四章・竜の娘の恋(第一部・終章)

第37話

 『…難しいことを言うものよの』

 「出来ない、とは言わせません。あなたにそうさせても構わない程のことをやったという自負は、こちらにもある」


 電話口の向こうの玄三老は、ターナの押しの強い要求にも関わらず、困ったというよりも孫のおねだりを楽しむかのような口振りだった。


 「もう一度言います。都内の、ヤクザ者や半グレ、不良少年でもいい。とにかくまともではない連中を脅しあげたり締め付けて、何かをさせているという子供の噂を聞いたら、こちらに教えて欲しい。それだけです」

 『聞いたら、ということで良いと?』

 「はい。恐らくその子供、専らに調べている者がいると知ったら対策をとるはず。であれば、何の意図をも持たずに噂話として聞きつけたものの方が、確かな情報を得られます」

 『………ふむぅ』


 ターナの声は真剣そのものだ。

 一方の玄三老は、いくらか考え込む風ではあるが、ターナの狙いがどこにあるのかを考えてまだ面白がっている様子がある。



 犬山家具の事件もほとぼりが冷めた…といっても世間の関心が薄まっただけであって、当事者にはまだ後始末だの警察の捜査だのと、煩わしいことの残っている時期。

 ターナは、実権の無い役職に退いて時間の出来た犬山玄三から連絡を受ける。

 曰く、礼をしたいので何か欲しいものが無いかという申し出だった。

 ターナは特別に入り用のものなどなかったが、犬山の会社が昔、ヤクザ者との付き合いがあったということを思いだし、そちら方面の伝手で「異世界統合の意思」を探し出せないかと、考えついた。


 『…まあ、話を集めるくらいのことは今でも出来なくはない。だがの、こちらはそういった方面とはもう完全に手を切るつもりだ。いつまで手伝えるかは、わからんぞ』

 「出来るまでで結構です。わたしもそれほど期待しているわけじゃない」

 『アテにされておらぬと分かってて力を尽くすというのも、楽しまぬ話ではあるが…ま、よかろう。さして手間がかかるわけでもない。話は集めておくが、いつまでやればよいかの』

 「こちらがもう充分と伝えるか、そちらでもう無理と判断した時かのどちらかで…ああ、もうこんな時に…」


 割り込み通知の発信元は、新宿の事務所になっている。それだけ確認すると、ターナは元の電話に戻った。


 「…済みません、こちらの仕事の話のようですので」

 『そちらが忙しいのはあまり良い傾向ではないの。では何かあれば連絡させよう。樫宮の嬢ちゃんにもよろしくな』

 「はい、また………今度はこっちか…」


 すぐに上村からかかってきている電話に切り替える。

 まったく、玄三老の言う通りだ。出かける前から仕事の電話というのでは、ろくな話ではないだろうに。


 「はい、ターナ。ウエムラさん、こっちはこれから部屋を出るところだ。急ぎでないのならそっちに着いてからに…」

 『悪い、急ぎだ。メールで送るからそっちに先に行ってくれ。ジェレミーが先に向かってるから合流して話聞いて。んじゃな』

 「あ、おい!いきなり……あー、ったく!何なんだ今日は!!」


 日当たりの悪い部屋ではあるが、西日がささないのはターナには助かる。

 暑い寒いへの文句はもともと多くはないとはいえ、それでも暑苦しいよりは涼しい方がマシというものだ。

 早速着信したメールを流し読みしながら、ターナは昨日音乃が作り置きしておいたカレーで仕事前の軽い食事を済ます。

 この季節、カレーといえど常温で放っておくとカビがすぐ生えるものだが、音乃がしつこく仕込んだおかげでターナの食品衛生観念は、そこらの日本人よりずっと上等なものだ。


 「…南新宿で降りた方が早そうだな」


 どっかと胡座をかいてコタツ台に向かい、スプーンをくわえつつスマホを操作し、頭の中で最寄りの駅を選ぶ。

 一年も経つと、異世界から訪れた異能の力を持つ少女、などという立場がすっかり霞んで見える、今日この頃だった。




 「待たせた、ジェレミー」

 「遅かったな…カレー臭い。飯か?」

 「…乙女にカレー臭いとか失礼だろう」

 乙女ねぇ、と軽く肩をすくめた長身の黒人男性の顔を、ターナは下から睨め上げたが、当の相手は涼しい顔で目の前のコーヒーカップを持ち上げて残りの液体を飲み干していた。


 ジェレミー・ライトは最近同僚になったアメリカ人だった。

 もともとはバスケットの海外留学生として日本の大学にいたが、卒業後は日本の実業団への就職を目指してそのまま日本に留まっていて、就活の傍らバイト代わりに新宿の事務所に顔を出すようになっていた。

 一番歳の近いターナがその教育係になり、こうして外回りをする際は一緒に行動している。

 バスケット選手だけに背も高く、ターナと並ぶとどちらが先輩か分からないが、威圧感の必要な場面ではターナよりも役に立つ。癪には障るが。

 性格は厳つい容貌に似合わず温和で、とてもバスケットなどという激しいスポーツで身を立てようとしている風には思えない。むしろターナの方が無鉄砲で感情が先走ることが多いほどだ。

 ただこれは、年齢を考えれば無理の無いところだったが。


 「それで何ごとがあった。というかさっさと行った方がいいのではないか?」

 「…さっき連絡をしたところだ。保護対象が姿を消したと伝えたら、周辺の聞き込みをして足取りを追ってくれ、だと」

 「保護対象?…なんだか最近仕事内容が警察じみてきたな…」

 「まあ話そう。何か注文したらどうだ?ここはコーヒーの種類が豊富で結構楽しめるぞ」

 「…コーヒーの味なんかどれも一緒だろうが…」


 愛好家の神経を逆なでするようなこと言いつつ、ターナも古めかしいソファーに腰をかける。

 小田急線のガードがすぐ側にあるせいか、短い間隔で電車の通り過ぎる音が響くが、それを除けばBGMとして静かなジャズが流れる、落ち着いた雰囲気の喫茶店だ。

 表通りからも目立たず、こんな機会でもなければ入ることもないだろうが、それでもターナには店内の空気は好ましく思える。


 (今度、音乃も連れてきてみるかな)


 注文としてメロンのクリームソーダを頼むと、そんな考えが顔に出ていたのか、ジェレミーがポツリと言う。


 「仕事なんだがな」

 「……分かってる。で、その保護対象者というのはどんな奴だ。何をやらかして保護対象になってる。大体、なんでウチにそんな話が来るんだ。管轄違いも甚だしいだろうが」

 「一時に聞くな。まず管轄違いの件だがな、こっちの町内会からのご指名だ。怪しげな外国人だから引き取ってくれ、というところだろうな」

 「また雑な話だな。何のために警察がいると思ってるんだ」

 「当節警察もお忙しいんだろうさ。事件性が無いってんで断られたらしい」

 「それ以前に怪しげな外国人とは何なんだ。言葉が通じないといっても何語を話してるかくらい分かるだろうが」


 それがなぁ…、とジェレミーは大きく嘆息して背中をソファーに預ける。

 古いマットがギシッと鳴った。


 「…見た目は長い黒髪で、どう見ても日本人。でなくても中国系か韓国系なんだとさ。それで話す言葉が日本語どころか中国語でも韓国語でもない。英語でもなければドイツ語フランス語イタリア語にポルトガルでもない。東南アジアの言語ならありえない話でもないが、とにかく言葉を話す様子とは少し違うとかで、正直言って俺もよくわからん」

 「会ったのか?」

 「いや。話を聞こうとやってきてみたら、俺が来る直前に姿を消したとさ。だからこの辺の話は全部、その場で聞いた内容だ」

 「…それだけでわたしたちに何をどうしろと言うんだ」

 「ターナを待っている間に祥平に連絡しておいた。とりあえずこっちの依頼主と話し合って対応を決めるから、ターナをつかまえておけ、だと」

 「つかまえておけとか、随分信用のない話だな…」


 まあ自覚は無いでもない。

 先日の犬山家具の件など、結果的に上手くいきはしたが、ターナの独断専行が過ぎたのは否めない。

 音乃を危険に巻き込んだことに至っては、無事だったから良かったもののその命が失われていたりしたら、悔やむどころの話ではなかっただろう。

 その辺りの事情を上村たちに明らかにはしていないが、犬山玄三から幾らかは話がいっているだろうから、彼らがターナをどこか危ないなと思うことに逆らう気にもなれないターナだった。


 「あとは、連絡待ちだ。とりあえずな…」


 と、ここでターナの注文したメロンクリームソーダが届けられる。


 「その、甘ったるくて俺には食えそうもないもんを、さっさと片付けておいてくれ」


 視界に入れるのもご免こうむる、みたいな目で見られては、流石にターナも我慢が出来ず、しばし互いの味覚に対する遠慮の無い罵倒が飛び交うのだった。

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