第32話

  ターナを相手に態度の大きな口を叩きながら服装のことでやり込められていた男は、拳銃を突き付けられて以後は一言も話さずにジッとしていた。

 運転手の男も特に無駄口を利くこともなく、車は都内の下道を静かに走り、やがて雨の降り出す頃に閑静な住宅地にある、一際大きな屋敷へと滑り込んだ。


 「…ここは……お前まさか」

 「お話は後にしましょう、招かれざる客人。で、招かれた客人は、どうぞこちらへ」


 車を止めると、スーツ姿ながらも機敏な動きの男が数名、どこからともなく現れてターナが車から降りるのを手伝う、といってそれくらいのことは自分で出来たから、差しのべられた手を断って自分の足で立つ。

 辺りを見回すと、雨のせいかより濃密に思える緑に満ちた庭園で、車はその端に止められていた。


 「ご案内します」


 慇懃ではあるが無礼に思えるギリギリ一歩手前。そんな丁寧な対応にターナは内心辟易しないでもなかったが、ともかく相手は話をしたいらしい。であれば、応じないわけにもいくまい。

 運転をしていた男に続いて、玄関があると思われる方角へ向かう。

 助手席の男、確か梶尾とかいったが、そちらも置いていかれては困るとばかりにターナの後に続く。

 先頭を行く男はちらりとそれを見たが、特に止めることもなく好きにさせるようだった。


 「大きい屋敷だな…」


 車を止めてから玄関まで分単位で時間がかかるところなど、音乃の住んでいる屋敷を思い出さないこともないが、ターナの述懐は感心したというよりも、呆れたという色のの方が濃かった。


 「半ば文化遺産のようなものですよ。会長は社長に譲られるつもりもありません。然るべき団体に寄付するおつもりのようです」


 然るべき団体、というのが何かは分からなかったが、税制に詳しくないターナでもこの土地でこれだけの家屋敷であれば、相続に相当な金額はかかるだろうな、と想像は付く。

 と同時に、案内役の男の口振りから会長・社長の親子間にややこしい葛藤があることも類推出来た。


 「…話題の会長に会えるということか」

 「左様で」


 今さら勿体ぶる必要もあるまい。

 男はそんな感じに、あっさりと告げた。


 「間に合えばいいのだがな…」


 そしてターナのその言葉は、社長側に連れ去られた音乃とレーニの心配である。

 どうも、親子間の対立に巻き込まれた、という具合なのだが、せめて会長が味方…でないにせよ、せめて敵対しないのであれば、二人を助け出す力になってもらえるかもしれない。

 …いや、そうさせるのがわたしの果たすべき務めだな。

 革ジャンのポケットに両手を突っこむいつもの体勢で、小雨に髪が濡れるのも構わず、さてどういう話をするべきなのか、と算段するターナだった。




 「ようこそいらした、と言えるような関係ではあるまいが…ともかくこちらの都合で招いたのだ。失礼はなかったかな」

 「熱烈歓迎、とは言えませんが、不快なこともありませんでした。良い部下をお持ちのようです」

 「これは褒められたととっていいのかな、異国のお嬢さん」

 「受け取り方は如何様にも。わたしの関知するところではありませんので」


 通されたのは屋敷の中ではなく、玄関の脇を通り過ぎて更に奥にある庭の、東屋あずまやだった。

 そんなものまであるとは、個人の邸宅にある庭園の規模としては度が過ぎているような気もする。

 ただその分、屋敷は大きなものではないようで、東屋の屋根の下から見える木造平屋の建物は、厳粛な印象を与えながらも威圧的ではなかった。


 「さて、招いておいて名乗りもしない、というのでは最後の最後で礼を欠く。犬山玄三いぬやまげんぞうと申す。いささか手荒い手段で申し訳なかったが、時間が無かったのでな。どうか許されたい」


 礼儀云々言えるよーな誘い方ではなかったがなあ、とぼんやり思うが、今それを言っても始まるまい。

 ターナは、社交辞令という表現を頭に浮かべながらも、一応は正確に名乗りを上げる。


 「ヴィリヤリュド・ターネァリィス・アミーリェティシアと申します。長いので、ターナ、とでも呼んで下さい」

 「ふむ…些か拝聴したいこともあるが、ま、それは肝胆相照らす仲となってからでも遅くはなかろう。ではターナ嬢。まずは、我が不肖の息子の不始末についてお詫びをしたい」


 不始末、で済む問題か?アレが。

 言わずにおいたが、確実にそんな意を込めた顔つきで、ターナは頷く。一応は鷹揚に見えるように、だったが。


 東屋は四人が一つの卓を囲んで座れるだけの広さはある。

 ターナは、玄三老と向かい合わせに腰掛けていて、屋根の外には飲み物をもって控えている部下らしき男の他に…。


 「か、会長!社長も、しゃ…社長も……その、社と会長の御為と思い、全てを運んだのです。ど、どうか、寛大な処置を…」

 「ああ、お前さん確か、梶尾、とか言ったか?親の儂が言うのも何だが、そこまで義理立てするほどの人間でもあるまいて。入れ込むのも程々にしておいた方がいい。ま、お前さんにも相応の旨味はあるのかもしれんがな」

 「………」


 淡々と言われる皮肉というものは、その真意を理解している人間にはえらく堪えるものらしい。

 屋根の下で土下座でもせんばかりだった勢いはあっさりと萎み、梶尾は肩を落として退出していった。

 代わりに入ってきたのは、今一人に傘を持たせて待期していた男の方だ。その手には茶道具の乗せられた盆が乗せられている。


 「急ぐのは分かるが、まあ茶でも飲んでおきなさい。聞きたいことには全て答えよう」

 「その代わり、あなたの息子のしでかしたことの解決に力を貸せ、とでも仰るつもりですか?」

 「察しがいいな。ここ数年、我が家を悩ませ続けてきた難題を一気に片付けるまたとない機会であってな」


 急須に注がれる湯はあらかじめ冷まされたものが用意されていたらしい。

 適温とみて湯は注がれ、急須の中で茶葉が開き、よく味が出たタイミングで小振りの茶碗に注がれる。


 「…手間のかかることですね」


 ターナが言ったのは茶のことだったが、現実の問題と重ねて見ると同様の感想にもなる。

 そこに面白みを覚えたのだろう、玄三老はふっふっふと含み笑いを漏らす。


 「…さて、そちらの事情は大凡承知している。時間が無いのであろう?」

 「話が早くて助かります。まず、わたしの連れ二人の居場所。それから、あなたの孫の居場所でしょうか」

 「レーニと…確か樫宮、音乃であったかな。お連れさんの方は」


 これには流石にターナも驚愕の色を隠せない。レーニは仕方ないとしても、音乃の身分は極力隠していたはずなのに。


 「そう驚かんでもいい。スポーツメセナ、というやつでな。会社の名前でスケートには支援しているから知っていただけのことだ」

 「そうですか…」


 浮かせかけた腰を落として納得する。音乃が意外なところで有名だったわけだが、それでターナの態度が変わるわけでもない。


 「一昨年かの?大怪我でシーズンを棒に振って、そのまま止めてしまったと聞くが。いずれは日本を代表する選手になるものと思っていたのだがの。元気でやっているのかね?」

 「今話すことでもないと思いますが。まあ、元気でやってはいますよ。こちらはいろいろ振り回されて目の回る毎日だ」


 音乃にしてみれば不本意極まりない言い草だろうが、ターナにも言い分くらいある。

 蒔乃の時といい、結構な確率でやっかいごとに巻き込まれてくれる。その度に奔走するこちらの立場にもなってみろ、というものだ。


 「…楽しそうではあるがの」

 「とんでもない。確かに世話になっていることは否定しませんが…それ以上に厄介ごとが増えた。悪友という言葉の意味を噛みしめる日々です」


 自分では苦り切って言ったつもりなのだが、見守る眼差しは優しく、それこそ孫のような年頃のターナを慈しむようにも思えた。


 「心配はしていたが、大分立ち直ったようで何よりだ。済まぬが、そのまま良き仲であって欲しいものよ」

 「…ネノに何か、気がかりなことでも?」

 「あの娘がケガをした後の様子が、の。なんとも痛々しい限りであったから、どうしているか気には掛けておった…時間は無かろうが、聞かせておくかね?」

 「………頼みます」


 それはターナにとっては、この状況であっても何よりも重要なことなのだった。




 「怪我を負ったのが自分の責任であれば、そう気に病むこともなかったであろうが、如何せんあの娘に怪我を負わせた者がおった」

 「ええ、そのように聞いています」


 二杯目の茶は玄三老手ずからのものだった。

 少し熱めではあったが、気温の下がってきたこともあって身体には具合の良いことに思える。

 ターナは熱い茶碗を両手で玩びながら、話を聞く。


 「儂らには理由の分からぬことだが、あの娘は自分で競技を離れる決心をした。それが及ぼす影響は小さくなかったのだが…心ない者がおってな。怪我を負わせた選手が幾人かの関係者に手酷く誹られるという出来事があった。それがもとで、その選手もスケートを止めることになったのだが、樫宮の嬢ちゃんは、それも自分のせいだと思い込んでいたらしい」

 「それは……」

 「そこまで責任を負いたがるのはいっそ傲慢と言うべきなのだろう。だが競技を止めた者をいつまでも追うわけにもいかぬ。両者ともその後どうしているか庸として知れなかったが、この度奇縁にて一人の様子が知れただけでも、儂にはありがたい話よ。…のう、儂が口出しする立場でもないが、お前さんの友人に、過去からの気がかりとして今の話、届けてはくれんか」


 ターナは俯いて唇を噛む。


 (あのバカ、自分の手の届かないものまで背負い込む必要は無いだろうが)


 そして、ネノを救い出す理由が増えたことを、自分でも不思議と嬉しく思った。


 「…誓って」

 「よろしく頼む。では、本題に入るとするかね」

 「ええ」


 だが、それも全てが片付いてからだ。

 姿勢を改めて、話を聞く体勢を整えた。


 「…あの馬鹿息子だが、会社以外にいくつか隠れ家を構えておっての。その一つにはいるだろうが…まあまだ場所が絞れておらん。調べさせてはおるが」

 「二人がそこに連れ込まれたとは限らないのでは?」

 「レーニの身柄を抑えておくつもりなら、手元に置いておくと思うが、な」

 「そう考える理由が、わたしには分からないのです。納得も出来ずに動き回るわけにはいかない」

 「ふむ」


 ターナの言い分を聞いてしばし、玄三老は考え込む仕草を見せる。

 …下調べをしなかったのは軽率だったとはいえ、事こうなればむしろ先入観抜きに相手を観察出来るともいえる。

 見たところ、年齢は七十といったところか。和装のせいもあろうが、会社の経営者というよりは政治団体の首魁のようにも見える。

 頭頂部まで禿げ上がった色黒の顔は精力的に見えたから、見た目よりは老いているのかもしれないが。

 何を考えているのか、認識を一度捉えてはみたが、しっかりと思考が内を向く性質なのだろう、ターナにそれと分かるような事は特に無かった。


 「…まあ、よくある話であり、身内の恥でもあるが…そもそもの発端から話した方が良いか。掻い摘まんだ話でも構わんかね?」


 時間があるわけでは無いのだから、長くならないのであればターナとしては願ったりだ。ゆっくりと頷いて、応諾を示す。


 「爺いは話が無駄に長いと叱られるからの。さて、起こりはあの馬鹿息子がフィリピンのカジノで穴をあけたことに始まる。会社の金を使い込んでいた、という所も含めて、ようある話じゃな」


 こちらの常識に疎いターナに、よくある話、などと言っても栓は無いのだが、玄三は意に介さずそこはかとなく楽しげに、話を続ける。


 「うちはオーナー企業ではあるが…上場企業でもあるから、そんな話が公になれば大事になる。そして、焦った馬鹿息子は空けた穴の穴埋めを申し出てきた怪しげな連中の話に乗ったわけだ。まんまとな」

 「…ああもう大体話は分かりました。その連中が非合法組織の者共で、弱みを握られた社長は言いなりになったと。ついでにカジノもそいつらの仕込みだったんでしょう。本当によくある話だ」


 実際に起きた話を聞くと馬鹿馬鹿しくて力が抜けますが、とは相手の体面を慮って控えたのだが、顔に出ていたのか、玄三老の顔には自嘲の笑みが浮かぶ。


 「とはいえ、一部は親の責任でもある。我が社はな、今でこそ家具専門に商っておるが、昔はその筋にも通じておってな。儂の代でそんな関係は清算したつもりだったが…馬鹿息子にはそれが面白うなかったらしい。自分なら、と関わらんでもいいのにむしろ関係を深めようとした結果が今、というわけだ」

 「レーニの家のことは?社長が結んだ関係だったと聞きましたが」

 「仕事のことであれば、それは儂がまとめた話だな。子供同士をめあわせよう、などと閨閥紛いのことを言い出したのは息子の方だが。儂は反対したのだが、これがまた当人同士はお互い気に入ったようでなあ…引き裂いてしまうにも忍びなくて、しばらく見守っておったのだが」

 「…つまり、空港でレーニに帰るよう伝えたり、宿を手配したりしたのは」

 「キナ臭い動きが目立ってきたからの。息子が呼び寄せたと聞いたので、先回りして帰るよう申し伝えたのだが、帰ろうとしなかったので保護することにした、というわけだ。まさか出歩いてお前さんのような自由人に匿われるとはおもわなんだが」


 なるほど、と深く納得するターナ。

 というか自由人とは何だ。遊び人のように言わないで欲しい。


 「では社長がレーニの身柄を押さえておく理由とは…」

 「儂への牽制、手柄独り占め、あるいはハースキヴィの家への人質。そんなところだろう」

 「あなたはこの事態をどう片付けたいのです?」

 「馬鹿とはいえ息子には違い無い。それに、会社も大概大きくなりすぎた。一族経営ではこの先無理もあるだろう。社員の生活も守らねばならんからの。息子は退任させて、後任に全て委ねることにしよう」

 「…レーニはどうするつもりです」

 「本人たちの気持ちを大事にする他あるまい。家業の都合なんぞで別れさせるのも気の毒だ。ま、これはハースキヴィの意向もあるだろうがの」


 結構。それなら自分のやることはシンプルだ。

 音乃とレーニを、助け出す。

 後のことなど知ったことか。


 「…で、彼女らの居場所のことだが」


 そんな気分が面に出たのだろうか。どこか人を食った表情だった玄三老が顔を引き締め、そして言った。

 だがターナは、まさかと思いつつだが、自分のスマホを取り出す。


 「失礼。一つ確かめておきたいことが」


 そしてアプリを立ち上げて操作をすると、一瞬ポカンとした顔になり、それから本当に可笑しそうに相好を崩した。


 「何事かね」

 「なにごと、といいますかね。会長、あなたの息子さんとその部下たちは本当に悪事には向いていない。確かに、ヤクザとは手を切らせた方が良さそうだ」


 眺めていた画面を、玄三老に向ける。


 「…ネノのスマホに、GPSで位置情報をこちらに伝えるアプリを入れてあります。連中、きっとスマホを取り上げるくらいはしたでしょうが…電源までは切っていなかったらしい」


 アプリの画面にある位置を示すアイコンは、地図上で川崎市の某所を指し示していた。

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