第34話

 見た顔ではなかった。

 だが、抵抗の意思をみせる音乃の腕をとり、拳銃を持っているのならそれで十分。

 こいつは、敵だ。

 ターナは仁王立ちから左半身を僅かに引いて、呼吸を整える。


 「…はっ、こいつはとんだサムライガールが現れたもんだ。妙な映画にでも影響されたか?ニホンゴ、シャベレマスカァ?」

 「お前は自分の国の戦士に払う敬意も無いのか。我が故国であれば、どんな畜生にも劣る輩とて、その程度の気高さはあったものだがな」


 ブン、と刀を振り下ろし言う。

 散った水飛沫が、住宅街の乏しい灯りをも反射して煌めく。


 「こちとら死ねば畜生道さえも通り過ぎる身の上なんでな。気高さ、なんてもんとは縁が無いわけよ」

 「なれば何の遠慮も要らぬな。その身に相応しい最後を演出してくれる。ネノを離せ」

 「誰が離すか、バァカ。こいつはな」

 「きゃあっ?!」


 男は掴んでいた音乃の腕を掴んで引き寄せ、片手で首を抱えてその頭に拳銃を突き付ける。


 「大事な、大事な人質だ。俺が逃げ伸びるまでは、付き合わさせてもらうぜ。…ま、その間他のお楽しみもあるだろうがな」


 どうしてこの手合いは言うことがいつも同じなんだか。

 ターナは心底呆れながら、前髪の先から滴る雨だれを息で吹き飛ばす。

 とはいえ、確かに音乃に銃口が当てられているうちは手出しが出来ない。

 こちらが動けるとすれば…。


 「…会ったばかりでなんだがよ。早速さよならといこうかい」


 男の武器が、こちらを向いた時だ。


 「ふっ!」


 息を吐くタイミングで一刀を投じた。音乃に当たる心配がある。ただの牽制だ。

 そして即座に身を投げ出すように迫る。こちらが本命である。

 銃口が再び音乃に向けられる間も無い。

 だが、ターナはある意味男の胆力と踏んだ場数を読み違えていた。

 迫る白刃に怯えもせず、男は秒の間も無く接近するターナの額に銃口を向け続ける。


 (拙い!)


 咄嗟とっさの認識交換。狙いはそこじゃない。こっちだ。

 恐らくはミリ単位での変更だっただろう。だが、どこか間の抜けた破裂音を放った拳銃は、その弾丸が発射される直前、僅かに下に下がっていた。


 ガァン!!


 首の下に衝撃を受ける。

 こちらの勢いが勝っていたためか、身体が跳ねることもなかったがそれでも迫る勢いは減じられ、身体を捻ったターナは続くであろう弾丸を避けるために転がり、一旦二人から距離を置かざるをえなかった。


 「ター…っ?!」


 こんな時だが、音乃の叫び声が心地良い。あと少しすれば、その声をもっと間近で聞ける。

 そう思い、不敵に笑うターナ。


 「…おどれぇたな。その鎧、銃弾も防ぐのかよ。こりゃあぶっ殺すのにも手間がかかりそうだが…」


 男に加えた認識はまだ残っているようだった。ターナの胴を貫かねば殺せない。そう思われている。

 緒を引き、愛刀を手繰ると、引いた勢いのままにターナの手に戻った。


 「あとそのヤッパも厄介だぁな。どれ、こっちに寄越してもらおうかい。言うことを聞かなければ…」


 と、音乃のこめかみに金属を擦りつける。


 「…こいつのカラダの保証はしねえぞ」

 「ネノに手をかければ、その瞬間貴様も同じことになるがな」

 「馬鹿か、おめぇ。命なんざ奪わなくてもよ…」

 「ひぅっ?!」


 と、音乃の耳の辺りに舌を這わせて言う。


 「…女の人生失わせるくらい、わけねぇのよ」

 「………」


 その様を目の当たりにして、ターナは酷く冷静だった。


 「…おいネノ。あとでそこのところ消毒しろ。馬鹿が感染うつったらかなわん」

 「言うじゃねえか、おい。今までこう煽ったら大概の男は逆上して襲いかかってきたんだがな。そんな阿呆を返り討ちにするなんざぁ、造作もねえってのによ」


 怒りがないわけではない。

 だがそれは、いつか音乃が連れ去れた時に抱いたような憤りともどこか違う。


 「さて、言うことを聞いてもらおうかい。雨で銃声は聞こえやしねえだろうが、下に行った役立たずどももそのうち上がってくるだろうよ」

 「痛っ!」


 押し当てた銃口を抉ると、音乃は痛みに顔をしかめる。


 (仕方ない、か)


 愛刀を投げ捨てる。金属としてはやけに甲高い音が、耳に響く。


 「そのヒモも、だ」


 それはそうだろう。左手にそれを握ったままでは放棄したことにならない。

 ターナは、男の認識がこちらに半ばあることを確認する。

 左手から緒を放す。

 音乃と目が合う。


 「ほれ、下がりな。向こうのフェンスの端までだ」


 一歩下がる。

 音乃の目を見た。


 二歩下がる。

 わたしに構わないで!…などとは言わなそうだ。


 三歩下がる。

 男が前に出る。


 四歩下がる。

 男が更に前に出る。


 五歩下がる。

 男がこちらを見ながら、足下に投げられたターナの刀を蹴り飛ばす。


 六歩目は、大きく下がった。

 と同時に、音乃と自分、半分ずつに分かたれていた男の認識を力尽くで自分に集める。


 (れたっ!!)


 それを確認すると同時に、下がった重心を前に戻す勢いをそのまま、前方に向ける。

 ターナの人生でかつて無い程の力強さで、右足を踏み込む。

 男は音乃から腕を放し、両手に構えた拳銃をターナに向ける。

 その先は過たず、自分の胴にある。

 そして軸足を踏み抜いた…時に、脆弱な防水シートが剥がれ、ターナの右足は大きく後ろに空振った。


 (こんな時にっ?!)


 頭が下がったせいで、眼の間と銃口の軸線が完全に一致する。このまま引き金を引かれれば、間違い無く眉間か脳天に、鉛が食い込む。


 (くそっ!!)


 足下を確かめなかった我が身の迂闊を呪った。

 自分だけではない。音乃の心身も失われしまう。

 そう思って、代えようのない後悔に塗れるかと思われた時。


 「ターナぁっ!!」


 (熱っ!!)


 ターナの認識に流れ込むものがあった。

 それは熱くて厚くて、柔らかくて冷たくて、堅くて眩しくて、そして何よりも温かかった。

 一瞬で自分を満たしたものの正体を掴みかね、一瞬ターナは自我を亡失する。

 だがそれは本当に瞬の間のこと。再び目を開いたターナの視界に、音乃の手があった。


 「これ!」


 その手は、男が蹴り飛ばし、手の届かない場所に転がったターナの刀を払い、ターナに集まった認識がまた音乃に逸れた隙を利して、愛刀はその手に戻る。


 「このアマァっ!!」


 それを見て音乃の突発的な行動の意味を解した男は、容易に逆上した。

 だが、音乃とターナ、どちらを狙うか迷ったがために、ターナに対応する時間を与える。

 そして逆上の怒りが勝ったか、それは音乃に向けられた。


 「させるか!!」


 躊躇いなく銃口と音乃の間に身を投ず。

 のみならず、受け取った愛刀を振るい、男を打ち捨てんとするが…それが悪手だった。


 銃声。雨に妨げられはするが、音の響きは間違い無くターナの耳に届いた。

 それが自分に向かうことを祈りながら、背中の音乃を庇うように両腕を広げる。

 その肩に擦過音。

 それから、ドウ、と何かが倒れる音がする。


 怖い。

 振り返った先に何があるのかを知るのが、怖い。

 けれど。


 「音乃っ?!」


 振り返る。

 横たわっていた。こちらに脚を向けて。

 駆けたことを、きっと微塵も後悔せずに。


 「ぎゃぁっ!!」


 そして、前方から無様な声。

 ターナの投じた白刃は、確かに男の右腕を貫いていた。

 その腕を押さえながら転がる男に駆け寄り、腹を蹴り上げる。


 「ごふっ!」


 血反吐でも吐いたかと思えるような湿った叫び声。

 構わず男に馬乗りになり、腕に刺さったままの刀を抜く。


 「いでぇ…いでぇよぉ……ちくしょうめ、このガキ、殺してやる…殺してやる…」

 「やりやがったな貴様!お前じゃない!わたしが、わたしが貴様を殺してやるっ!!」

 「ああやれよ!やりやがれよ!ほらどうしたよ!その刃物でこの首落としてみろよぉっ!!」


 『殺しちゃダメ!!』


 一瞬で、沸騰した血流は凍り付いた。

 逆手に振りかざした刀はそのまま停まり、切っ先から滴る血と雨滴が、男の喉元に落ちる。


 『…ターナには、私のことで人殺しなんかさせたくない』


 「だが、だが…こいつは、お前を……殺した…」


 何故自分の内に音乃の声が聞こえるのか。

 それは当然の疑問だが、ターナは不思議に思わない。


 「ひっ、ひぃ…おら、どうした……殺せねえのかよ。殺せねえなら…俺がコロスぞ!」

 「黙れ!」


 刀の代わりに、拳をその顔に打ち込む。


 「ぐっ!」


 くぐもった悲鳴のあとには、曲がった鼻があった。折れたのだ。


 「…ああ、いいさ。殺してやる。わたしがお前を殺す。憎めよ…お前を殺すわたしを憎め!!」

 「言われねえでもなあ…俺を殺したガキの顔だ、死んでも忘れねえぞ!」


 憎悪の認識が流れ込む。求めずとも押し寄せる。その奔流に吐き気を催すが、ターナは必死でそれを堪えた。

 今この時、男にとっての世界はターナの存在だ。

 男の認識する世界の全てが、ターナの手の中にある。

 それを、同じ憎悪と、同量の憐憫と、それから僅かに音乃への哀悼を込めて作り替える。


 …そうして、男の世界を、換えた。


 ターナは生まれて初めて、ひとの世界を、殺した。

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