第33話

 「ほお、それがお前さんの正装、というわけかね?」

 「あまり見せびらかすものでもないので」


 必要な話を終えた後、ターナは乞われて着装した姿を玄三老に披露した。

 マンションでの件で、ターナの常識外れした能力の一端はこの老人の元にも報告されていたらしい。社長側に仕掛けられた情報網は正直舌を巻く思いだ。


 「まるで変身ヒーローのようじゃの。よう似合うている」

 「なんですかそれは…」


 別にそんな必要はないが、腕甲の具合を確かめながら、賞賛なのか揶揄なのか分からない言葉の意味を考える。

 ヒーロー、か。ネノにとってのそれであれば、そう悪いものではないかもな、と思うとなんとなく口が綻ぶターナだった。


 「さて、頃合いです。終えた後は連絡を?」

 「そうじゃな…送らせようかの?」


 雨の本格的に降り出した空を見上げながら、玄三老はターナにそう申し出た。

 だが、この天気であれば自分の力で駆けつけた方が早い。これから暗くもなる。雨のことでもあるから、高いところを選んで飛び跳ねて行ってもそう注目を浴びることは無いだろう。


 「いえ、結構です。一人で行った方が早い」

 「若い者はせっかちだの。だが、頼もしくもある」


 感心したように言う玄三老。


 「後のことは頼みます。正直、後始末はわたしには荷が重すぎる」

 「心配は無用。もとより準備は進めておったからな。切っ掛けがなかっただけのことだ」


 体良く利用されているように思えて、面白くない気はした。

 だからというわけではないが、ターナは話を聞いて気になったことを進言する。


 「ところで、ヤクザ者と手を切るのであれば、手の者に銃など持たせないほうがいいのでは?それでこちらが助かったのは事実ですが」

 「ああ、そのことなら心配は要らん。あれは模造銃だ。普通に日本で買えるものに過ぎんよ」

 「偽物というわけですか…そんなものでさっきの、カジオとかいう男は騙されていたと」

 「自分が手を染めていれば相手も同じことをやっていると思い込んでしまうものだろて。ま、思ったより愉快に踊ってはくれたようだがの」


 ほっほっほ、と顔だけ見れば好々爺のように笑う様子を、ターナは呆れて見返した。


 「…全く。あなたも相当なタヌキだ」

 「財界からは今家康の二つ名を頂戴しておる。名にし負う、と喜ぶべきところかな。さて…」


 それから、手を叩いて東屋から離れたところで待っていた男を呼び、こう命じた。


 「達也を呼んできなさい。彼女に引き合わせておこう」


 そういえばそれも目的の一つだったな、と思い出す。

 急いではいるが、無事であることをレーニに伝える意味はあるだろう、と仕度を調えつつ待った。

 そして、程なくやってきた人影を見てターナは、驚くというより、ある意味納得するのだった。



   ・・・・・



 最悪だ、と音乃は思った。

 拳銃なんぞを持ち出してきた辺りで気がつくべきだったと思うが、この馬鹿社長、選りに選ってヤクザ者と関係があったらしい。

 一目でそう思えるくらいに、途中から混ざってきた男はそのものだったと言える。

 着崩した黒のスーツ。ネクタイはしていないが、シャツの色は目に痛い紫色。

 いやそれよりも、穏やかさを演出しようとしてかけた眼鏡が、かえって目の奥の獰猛さを際立たせているように見えるのが不気味だった。

 髪型こそパンチパーマなぞではないものの、過剰な整髪料で固められたオールバックは、威嚇しようとしているのか警戒を薄めようとしているのかどっちなんだ、と突っ込みたくなる衝動に駆られる。


 「社長さん。あんたには貸しが山ほどあるんだ。貸した相手が下手をうって倒れられては困るんでね。手伝わせてもらいますよ」

 「冗談じゃない!あんたらが表に出てきたらこっちの立場が危うくなるんだ!いいからここは黙って見ててもら…」

 「社長!」


 その時隣の部屋から、血相を変えた男が一人飛び込んできた。音乃の監視をしていた男だった。


 「なんだ!今取り込み中だ!」

 「いえ、その…そっちの娘のスマホを取り上げておいたのですが、それがさっきから何度も鳴ってて…」


 ちっ、と舌打ちの音。混ざってきた剣呑な男のものだった。


 「…これだから素人は。電話を取り上げたのなら電源切っておくくらい常識だろうが」

 「あんたらの世界の常識を押しつけないでもらおうか!」

 「それでアシが付いてりゃ世話ねえんですよ、社長さん。どこからだ。家からなら適当にあしらって…」

 「それが…『まいだーりん』とかいうふざけた名前の奴で」


 ぶっ、と思わず吹き出す音乃。なんというタイミングでかけてくるのだ、ターナは。


 「貸してみろ…ああ、いや、あんたに出てもらおうか、社長さん」


 紫シャツは受け取った電話を犬山郡司に押しつけて言う。

 ちょうどその時、マナーモードになっているスマホが鳴り始めた。

 これで何度目の着信かは分からないが、呼び出し音は辛抱強く続く。


 「早く」

 「…くそっ。ああ、誰だこんなくだらんあだ名の奴は」


 仕方なく通話ボタンを押し、耳にあてた。



 『イヌヤマグンジだな?その電話の持ち主の守り神だ』

 「……そういうお前は梶尾が連れてくる予定だった娘だな?今何処にいる」

 『もうすぐそちらに着く。首を洗って待っていろ、とでも言う場面だろうが、生憎その役割はお前の父親に任せてある。こちらの用件は一つだ。そこに居る二人の娘を無事に引き渡してもらおう』

 「笑わせるな、ガキが。貴様がどれだけ腕が立つか知らんがな、こっちにはそれ相応の迎え撃つ準備というものがあるんだ。怪我をしたくなかったら大人しく引き返して親父に伝えろ。もうあんたの時代は終わった、とな」

 『笑わせるな、と言いたいのはこっちの方だ。よくもそんな小悪党の吐くような台詞を平気で口に出来るな。聞かされるこちらが恥ずかしい』

 「なんだとこの…」

 『三分だ。三分でそっちに着く。せいぜいオムツの用意でもしてガタガタ震えながら待っていろ。ああ、警察の心配なら要らないぞ。こっちは一人だ。…言っておくがな、そこの二人にかすり傷でもつけてみろ。生きたままそのビルの屋上から突き落としてやる。八階建てなら運が良ければ死なずに済むかもしれないな。ではまた後でな』

 「おい待て!お前ここが何処か分かって……くそっ、切れやがった!」



 こりゃあ相当怒ってるな。

 社長の耳元の向こうでターナが何と言っていたかは分からないが、助けに来てくれているのは間違いなさそうだ。それも、かなりの勢いで。


 「…レーニ、大丈夫。もうすぐ助かるよ」

 「ターナ、来るですか?」

 「うん。私たちの王子様、みたいなものかな」

 「はい。でも、ターナ、ネノの王子様です。わたしの王子様、タツヤさんです」


 傍らのレーニが、くすっと笑う。

 いいな。この笑顔で、ここから出よう。

 そう思って意を強くする音乃だった。


 一方、男達はターナからの電話で慌ただしさを増している。


 「おい、下に行け!すぐ来るぞ!」

 「社長、逃げ出した方が…」

 「小娘一人相手にそんな真似が出来るか!いいから追い返して来い!この際だ、銃も持っていけ!」

 「二丁しか無いんですよ?!」

 「ああ、一丁は置いていってもらおうか。私が使わせてもらう」

 「なんだって?あんたも下に…」

 「社長さん、あんたには護衛ってもんが要るでしょうが。向こうが何をやるつもりなのかは知らないが、突破された時にあんた一人で相手をするつもりなんですかい?」

 「………くそっ、確かにあんたの言う通りだ。お前たち、言われた通りにしろ!」

 「はっ、はい!」


 四人の男達が部屋を出て行った。

 残されたのは、音乃とレーニの他に社長の犬山郡司に、紫シャツの男。

 和やかさと正反対の空気になっているが、音乃にはむしろ心強い。


 「ああ、西村さん。スマホの電源を…」

 「この期に及んでどうでもいいですよ、そんなこと。それよりここを切り抜けた後の算段でもした方がいいんじゃないですかい」

 「あ、ああ、そうだな。親父が本気になってなければいいんだが…」


 と言いつつ机の上の電話に向かった社長に、西村と呼ばれた紫シャツの男は「グズが」と聞こえないように吐き捨てていた。

 そして静かになった部屋に、雨の音がやけに大きく聞こえる。

 外ももう暗くなってきており、間接照明を主にした灯りがいつの間にか点けられている。


 「…ああ、そうだ。口座を押さえておけ…なに?おい、まさか…そんな馬鹿な?!」


 こんな場合でなければ、小洒落た雰囲気の部屋で落ち着いてもいられようが、焦りからか音乃たちがいるのも構わず当たり散らす中年の男に、いい気味だ、と思うだけであった。


 「…クソ親父め、手が早すぎる!」

 「まあ大体想像はつきますがね。どんなもんです?」

 「こっちの口座には全て手が回っている。会計に知らせていないものも含めて、全部だ!」

 「ああ、相手を舐めてかかるからそうなるんです。あんたの言う時代遅れのお手並みが、それですよ」

 「どっちの味方なんだあんたは!」

 「私?もちろん、勝つ方の味方ですよ。負け犬には興味が無い」


 そしてあんたはもう負けたんだ。

 言外にそんな含みを持たせた皮肉は全く理解されなかったようで、一人逆転するためにはどうのこうのと呟いている犬山郡司を、紫シャツは冷ややかに見つめるだけだった。


 「…さて、私は逃げるとしますが……付き合ってもらえますかね?」


 その視線が、一転して音乃に向かう。


 「どんな怖い人が来るのかは知りませんが、あんたの知り合いなんでしょう?私が逃げ延びるまでの人質にでもなってもらいましょうか、ね」

 「イヤに決まってるでしょ」

 「そう言うとも思ってましたが。さて、これの出番というわけで」


 と、先に取り上げておいた拳銃を音乃に突き付ける。


 「こういう時のためのチャカなんでね」

 「…社長さんを守るためのものじゃなかったの?」

 「あなた、賢そうなので分かってると思いますが。そんなわけないでしょう?あんなバカ殿、本気で守る価値があるとでも?」

 「貸しが無駄になるんじゃなかったっけ」

 「博打は引き際が大事なんでね。あんたが嫌なら…」


 と、凶暴な本性をようやく剥き出しにして続ける。


 「そっちの女を連れて行ってもいいんだが?」

 「……分かった」


 時間を稼ごうと思ったが、もう無理のようだ。

 ターナのことだから下から来たりはしないだろうが、この男逃げ道くらい予め用意していることだろう。


 「ネノ?!」

 「ごめん、レーニ。私先に行くから、ターナが来たらよろしく」

 「ネノ、ダメです!」

 「お願い」

 「ダメ!」


 聞き分けのないレーニを説得する振りで細かく時間を稼いではみたが。


 「いい加減にしろ。行くぞ」


 紫シャツの男には通用せず、音乃のは腕を強引にとられ、引きずられるようにしてレーニから離された。


 「ネノ!まってください!」


 それでもなお、レーニが取りすがろうとした時。


 …ズン。


 (あ、来たな)


 音乃の心に安堵と歓喜をもたらす音が響く。


 「な、なんだ?上から?いや、まさか……とは思うが…おい、一応見に行くからついてこい」

 「いたぁっ?!引っ張らないでよ!」

 「あとお前はそこにいろ!」


 銃をレーニに向けて牽制しつつ、音乃を引っ張っていく。

 向かう先は、部屋を出てエレベーター…には向かわず、廊下の奥にある非常階段。そこから屋上に出られるらしい。


 「くそっ、こんなことになるなら…」


 言わずもがなの愚痴をこぼしながら階段を登り、今いた部屋からは想像するのも難しいような無骨な扉を開く。

 そして外は、雨だった。

 男は一応雨から身を庇うように銃を持った腕をかざし、そこに広がる光景を見るが。


 「…何も無いじゃねえか。ビビらせやがる……うん?」


 防水シートが床に貼られただけの屋上。

 何も無いと見たその中に。


 「ターナ!」


 「待たせたな、ネノ。迎えに来た」


 愛刀を肩に担ぎ完全武装の、音乃のヒーローがいた。

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