったころにやってきたのが、犬山玄三の屋敷というのはどういうことなのだろうか。

 ターナが訪れたのは、半ば拉致されるようにやってきて以来だ。

 その時は気にもとめなかったが、確かにレーニの言う通り、高級住宅街の一角の広大な敷地は、中に入ってしまえば外の音からも遮られ、手入れの行き届いた庭園は金をとってもいい程だろう。

 静かできれいなところ、というレーニの言葉は間違っていない。

 間違ってはいないのだろうが…。


 「よう来たの。食事の用意をさせておるからゆっくりしていくといい」


 いろいろと面倒な頼み事をしている身としては、直接顔を合わせるのもどーなのか、と思える相手が、わざわざ玄関にまで出迎えてくれていた。


 「引き払うのが決まっておってな。世話をする者も少ない。儂の部屋以外なら気兼ねなく使うがよい」


 あらかじめレーニが話を通しておいたのか、こちらの事情などにも理解を示したようなことを言う。

 そのこと自体はありがたく思うのだが、居心地の悪い思いはどうしても払拭出来ないターナだった。

 一方、音乃は、というと。


 「初めまして。樫宮音乃と申します。あの…現役の頃はお世話になっていたと思いますが、いろいろご迷惑をおかけしました」

 「なに、才ある若者を助けるのは老人の義務であり楽しみでもあるよ。競技を止めたことについてもお前さんの人生だ。それまでの経験が役に立つというのであれば、謝られるようなことでもないからの」

 「ええと、恐縮です。もう少ししたら、多少は人に見せられる姿でお目にかかれるところでしたけれど、今日はお世話になります」


 人見知りのはげしい身のこととて表情は堅かったが、呵々と笑う玄三老を前に、気を呑まれた風ではあっても遣われた気を無下にするようなこともなさそうだった。


 「ま、とにかくあがりなさい。食事の仕度が調うまでいくらか時間はある。屋敷の中は好きに見て回りなさい」

 「はい。お邪魔します」

 「失礼します」


 レーニは二人を玄三老に引き合わせるとさっさと上がり込んでしまっていた。ターナに何か文句でも言われると思ったのだろうか。

 そんなに睨むように見たっけか?と玄関をくぐった時の自分の態度を思い起こしながら、いつものバッシュをぬぎ、音乃とならんで屋敷の内に入るのだった。




 特に荷物は無かったから、案内された客間に腰を下ろす間も無くあちらこちらと見て回る。

 引っ越すのが決まってから整理したのか、もともとこうだったのかは分からないが、どの部屋も物が置いておらず、人の生活する場というよりは客を招くのが目的のようにも思えた。あるいは屋敷の主がそういった立場であるせいかもしれない。

 古い木造の屋敷、ということで音乃の下宿とつい比べてしまうが、あちらは何人もの人が住み暮らし、その住人がことごとく騒がしい人物ばかりということで、受ける印象は全く異なる。

 ターナがどちらの空気を好むか、といえば、静かな方が落ち着くのは間違い無い。

 だが、灯りが灯されておらず、障子を開けるとすぐ目の前に綺麗な庭園を望める畳部屋に佇んでいると、何故かあの屋敷のことを懐かしくも思える。自分の居場所ではないだろうが、そう思えてしまう理由は…。


 「…あの場所に音乃がいるから、なのだろうな」

 「私がどうかした?」


 感慨を口にしたのは無意識でもなんでもない。

 後ろに音乃がいたのは分かっていた。分かってて口にした言葉は、聞かせるためのもの…というよりも、今のターナの素直な想いなのだろう。


 「…本当に静かなお屋敷だよね。都内とは思えない」


 障子を開け放ったまま佇んでいたターナの隣に、音乃が並んだ。

 その息づかいさえも聞こえそうな距離で、ターナの胸が高鳴っていた。

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