インターミッション・3

君の誕生を言祝ぐ日・前編

 話が事ここに至るまでに、二つの出来事があった。




 「時間かかったな、随分」

 「…ごめん」


 それは預かっていたターナの革ジャンをようやく返した時のことだった。

 梅雨も明け、とっくに革ジャンという季節でもなくなっていて、最近はターナも上着はデニムのジャンパーか、上着は着ないで薄手のパーカー、という出で立ちが多い。

 音乃もそれほどファッションに拘りのある方では無いが、ターナはそれに輪をかけて飾り気が無く、二人揃って歩く姿は野暮ったいことこの上無い。

 もっともターナの場合は素がいいので、何を着てても平均以上に見栄えはよくなるのだが、そう伝えたところ「…音乃だって同じようなものだろ」と少し照れながら言ってくれたのは嬉しいものだった。外見のことではなく、ターナが褒めてくれたことが、だったが。

 それはさておき。


 「まあいいさ。どうせ涼しくなるまで用は無いしな。高くなかったか?」

 「あ、それは気にしないで。最近やりくりも上手くなってきたから、意外に生活費かかってないし」

 「…差し入れ、お金かかるだろ?少し出そうか?」

 「ん、それはそのうちお願いするかも」


 明日は午前に補講が一コマ。音乃の大学は講師や教授の出張で休講が多く、試験が終わっても平気で補講が入る。

 そして最近は、ターナの夜の仕事が入ってない時に限るがターナの部屋から登校、ということも割とある。そういう時は必ず音乃の差し入れで一緒に食事をするのだが、その分が負担になっていないかどうか、流石にターナは気になっていた。


 「けどその分朝に楽できてるから。あんまり気にしなくていいよ」

 「そうか。まあこの部屋で一緒に食事出来るのは、わたしとしては嬉しい話だけどな」

 「…さらっとそーいうこと言わない」


 意表をつかれたように銜え箸で固まる音乃だった。



 そして、片付けも済んでくつろいでいる時だった。

 食後のお茶代わりにホットカルピスをターナが入れていると、音乃が何の気なしに、それこそ話の継ぎ穂のように、聞いてきた。


 「ターナってさ、日本に来てからどれくらい経つんだっけ?」

 「なんだ突然に」

 「よく考えたらターナと会う前のこと知らないなぁ、って思って」

 「故国のことなら何度か話したはずだぞ」

 「そうじゃなくってさ」


 コタツ台の反対側からターナの方を見ている音乃の目は、好奇心というよりもどこか探るような調子だった。


 「日本に来てから、私と会うまでにどーしていたのか、って話。いきなり新宿の仕事とかこの部屋見つけたわけじゃないんでしょ?」

 「それはそうだが…」


 ターナの方では避けていて、音乃の方も察してか触れようとしなかった話題。

 音乃との関係が変わりつつあるという自覚はあるが、それでもターナはこのことを告げて、今までの、これからの関係が良くなるとは思えなかった。


 「…別にいいだろう、そんなこと」

 「言いたくない?」


 言えない、のではなく言いたくない。

 音乃はあくまでもターナの意志として選択させる。その上で、その選択を尊重しようとするのだろう。

 ターナは、これが甘えだと分かって、けれどホッとしながら「うん」とだけ応える。


 「…そっか。じゃあ仕方ないよね」


 僅かに残念そうな顔。

 知りたいことを知ることが出来ないからなのか、あるいは。

 そこから先を考えるのをターナはやめた。どちらにしても愉快な話にはなりそうもない。


 「…ごめんね。何だか雰囲気悪くなっちゃった」

 「別に音乃のせいじゃない」

 「うん」


 そうは言ったが、音乃には後悔の色が見えた。聞くべきじゃなかった、という。

 そのことに慚愧を覚えざるを得ない。自分のせいなのに。

 だから、最初の問いにだけは答えておこうと思った。


 「…一年、ちょうど経ったところか」

 「え?」

 「異界の門を通って日本に来てから。ああそうだ、この間のことで忘れていたが、二週間前だな。一年前の」


 この間のこと、とは言わずもがなの、犬山家のゴタゴタに巻き込まれていた件だ。

 つまり、あれからすぐ後に、ターナが日本にやってきてから一年の節目を迎えていたことになる。

 そしてそうと知った音乃の反応は、というと。


 「………なんでそんな大事なこと言わなかったのよっ?!」


 …という、ターナにしてみると理不尽極まりないものなのだった。


 「だ、大事…なのか?」

 「大事に決まってるじゃないの!ターナが日本に現れたってことは、例えて言えばこの世界でのターナの誕生日みたいなものでしょ!大好きな友だちの誕生日なんだからそれくらいお祝いさせてよっ!!」

 「………」


 立ち上がりかけた姿勢のまま言いたいことを言うと、音乃は腰を下ろしてフンスと鼻息も荒くして、ターナの反応を待った。


 「…その、何というか……悪かった。別にどうでもいいことだと思っていたが、えっと、音乃がそれくらい思ってくれるのは、まあ、嬉しい…と、思う」

 「ほんとに?」

 「本当だ。えっと、実は…だが……」


 ターナは、レーニと出会う直前に音乃と電話をした時に、このことを言おうと思って言いそびれたことを話す。電話の後に何だか物足りない、少し寂しいと思ったことも含めてだ。

 そう聞いて音乃も申し訳なさそうな顔になる。


 「…あの時そういえば、ターナも何か言いたそうだったもんね。ごめん、私も試験で自分のことしか考えてなかった」

 「仕方ないさ。お互い自分の生活があるものな」


 それはターナとしては慰めのつもりだったのだが、音乃は、そーいう言い方は無いんじゃないだろーか、みたいな目つきになった。

 また失敗したか?と内心汗をかくターナ。


 「…いいけど。でもお祝いはさせてよ。それだけは絶対ね」

 「ああ。ありがたくそうさせてもらうさ」


 ホッとする。音乃の機嫌を損ねたことを挽回は出来たようだ。

 音乃に余計な気遣いをさせてしまうのはターナの本意ではないし、それ以前にターナの感じた寂しさを喜びで埋めてくれようとする音乃の心遣いが嬉しかった。


 「…それで何をしてくれるんだ?誕生日を祝うという習慣はあまり無かったから、想像も出来ないな」

 「うーん…まあ、ターナが喜んでくれることをしてあげたいとは思ってるけど…あ」

 「どうした?」

 「…うん。ちょっと楽しいこと思いついた。週末うちに来てくれる?パーティみたいなことして、それからプレゼント。いいでしょ?」

 「ふふ、音乃も楽しそうじゃないか。いいぞ、というか土曜の夜に遊びに行くのならいつも通りだけどな」

 「そこは私のプレゼン力をご覧じろ、ってとこね。いいよ、楽しみにしてて」


 …ターナは気づかなかった。

 音乃が本心から祝ってくれようとしているのは事実だったが、ほんの少し、その笑顔に邪なものが混ざっていたことを。


 これが、一つ目の出来事である。




 二つ目は、その翌日の夜のことだ。


 音乃は、蒔乃のスマホに電話をかけて頼み事をしていた。


 『…音乃ちゃんさー、こんなもの送れって一体何考えてんの』

 多少は気持ちも変わりつつあるが、相変わらず音乃は両親と話をしようとはしないため、蒔乃に持ちかけるしかないからだ。

 「何って。面白そーかな、って。使い道無いわけじゃ無いしね」

 『おとーさん頭抱えてたよ?こんなもの使って何を…って』

 「…それは悪いと思う。マキから謝っておいてくれない?」

 『今回はいいけど、貸しだからね。お土産…って、そもそも音乃ちゃん帰ってくるつもりないのか』

 「あー、うん。まあそのうち、ね」

 『…へー、ちょっとは音乃ちゃんも進歩したんだ。いーよいーよ。その変化に免じて今回は送ってあげる』


 流石家族だけあって、そこら辺の音乃の機微も察したらしく、けれどそれは悪い気のすることではなかった。


 『で、結局何に使うの?自分で?まさか売るわけじゃないでしょーね』

 「そんなわけあるかこのポンコツ妹。私じゃなくって…」


 なんとなく言い淀む。やたら余人に対して口にするのも、憚れるというか。

 が、蒔乃はそれだけで察したようで、急に勢いづいてこう言うのだった。


 『あ。分かった。なんか面白そうだからあたしも行く!っていうかあたしが持ってく!それ以外の手段認めないからね!おとーさーん、あたし音乃ちゃんのとこ行ってくるからー!うん、土日でー…』

 「あ、ちょっ…マキ?こらマキーっ?!」


 電話はとっくに切れていた。


 これが二つ目だった。


 そして、土曜日がやってくる。

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