第41話
ターナは寝付けなかった。
ベッドはマリャシェに譲ったから、今日の所は畳の上で毛布にくるまっている。
そのマリャシェは穏やかな寝息を立てていた。疲れももちろんあったのだろう。
(…これからどうするべきなのだろうな)
これまでの習わしを踏襲するのであれば、話は簡単だ。
マリャシェがその日を迎えるまでの間、何を置いても終末を回避する策を探す。
それが叶わなかった時は…。
(出来るわけがないだろう、わたしに。そんな真似)
顔を傾けてベッドの方を見た。
ここからは視界に入らないが、マリャシェは穏やかな眠りについているように思える。
それを確認して、寝返りを打った。背中をベッドに向けて、自問する。
ターナは、竜の娘という存在の在り方に深い疑問を持った。
自分たちの、世界への関わり方。その存在意義。とりまく人間たちの思惑。
そういったものから背を向けて逃げ出した自分が、何故追いかけてきたように重い問題が突き付けられるのか。
考えるまでもない。
逃げたからだ。
逃げてはいけないものから逃げたから、追いかけられている。
それだけのことだ。
(音乃のことをとやかく言えないな、もう)
その音乃だって、切っ掛けを得て自分の選択に意味を見出そうと、足掻き始めている。自分もそうあらねば、彼女の隣に立つことさえ許されないだろう。
今の自分に出来る事。
いくつか思いついたそれらを確認すると、明日からの諸々に備えてターナは無理矢理に、眠りについた。
・・・・・
「あちゃー…行き違いだったかー」
バイトを早めに切り上げてやってはきたが、ターナはつい先程出かけたところらしい。
「いつもより早いのになあ。なんでそんなにさっさと行っちゃったんだろ」
”出来る事はなるべく早くやっておきたい、と言っていましたからね。わたしは焦らなくてもいい、と言ったのですが”
「やる気があるのはいいけど、私の顔も見ないで行かれるとちょっとなあ」
”ふふ、とにかく上がってください。留守は任されていますから”
「あ、はい。ありがとうございます」
昨日と違い、ターナの普段着を借りて随分楽な格好のマリャシェに促され、急いで済ませてきた買い物の詰まったエコバッグを手に、音乃はターナの部屋に上がり込む。
四時を過ぎたところだから、まだ夕食の仕度には早い。
冷蔵の必要な食材を仕舞い、下ごしらえでも先にしておくかと、一応マリャシェに好き嫌いが無いか確認しようとして、気がついた。
「…あの。マリャシェさんフツーに私とお話してますけど…」
”?…ああ、二人きりで話をするくらいなら、今のわたしでも出来ます。沢山の人の前で、となると難しいですけれど。力は減ったとはいえ、言葉の認識を換える力は竜の娘にとっては基本的な能力ですからね”
「そーいうものですか…力が減る、ってどういうことです?あの、まさか…きょうせんし、ってやつになると…」
”いえ、違いますよ”
音乃の、恐る恐るという感じの質問に、マリャシェは軽く笑いながら応じる。
”昨夜は説明しませんでしたね。竜の娘の力は、四つの家のそれぞれの長女がもっとも多く力を受け継ぎ、その妹たちの力は多くの場合、姉には及びません。そして、長女に子供が産まれて力の継承が始まると、母親となった姉自身と、それから同じ世代の娘の力は次第に失われていきます。わたしの姉は…もう二十年も前に長女を産んだので、実はわたしは子供の頃には力が減り始めていました。それでもこれくらいのことは出来ますから”
「う、うーむ…」
なんとも理屈の分からない話だった。
が、マリャシェがその姉とは大分歳が離れているということだけは理解した。随分下世話な話ではあるが。
”普通にお話するのに差し支えは無い、ということで充分だと思いますよ。わたしも、ネノの話は聞いてみたいですからね”
「あー、あはは…まあ確かに言葉が通じないと苦労したので分かります。でもなあ…ターナのいないところで私とターナの話なんかしてもいいのかな、って思いますけど」
”あら、直接的な血縁は遠くなって久しいですけれど、わたしとあの子は関係においては伯母と姪のようなものですよ?ターナの小さい頃の話だって出来ますからね。言うことを聞かなければ、それを話してあげるだけです”
「あ、それは詳しく聞きたいなあ。ターナの子供時代ってどんな風だったんです?」
俄に興味の沸く話題になって前のめりになる音乃。
難しい立場の相手であるし、音乃は生来人見知りは激しい方だ。
だが、ターナという存在を間に挟んだ会話は妙に弾みそうなのだった。
「あ、もうこんな時間かぁ…そろそろご飯作った方がいいですね」
小一時間ほど話し込むと、体を動かしてきたせいもあってか、空腹に気がついた。
「いろいろ買ってきたから何でも…は無理ですけど、一通りのものは作れますけど。何か食べたいものとかって、あります?」
”いえ。こちらに来てから大したものは食べていないので…”
「うーん…それじゃあ、ってその前に昨夜って何食べたんですか?」
”ええと、確か…いんすたんとすぱげてぃ、というものを。お湯だけで作れるのは便利なのですね”
「結局それか!…もー、ターナも少しは自分で作れるようになりなよー…」
そうぼやきながらも音乃は、台所スペースの壁に引っかけてあるエプロンを取って、身支度をする。
”かしずかれるのに慣れた立場ですから、わたしたちは。自身で食事を作ることが出来る竜の娘というのは、あまり聞かないですね”
「作ってばかりいるとたまには作ってもらいたいなあ、って思うんですけどね。えーと、カレーはこの間作ったから…」
冷蔵庫を開けて食材をあさる。
肉は鶏のササミと豚の挽肉があった。
野菜はタマネギにキャベツ、ニンジンと主立ったものは揃っている。
「…となると、ハンバーグかな。味は濃いめと薄味とどっちがいいです?」
”食べてみないとなんとも言えませんし…ネノに任せます。…ああ、ターナの好きな味にしてください、出来れば”
「じゃあちょっと濃いめかな…ターナ、あれで子供みたいなんですよ。結構好き嫌いありますし」
”苦労かけてるみたいですね。ごめんなさい”
「あはは、もう慣れましたし。それにターナにいろいろわがまま言われるの、私好きなんです」
言葉の通り、楽しそうにそう言う音乃を、マリャシェは穏やかな笑みで見つめていた。
そんな視線に気づくことも無く、音乃は手際良く調理を開始する。
米を洗って水に浸すと、タマネギを刻み始める。包丁捌きも実家にいた頃よりは大分上達した。
付け合わせのニンジンも切り終わると、ついでにサラダも作っておくかな、とゆで卵用のお湯を沸かし、調味料を手元に揃えておく。
一連の動きは淀みない。いかにも慣れた風の音乃の背中。
その音乃に、マリャシェはいくらか躊躇いがちに、声をかける。
”…ネノ。少し不躾な話をしますが。構いませんか?”
「うん?あ、はい。何です?」
手を洗ってタオルで拭くと、音乃は振り返って答えた。
マリャシェはコタツ台を前に何やら神妙な様子で、音乃をじっと見上げている。
「…えーと」
少したじろぎはしたが、不穏な感じは無い。
ただ、自分を痛ましく見ているようであり、何か失敗したかな、と思いながら食事の仕度を中断して、その向かいに自分も座った。エプロンをしたままで。
”ごめんなさい。どうしても聞いておかなければならないと思って。…ネノ、あなたはターナのことを好いているのですか?”
「え、ターナのこと好きか?って話ですよね?そりゃあもちろん、です。あんなに素敵で強くて、私のこと大事にしてくれる友だち他にいないですもん。私の一番の親友です」
”………”
「…えっと、私だってターナのためなら、自分の出来ることは何でもしてあげたいって思ってますし……えと、その…」
じっと見つめられて、なんだか気まずくなる音乃だった。
だがそれにも構わず、マリャシェは無言で視線を向け続けている。
その先を聞きたがっているのか、あるいは音乃に語らせようとしているのか。
「あ、あの、この間のことなんですけど。ターナがこっちに来て一年経ったから、って言っていたので誕生日だーっ、って私プレゼントをしたんですよ。こんなちっちゃなペンダントに、『私の最高の友だちへ』って書いたのを。ターナ、喜んでくれたんですけど、その様子がとてもかわいくって、思わず後ろから抱きついちゃいました」
どちらにしても、音乃は止めどなくターナへの想いをつづる。
「…一番心に残っていることっていったら、えっと、ちょっと事件があって…あ、さっき話したのですけど、あの時私が死んじゃったって勘違いしたターナが、私のこと抱きしめてわんわん泣いてたんです。あ、これは私が生きてたって気がついてからだっけか…そしたら私、なんだか…………あれ…」
”涙を拭いてください、ネノ”
「……あ、は、はい…あれ、なんで私泣いて…えっと、あれ……ごめ、ごめんなさい…なんだか止まらなくって………えと…」
悲しくもなくて流れる涙なのに、どうして止められないんだろう。
エプロンの端で顔を拭いながら音乃は、そんなことを思う。
”ネノ。あなたはターナに恋をしているのですね”
そしてひどく優しく声をかけられて、音乃は顔をエプロンに埋めたまま、二度大きく頷くしかなかった。
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