第40話

 いつぞや音乃に話したおとぎ話の続きになるな。



 竜の娘が異世界統合の意思に対抗する存在として生まれた、というのは前に話したと思う。

 そして異世界統合の意思は追放され、めでたしめでたし…と行かなかったのが今の状況だ、ということも理解しているだろう。


 狂戦士、というのはその「めでたし」と、いかなかったことの一つだ。


 異世界統合の意思は力を失い、平行する世界を統べる企みを持った者はもういないとされて、永く経った。

 だが竜の娘は、その力の強大さ故に崇め奉られ、わたしもマリャシェもそうだったように、人々に敬し遠ざけられる身となって、その血筋は保護された。


 …いつ頃からだろうな。わたしの姉なら多分知っていると思うが、竜の娘の中に、力を暴走させて世に災い成す存在と堕す者が現れ始めた。

 どうしてそんなことになったのか、はよく分かっていない。


 最初はな、そんなことにならぬよう様々な手立ても探られていた。病のようなものだと思われていた時期もあったらしい。人知れず匿われ、けれどやはり竜の身と化して終末を迎えたという昔の話は子供の頃聞かされたものさ。身の戒めとしてな。

 …聞いたところでどうすればいいんだ、と姉や母に食ってかかったものだが。


 そして、そんな有様になった娘は結局、散々手立てを尽くした同族の嘆きを弔辞代わりにして討滅される他なかったのだという。

 …これも「らしい」としか言いようがない。聞いたところでどうにかなるものでもないし、先の話でわたしはとっくにやさぐれていたから、知ったことか!とふて腐れてたんだ。

 今思えばもっとしっかり話を聞いておけばよかったと思う。今さらだけどな。




 ターナが時折長考しながら話し終えると、時間はもう八時を過ぎていた。


 場はしん、と静まりかえっている。

 窓の外からは通行人の話し声、車が通り過ぎる音などはするが、音乃もターナも、そしてマリャシェにあってさえも、重苦しい空気に押し潰される心持ちがしていた。


 ”…わたしは、狂戦士の兆しある者として『始末』される身となりました”

 ”……その決定を下したのは?”


 ターナが絞り出すようにその問いを発したのは、比較的事情を知っている様子の彼女の姉が、それを成したのではないか、という疑問からだったのだろう。

 だがマリャシェはそれを否定する。


 ”大丈夫、ラリィではありませんよ。奉る人々の、ごく一部です。竜の娘に関してそういった決定を行う機関があるのだと聞きました”


 あいつらか、と憤りを嘆息に紛らせてターナが吐き捨てる。


 ”始末するにしても、同じ竜の娘たちはすぐに手を下そうとはしません。手立ては講じようとはしましたよ。顕現すれば話は別でしょうが…。そしてわたしが同じ立場であっても、そうしたでしょうね。だからターナ、そこまで皆を嫌ったり憎んだりしないでください”

 ”わたしは別に、そんな…”


 だが、音乃に伝わってくるターナの意志には、同族への隔意とも呼べそうな、同調出来ないという心情が含まれている。


 「…あの、それでマリャシェさんは、その…始末、というのでこの世界に来たんですか?」

 ”…はい。ネノ、あなたの立場を思うと怒りが沸くのも無理のないことだとは思います。彼らは、異界の門の先の、誰にも手の届かない世界であれば竜の娘が暴走し、竜として顕現しても構わない、と考えているようですから”

 「………」


 もちろん、音乃は我慢がならない。

 自分たちの住む国や世界が厄介払いする先のように扱われていることもそうだったが、それよりも、ターナたち竜の娘をいいように扱おうとしながら、彼女らの身に起こる問題の解決には力を尽くそうとしない、人の無責任な態度に、だった。


 ”…ネノ?怒っているのですか?”

 「あー、うん、まあ。でも私が怒ってるのはそーいうことだけじゃないんです。えっと………、その…」

 ”音乃、大丈夫だ。分かってる”


 自分のうちにある感情の説明がつかず口ごもる音乃の肩をターナは抱いて、そう伝える。

 言葉だけではなく、ターナのうちにある感情もこの時、音乃には確かに伝わってきていた。

 それは感謝と喜びと、それから音乃には何か暖かいもの、と思える何かに満ちている。

 その正体が気にはなったが、今の音乃はターナが自分をそう想ってくれていることが単純に嬉しくて、肩を抱かれたことをいいことに自分の頭を、そっと彼女に預けてしまうのだ。


 ”…ターナ、これから先のことですが”


 だが、そんな自分たちを見ていたマリャシェからは、一際厳しい声が上がった。

 なんとなくバツの悪い思いがして、音乃はターナから身を剥がすと、ほぼ正座のようになってマリャシェに向き直った。


 ”…おそらく、ラリィがあなたを探せ、とわたしに言った理由の一つでもあるのだと思います。わたしが、竜として顕現してしまった時は…あなたがわたしを滅しなさい”


 ひぅ、という音がどこから聞こえたか。恐らく音乃の喉元からだろう。

 だがターナも、声こそたてなかったが気持ちとしては音乃と変わらない。その気持ちは分かっている、と伝えたものはターナにしても、同じものだった。


 ”…何か、竜として顕現することを抑える手立てはないのか…”


 だから、聞いても無駄なことだとは分かっていても、聞かずにはおれない。それはマリャシェにとっては残酷な問いなのだという自覚もなく、そうしてしまう。


 ”それがあるようでしたら、竜の娘にとっての悲劇としてわたし達の間に伝えられることはないでしょうに。仕方のないことです”

 ”………”

 「…………」


 むしろマリャシェの方が、二人を宥めるように穏やかに笑っている。

 そんな顔を見ていられなくてどちらも、顔を伏せて唇を噛むしかないのだった。




 それからしばらくして、音乃はターナの部屋を辞去することにした。

 食事の心配など無くも無かったが、この際非常時だからと音乃はターナのカップ麺を見逃すことにしている。今日の所はマリャシェも早く落ち着いた方がいいだろう、という判断からだった。


 「…ごめんね、途中で放ったらかしみたいになって」

 「ああ…その、なんだ。今日は済まなかったな。折角楽しい休日だと思ったんだが…巻き込んでしまった」

 「いいよ、別に。…マリャシェさん、逆に私たちに気を遣ってくれるんだもん。文句なんか言えないって」

 「…ありがとう」


 いろいろと他にも聞きたいことがあるだろうに、全てを呑み込んでくれている音乃へは、そのように言う他無かった。

 部屋の入り口での立ち話は、日本語で行っている。

 他意は無いのだが、音乃とこの国の言葉で話すことに、なんとなくこだわるターナだった。


 「とりあえず明日はどうする?私はバイトあって、昼間は来られないけど…」

 「気にするな。わたしだって夜は仕事があるさ…ああ、そういえばマリャシェのことを探していたんだっけか。報告も兼ねて仕事には行くから…」

 「夜でもよければ来ようか?」

 「それなら助かるが…いいのか?」

 「明日は夕方まで吉祥寺だからね。ここなら電車一本で来られるし、ターナが出て行ってもしばらくは付き合えるよ」

 「…助かる。えと、ついでに、その……」


 短くも深い付き合いだ。ターナの言い出しにくいことは、音乃には分かった。


 「あはは、分かってる。何か作っておくよ。…マリャシェさんの分も」

 「悪いな。確か…好き嫌いは、まあ、確認しておく」

 「そんなことより今日はちゃんと、大事なことは話しておいてね?」

 「…まあな」


 そこは心の底から心配そうに、音乃は言う。


 今のところ、マリャシェから伝わっていることといえば。

 マリャシェが竜の娘の一人であること。

 「狂戦士」という、竜の娘としてはあってはならない状態にあり、それが為に故国を追放されて日本にやってきたこと。

 それから、マリャシェはターナの姉から、ターナがこちらの世界に来ているとあらかじめ知らされていてたこと。

 これくらいのものだ。

 背景を知っている分ターナの方がその先の事情を推し量ることは出来るが、実際のところ、この世界における懸念、となると二人の情報量は大して差が無いことになる。

 だからそこのところをしっかり聞いて把握しておけ、と音乃は言っているわけだ。


 「…あとさ、やっぱり故郷の人なんだから。ターナも、自分の話くらいしておきなよ?私のことは気にしないで」


 それに加えて個人的な感情の心配もしてくれる。


 「…分かってる。それより遅くなるだろう?音乃も気をつけて帰れ。ああ、本当は送っていきたいくらいだ」

 「ターナ、かほごー。まあ今日みたいなことがあると分かるけど、気持ちだけ受け取っとくよ。明日はタイミングが合えば、ね。じゃあ、おやすみ」

 「ああ。おやすみ……」


 音乃が、静かに扉を閉めて帰っていった。

 パンプスの足音が階段を降りていく。

 夜のことだから音乃はいつも気をつけて静かに帰って行くが、それでも遠ざかっていく足音は聞こえる。

 ターナはその音を聞きながら、閉ざされた扉を睨むようにして、しばし佇んでいた。


 ”…仲のいいお友達なのですね”


 そうしてじっとしていたターナの背中に、声がかけられる。

 それでようやく、この部屋に他の者がいたことを思い出したように一度肩を震わせると、ターナは振り返ってベッドに座ったままのマリャシェの顔を見る。

 日本語でだけで話していたことを咎め立てもせず、そしてマリャシェはどこか眩しそうだった。


 ”ああ。わたしの一番の、親友だ…この地のみならず、故国を含めてもな”

 ”あなたは一人でいることが多かったですからね。…向こうのことを話しましょうか?”

 ”いや、いい。どうせ何も変わっていないだろうしな”


 部屋の中に戻りベッドの側に腰を下ろして話したのは、拗ねたというよりは、倦んだという印象の強い言葉で、マリャシェもそれだけで察してか、収めた。親切心からの申し出ではあるが、ターナの心の甲殻の向こうには届かないものだと思い知る。


 ”それで、何を話さなければいけない。音乃のいる場では出来なかった話もあるのだろう?”

 ”そうですね…狂戦士については、いくつか”

 ”聞かせて欲しい”


 マリャシェが狂戦士として発露したのは事実だ。

 最終的に…その名のままに、暴虐なる竜として変化するに至るのはよく知れているが、どんな段階を踏んでそうなるのか、そこまでターナは知っているわけではないから、この話はなされるべきなのだろう。

 ターナとしても考えたくはないものの、この世界にマリャシェが害をなす存在となる前に…討滅しなければならない場合もあるかもしれない。そのためにも、これからマリャシェがどうなっていくのか、知っておく必要はある。


 (…済まない。今のわたしは、竜の娘としての立場などより優先すべきものがあるらしい)


 マリャシェの方から持ち込まれた話ではあったが、ターナは既に最後はマリャシェをそのように遇することも視野に入れていた。

 さっき別れた音乃の、呑気な笑顔を思い出す。

 それだけで自分の顔にも、それよりは少し苦み多めではあるが、同様の笑みが浮かぶのが分かった。そのことは嫌でも何でもない。そうあるのが自分なのだと、ターナはとうに自覚している。


 ”ターナ?”

 ”…あ、い、いやなんでもない。続けてくれ”

 ”ええ。…ただ、どうも良い出会いをして幸せそうなあなたに、こんな話をしていいものか迷います”

 ”………”

 ”ですが、知っておいてもらわなければ、ならない。わたしたち竜の娘の、在りようにも繋がる話では、あるのですから”


 今更、自分の前に姿を現してそれはないだろうが、と思う。

 姉の言った通り、竜として顕現するのが避けられないのならば自害でもなんでもすればいい。ただ、竜の娘にとってそれはひどく困難なことなのだ。

 竜の娘は、自決出来ない。

 異世界統合の意思と戦うために生み出された彼女らは、最後の最後までことに抗うことに拘る。諦めるということを知らない。人との関わりの中で、自分たちがどうあるべきか自分たちで決めて、それに従ってきた。

 だから、狂戦士といえど最後まで、救うことを諦めない。顕現してようやく、合力して討滅を図る。そういう歪な、集団だ。


 人の方はどうなのか。顕現してしまえば同族が手を下すとはいえ、それまでに危険はある。俗に、竜の娘ひとり殺すには国家の一軍が必要になる、などと言われたものだ。

 だから、忌避した。顕現する前に竜の娘の力で討たせようとする。

 しかし、抗う、諦めないを存在意義にかけて是とする竜の娘を、その身でいるうちに討滅することは容易ではない。

 だから、竜に顕現するまで誰も手を出せない。


 ”そこに、狂戦士の扱いについて人と竜の娘の間の、葛藤の歴史がありました。わたしの如き事例は…実は初めてだったと聞きました。代替わりした竜の娘が、狂戦士として発動すること。既に力の衰えが始まり、大分経ちます。人の力でわたしを討滅することは不可能ではないかもしれない。そして、グリムナを始めとする当代の娘たちは、それを許さなかった。妥協として…”

 ”…異界の門を越えて放逐することになった、か”


 傍迷惑な話、というべきなのだろう。

 いや、迷惑というのであれば、ターナがこの世界にいたことで、姉のラリィがその処置を是とした可能性もある。


 (姉様…もし再会することがあったらとっちめてやる)


 そもそも門を越えたのは自分の意志だったことを棚に上げて、ターナはそう思った。

 もっとも、それは叶わぬ願いだろう。それだけにターナは気楽にそう考えるのだった。


 ”…分かった。ただ、狂戦士についてはわたしも理解が全く及ばない。いざというときのあなたへの対処は…自信があるとは言えないが、引き受けた。この世界に害を及ぼしたくはないからな”

 ”ありがとう、ターナ。それと…これも言いにくいことなのですが”

 ”何だ。これ以上に言いにくいことなどと言われても、困るだけだぞ”


 冗談に紛らしてはいるが、内心「かんべんしてくれ」と思わないでもない。この地にいる竜の娘は、マリャシェ以外には自分一人なのだ。


 ”…その、わたしたちの仇敵である「異世界統合の意思」がこの世界にいるということは、承知だとは思いますが…”

 ”ああ、それならもう会った”

 ”…………はい?”


 陰のある大人の女性、という態のマリャシェだが。

 ターナの言葉で少女のようにポカンとしたのは、こんな時だが少しばかり、痛快なのだった。

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