君の誕生を言祝ぐ日・後編
「…おい。これはどういうことだ」
殺気を押し殺した声でターナは並んで座る姉妹を睨む。
「どういうこと、って。プレゼント。私からターナに。誕生日の」
「あたしが持ってきた!」
だが、恫喝も一向に効果は無いようで、何か問題でも?という顔つきの姉と、いい仕事をした!と満足げな妹は平然と、「ぶっ殺したろか!」という視線を受け流していた。
いかにも迫力不足。
それはそうだろう。やってくるなり音乃に渡され「それ、着てみて」と言われ、さて何かと思いつつ着替えてみたものは。
「ターナすげー似合ってるじゃん。紺のセーラー服だと銀髪がめっちゃ目立つね!」
音乃の高校時代の制服だったのだ。
「うーん…これは……思ってたよりずっといいかも。我が思いつきながらグッジョブ、って感じ」
「ぐっじょぶ!…じゃないだろうがぁぁぁぁっ!!お前たちわたしをおもちゃにして遊ぶなっ!!」
うがーっ、と雄叫びをあげて怒るターナなのだが。
「…その割にはしっかりタイまで締めて完璧じゃない。気に入ったでしょ?」
「全部着て鏡見るまでどんな格好なのか分からなかったからだっ!…大体なんだ、このスカートというのは。足が無防備な感じがして心許ないぞ…」
「ターナ普段スカート穿かないからねー。たまにはいいじゃない」
スカートを持ち上げてヒラヒラさせながらぼやく。
それはまあ、生まれであるヴィリヤルデ・ノーリェリンに、女性用の着衣としてのスカート状のものがあったかどうか、といえばもちろんあった。
のだが、子供の頃からひねていたターナは、娘らしい格好をするのを嫌がり、ついでに竜の娘としての立場は厭うくせに力の研鑽は怠らなかったから、活動的な格好しか選ばなかったのだ。
そんな事情を、音乃はともかく蒔乃に言うわけにもいかなかったから、悔しさに唇を噛みながら、足にまとわりつく布を鬱陶しそうにつまむしか出来なかった。
「…ふむ。では基本スタイルは整ったので、こーでぃねーとタイムとまいりましょーか」
「あん?おい、マキノ。何をする気だ?」
「じょしこーせーの制服なんてね、そのまんま着てたって面白いこと何一つないからね。こっからアレンジしていくの。音乃ちゃん手伝って」
「お任せて。まずどーする?」
「そりゃやっぱりスカート上げないと。音乃ちゃんは出来なかったもんね」
「うるさい。足太かったんだから仕方ないでしょ」
「まあまあ。青春はこれから取り戻していこ?ターナの身体で、さ」
「なんか言い方がいやらしいなぁ…じゃあ私が抑えつけとくからマキが…あいたぁっ?!」
「あだだだだ!やめてごめんとめてターナ!顔割れるぅっ?!」
「…いーかげんにしておけよ、きさまら…」
ダブルアイアンクロー。それほど手は大きくないが、握力なら人間の常識を外れているターナの両手には、姉妹の顔がそれぞれに握られていた。
ターナにとって幸いだったのは、セーラー服姿を見られたのが樫宮姉妹にだけだったことである。
これが何をやり出すか分からない菜岐佐だったり、何を考えているのか分かりづらい真琴だったりが同席していたらもっと大変なことになっていたことだろう。
「マキ、テスト休み中だったっけ?」
「うん。明日は夜までいるね」
「来るのはいいけどさ、今度来るならお土産の一つも持ってきなよ…マキの食い扶持、皆の共同食材から出してるんだから」
「可愛いは無罪さ。樫宮の妹なら養ってやってもいいくらいだ」
「やたっ!」
「おかしなこと言って妹を惑わさないで下さい、先輩。ただでさえ調子にのりやすいんだから、この子」
「音乃さんの妹さんにしては随分さばけているのね。もっとこう、お姉さんの後ろに隠れてるような子かと思った」
「そんな奥ゆかしい妹がいたら交換して欲しいです」
「あたしももっと甘やかしてくれる姉がいたら交換して欲しいです」
「…珍しく意見があったわね」
「…そーだね、お姉ちゃん」
ターナをマネキンにしようとしていた時と打って変わり、笑顔で睨み合う姉妹だった。
音乃と蒔乃をノックアウトして満足したターナは、とっととセーラー服を脱いで元の格好に戻っていた。
そのすぐ後にちょっと豪華な夕食が用意される。
三人の他に菜岐佐と真琴、それと普段土日に見かけることの少ない
「伊東先輩と紀野先輩は理学部で、大体週末は研究室に泊まってるからね」
といつか音乃が言っていたのだが、ターナにしてみれば何のことかさっぱりだった。
今日のところはいないが、この他に柴崎茜という、やはり違う大学の二年生が一人おり、この屋敷に下宿する学生はこれで全てになる。
それで何が行われるかというと。
「えー、普段居ないにも関わらず、乾杯の音頭を任された伊東でーす。まず手始めにターナちゃんと私の馴れ初めから…」
「いや長くなりそうだししそもそもそれ捏造じゃん、坴。いいからとっとと始めなさいよ」
菜岐佐が「
「…あのー。いつもこうなの?」
前回泊まった時はあまり人数もいなかったため、音乃の部屋で大人しくしていた蒔乃は、開始早々の乱痴気騒ぎに珍しく引き気味に、傍らに居た二人にそう尋ねた。
「まあ大体こんな感じ」
「料理がいつもよりいいから静かな方だな。酒しかなくなったらもう少しうるさくなるが」
うへぇ、と閉口する蒔乃。友人も多く、大人数で騒ぐのに慣れてる蒔乃をして呆れさせるのだから、高校生と大学生の差というのは小さいようで大きいのだった。
「でも、お酒に酔って絡むよーな真似はしないからね。ほっとけば無害よ」
「音乃ちゃんは呑まないの?…ってか未成年だっけか」
「まあ、私はね…」
酒に関してあまり芳しい思い出のない音乃は、言葉を濁して黙る。
酔い潰されてホテルに連れ込まれそうになった、などと知られてしまったらえらいことになりそうだ。
まあそれでターナと出会えたのだと思えば、禍福はあざなえるなんとかという奴だ。
そう思って隣のターナを見る。
誕生日、にかこつけて騒いでしまっているが、気を悪くしてたりしないだろうか。
音乃は少し心配になっていたが、見たところ菜岐佐と真琴の夫婦漫才じみたやりとりを見てケタケタ笑っているから、彼女なりに楽しんでいるのだろう。
「ん?なんだ?」
そんな視線に気付いたのか、笑いを収め、穏やかな顔で音乃を見る。
「ターナも料理食べないとなくなっちゃうよ」
「…そうだな。この家でいただく料理は、いつも美味しいからな」
子供舌のターナだが、ここで出されるものは綺麗に食べる。
行儀も驚くくらいに良く、なんだか身分の高い扱いをされていた、みたいなことを以前言っていたが、それも納得できる所作だった。
「…それならやっぱりここに住めばいいのに」
自覚も無く、そんなことを呟く。
いつかそう提案したこともあったが、その時よりも熱量の増した想いになっていることに、音乃は気付いていない。
「…それは止めておく」
ターナは、音乃のそんな呟きが耳に入ったのか、相変わらずの喧噪を眺めながら答えた。
「歯止めが利かなくなりそうだしな」
歯止め?何の?
…と、音乃が聞こうとした時、ターナの反対側にいる蒔乃が、ジトーッとした視線を投げかけていることに気付いた。
「ん、なによ、マキ。変な顔してさ」
「…変なのは音乃ちゃんの方だ。あとターナと」
「私?」「わたしがか?」
思わず声が被る。それが可笑しくて、顔を見合わせると同じタイミングで笑い出してしまった。
「ほら。なんかこないだ会った時よりもさ、近いってゆーか…ターナが音乃ちゃんのこと呼ぶ時の様子が妙に優しげってゆーか」
「それって悪いことなの?」
「悪いわけじゃないんだけどー……」
「マキノも妙なことを言うのだな。悪くないならそっとしておけばいいと思うが」
「だよね」
並んで蒔乃の顔を見て、うんうん頷く。
だが蒔乃の脳細胞は、この時灰色だった。今までバラバラだと思っていたピースが、蒔乃の頭の中で前触れ無く合致した。
「…年下のハズのターナの方が大人っぽい…音乃ちゃんのスマホにあった『まいだーりん』…音乃ちゃんはターナん家に通い妻……読めたっ!!」
多分あさっての方角のコトを言い出すだろーなー、と思いつつ拝聴する二人。
「やっぱりターナは美少女じゃなくて美少ねン痛ぁぃっ?!」
「予想を越えてバカなこと言うんじゃないわよっ!!」
「最近ちょっとはふくらんできてるんだ見くびるなっ!!」
ステレオで突っこまれる蒔乃だった。
「ところで音乃、『まいだーりん』とは何のことだ?」
「…黙秘で」
ターナが好きだと言っていた空は、こんな夜でも同じことなのだろうか。
宴会の賑やかさから逃れて音乃は、自分の部屋で夜空を見上げていた。
寄宿してる学生たちの部屋は様々だが、音乃の部屋は全面サッシになっていて、窓際で膝を抱えて空を眺めるには都合がいい。
宴の席は、名目上でもターナは本日の主役であったから、蒔乃が二人にはったおされてからほどなく、酔漢…酔女の手が延ばされて、一悶着あったりした。
絡むというほどひどいものではなかったのだが、紀野美結里がしてきた些細な質問で揉めたのである。
曰く。
「ターナちゃん、幾つになったんだっけか?」
音乃は固まり、蒔乃が元気よく「十六ですって!あ、あたしと同じになったね」と言うと、それを聞きつけた菜岐佐が「ん?樫宮と同じと聞いたんだが?」と口を挟んできたため…端的に言って、ややこしいことになったわけだ。
そこは結局、仕事の都合だのなんだのと言い訳して、ターナの実年齢に近い通りに十六歳になった、という結論になったのだが、さてそれでこの屋敷での応対が変わるのか、というとそれくらいで態度を変える者などいないのだろう。
何のために年齢を偽っていたのだろうか。
「まあ、私はターナが幾つだって構わないんだけど」
「わたしが構うわ、この考え無し」
入り口を見ると、開きっぱなしの襖の陰から、ターナがぶぅたれた顔を見せていた。
「…お帰り。マキは?」
「四年生の二人のおもちゃになってる。しばらく戻ってはくるまいが。飲むか?」
そう言って、ターナはグラスを二つ、片手に持って見せる。
「…お酒?」
「そんなわけがあるか。濃いめに割ってもらった梅のジュースだ」
「あ、飲む飲む。ターナ気が利いてるー」
「現金なヤツだな」
大家さん手製の梅ジュースは、音乃がこちらに来てから覚えた味の中では一番のお気に入りだった。
毎年この時期に仕込むもので、学生たち用にも提供されているが、音乃に限らず人気のため、夏前には学生の分は無くなってしまうのが常らしい。
今晩、料理と一緒に出さていたのは大家さんの個人用のものらしく、言うなればターナへの誕生プレゼント、といったところか。
「ほら」
「ありがと」
ターナの右手の中にある二つのうち、一つを手に取る。
その手を離れる際に、二つのグラスは軽く触れて涼やかな音をたてた。
「乾杯。私の親友の誕生日に」
「
まあ我ながらそう思う。
けど、いーじゃない。なんだかそういう雰囲気になる時があってもさ。
そう思って音乃は、窓際に二人並んで、空を見上げる。
梅雨も明けていて、蒸し暑さが日々増していく。窓を開け、網戸にしているくらいではなかなか涼しくならない。
都内よりはかなりマシだとはいえ、長野の山に住んでいた音乃には身構えの要る季節が近付いている。
「…去年って暑いのどうだった?」
「意外に平気だったがな。冷房のある場所を転々として…って、おい。言いたくないと言っただろ」
肩をすくめる音乃。別に意図的にやったわけではないが、こうして会話を続けていくことで知ることが出来ればいいとは思っているのだ。
それで気分を害したわけでもないだろうが、ターナは黙って網戸の向こうの夜空を見上げている。
「…夜空も同じなのかな」
それが証拠に、音乃の呟きにもどこか嬉しそうに答える。
「わたしの故国と、か?こればかりは何処にあっても同じだとは思うが…けれど、同じであって欲しいな、とは思う」
「そっか」
そんな感慨は、音乃をホッとさせる。
「また来年もこうして出来ればいいな」
一つ処には拘らない、といつか言っていたから、今自分のいる場所にどうしても縛られる音乃にしてみると、いつか自分の前から姿を消してしまいそうな心配は、どうしても晴れない。
だから、心細そうな言い方には、なる。
「…いつだ?」
「え?」
「音乃の、誕生日だ。もう過ぎた、とか言ったら怒るからな」
そして、ターナの自然な心遣いは、嬉しい。
「あ、うん。十一月の十五日。もうすぐ冬、って時期だから正反対の季節だね」
「そうか。…覚えておけよ?今日の騒ぎどころじゃない勢いで祝ってやるからな」
「あは、あはは…どうかお手柔らかに…」
気遣いなのか復讐心なのか、今ひとつ明らかではなかったけれど。
「ちなみにマキの誕生日は八月だからね。そっちも忘れないであげて」
「ふん、任せろ。今日のことに限れば音乃もマキノも同罪だ」
そんなにセーラー服を着せられたことが面白くなかったのだろうか。音乃としては割とマジメに、着せてあげたかったのだけれど。
機嫌直しておいた方がいいかな、と音乃は立って自分の勉強用の文机の引き出しを開ける。
ターナの、何をし始めたのやら、という視線を感じつつその隣に戻ってくると、引き出しから取りだした小さな紙袋を手渡した。
「はい。私からプレゼント」
「プレゼント?あのけったいな衣装じゃなくてか?」
「けったいは無いと思う。私あれ三年間着ていたんだから」
「お前に似合ってもわたしに似合うとは限らないだろうが。開けてもいいか?」
もちろん、と頷く。
ターナは妙に緊張したように、すこしぎこちない手付きで袋を開ける。
その中から出てきたのは。
「ペンダント?」
飾り気の乏しい、無骨な細身のチェーンに、金属製のプレートが二枚くくりつけられたものだった。
「ドッグタグって言って、そのプレートにいろいろメッセージを刻印出来るの。今日に間に合うかちょっと心配だったけど、なんとかなった」
何が書いてあるのか、目の高さにタグを掲げて見つめる。
「"Tahna,My best Friend.from Neno."…『私の最高の友だち、ターナ。音乃より』、か…」
「…もしかして重すぎた?」
その顔がぼーっとしていたので、音乃は「やってしまったか?」と少し心配になる。
「…いや、びっくりしていた。とても嬉しい」
それが偽りではないように、早速首から提げようとするが…。
「…音乃、髪にからまった。助けて」
「ああ、それアクセサリーだからチェーンのところにちゃんとフック付いてるよ。やってあげる」
ターナの背中にまわり、絡まったチェーンを外すと改めて、その首にかけてやる。
「はい。鏡は…」
「ああ、届く。どう、かな?」
腕を伸ばして、鏡台の前にあった手鏡を持ち、ターナは今下げられたものの様子をじっと見る。
「…似合うな。ふふ、ありがとう、音乃」
「どうしたしまして」
ターナの肩に置いた腕をそのまま前に回し、音乃は後ろから覆い被さるようにしがみつく。
「音乃、重い」
「重くないでしょ。嬉しいって言ったじゃない」
「アクセサリーの話じゃない!お前が重いと言ったんだ!」
「いーじゃん、別に。私の匂いがするでしょ」
「おっ、お前…なんだか言い方が生々しいぞっ?!」
じゃれつきながら、音乃は思う。
こうして誕生日を祝い合える友だちがいることは、自分の生活に変化と彩りをもたらしてくれる。
だから、昨日までの日々を、今日という一日を、明日から訪れる毎日を、大事にしていこう。
…そして音乃の気が済むまで、邪魔が入ることはなかった。
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