第30話
「かかったぞ」
流石に緊張を感じさせる固い声でターナが言った。
昼食をレーニの希望通りに駅近くの雰囲気のいい蕎麦屋で、世話になっているからと言うレーニの支払いで済ませると、空港近くまで足を伸ばしてみた。
ターナはいちいち言わなかったが、動く度に周囲に自分たちの存在をすれ違う人たちの認識に残し、いつもと逆のことをやっていることに苦笑していたのを音乃に見咎められてみたりしながら、離発着する飛行機がよく見える公園までやってきた。
日曜日ではあるが、雨の降りそうな天気でもあるせいか意外に人は少ないが、それでも家族連れや大きなカメラを抱えた趣味人と思える姿も見受けられる。
まさかこんな場所で直接的に掠いに来たりなどはするまいが、音乃もターナの言葉で辺りを警戒する真似事をしてみた。
「…何もないけど」
「こっちに注目してる気配がぷんぷんする。外国人が珍しい、って手合いでもないな、これは」
「ターナ、すごいです。ブドーの達人です」
「そういうものとは大分違うんだが…と、ほら来たぞ。振り返るな」
修行や鍛錬の成果会得したものとは全く正反対の資質を褒められて困り顔のターナだが、海に向かっていた自分たちの後背から近付く気配に注意を促し、アプローチを待った。
「ねえ君たちどっから来たの?ヒマなら俺らと遊ばない?」
かくっ。
思わず片膝から脱力する音乃とターナ。
レーニだけが不思議そうにそんな二人の様を見ていた。
「…そう来たか。お為ごかしはいいから話をしようじゃないか………おい」
ナンパにかこつけて接触しようとした手口に呆れつつ振り返るターナが見たものは、確かに人数こそ四人とこちらを上回ってはいたが、明らかに無理矢理若作りしたと思える出で立ちの、中年の男たちだった。
「…あのなあ、そーいう指示があったのか自発的にやったのかは知らないが、いくらなんでもその格好は年甲斐がなさ過ぎないか?」
「…うちのお父さんの若い頃みたい。格好だけなら」
音乃の評価は辛辣だったが、生憎と素である。それだけに男達も傷つくものがあったのか、よくてバブル時代の申し子みたいな衣装の男達は、揃って項垂れている。
「…好きでやっているわけじゃない。うちの若手が揃って使い物にならないのが分かったから仕方なく、だ」
その中の、最初に三人に声をかけてきた男が代表してそう反論…いや、言い訳する。
見れば髪に白いものも混じる、こんな格好でなくそれなりのスーツでも着こなしていれば相応の立場に見えそうな男ではあった。
「仕事はいえご苦労なことだな…で、だ」
心底労るような調子のターナだったが、すぐに声色を一変させて続ける。
「貴様たちは、どちらだ?社長の方か、会長の方か」
「…その様子だと待ち構えていたようだな」
「どころか心待ちにしていたくらいだ。あれだけ露骨に足跡を残しておいた割には遅かったな」
無能を誹られたとでも思ったのか、四人が一気に気色ばむ。この生意気な小娘が、とでもいうところか。
「ふふ、そう憤るな。こちらも話をさせるつもりはある。場所を変えようか」
そんな反応には慣れたものなのか、ターナは余裕たっぷりに歩きだそうとする。無論、音乃とレーニを男達から庇う位置は維持したままだったが。
だが。
「…生憎だがね。こちらから話をするつもりはない。話をするのは君達の方なのだよ。会長が何を企んでいるのか、教えてもらうためにね」
リーダー格と思われる男の返事はつれないものだった。
とはいえターナの仕込みはきっちり功を奏していたらしい。ということは、この男達は社長の側の人間か。
そう見切ってなお、ターナは焦った様子もなく先に立って歩く。
「それは残念だったな。会長の企みとやらなら、こちらが教えて欲しいくらいだ…ああいや、そんなことはどうでもいい。聞きたいのはイヌヤマタツヤの行方だ。社長の手のものなら知らないだろうとは思うが…手がかりくらいは教えてもらえそうだしな」
「待て!」
男達に先立つ以上、ターナは同行の二人は自分の前に立たせている。
だから、男達の放つ殺気のようなものが自分に注がれているものだと思っていた。
「ターナ!」
振り向いた音乃の小さい叫び。それは尋常なものではなく、その視線の先にあるものに目をやったターナは唖然とする。
「…おい、正気か?こんな昼日中の街中で持ち出すものじゃあないだろう?」
「手段を選んでもいられないのでね。大人しくご同行願おうか」
男に付き従っていた三人のうち二人が揃って手に持っていたのは、ハンカチで隠された手から覗き見える、金属の細い筒だった。こんな状況では間違いようが無い、拳銃の一部だろう。
そしてそれは、音乃とレーニに突き付けられていた。
「我々だってこんなものを見せびらかしたくはないのだがね。だが、意に沿わぬ客を招待するのには役立つ」
いくらターナでも、自分一人であればいざ知らず、こんな至近で銃を撃たれて二人を守る自信は無い。
「…ここで誰かに見つかって通報される心配でもした方が良いんじゃないか?」
「見つからなければいいだけの話だろう。迎えが来る。大人しくしたがってもらうよ」
物腰は紳士的だったが、有無を言わさぬ態度の男は、銃を持っていない一人が電話を終えるのを待って、こちらに向かってくる車を指さし、そちらに向かうようターナたちに指し示していた。
(…やむを得ないか)
焦りはなくもないが、顔に出す程では無い。
ターナにとって幸いだったのは、音乃はともかくレーニも、いくらか青ざめた顔ではありながら、騒ぎ立てたりしなかったことだろう。
土壇場での度胸、という点でレーニへの評価が高まっていることを面白がるくらいには、まだターナに余裕はあった。
準備は周到だったということか。
一人だけ音乃とレーニから分けられた車に乗せられたターナは、そう歯噛みする。
到着した車はミニバンが一台と、セダンが一台。どちらも比較的高級とされる車種だったが、ターナにその辺りの知識は無く、もっとも音乃たちと分けられてしまったという事実に比べればどうでもいいことだったが。
「…何処へ招待してもらえるのだ?」
本来であれば音乃たちの心配をするところだろう。
だがそれを言えばこちらに余裕が無いことを察せられてしまう。
そう判断してターナはわざとどうでもいいことを聞くのだったが、助手席に座った、例のリーダーの男は事も無げにターナの聞きたいことを答える。
「あの二人のことなら心配は要らない。銃なんぞを持ち出してはみたが、こちらも真っ当な会社員のつもりだ。若いお嬢さんに傷を付けて警察の厄介になるような真似はせんよ。もっとも…」
と、ここで意趣返しのように嘲りを含めた笑いで、後部座席のターナに振り返って言う。
「君が大人しくしていてくれる限りは、だがね」
「それはどうも。わたしが暴れたことも知られているというわけだな」
「そういうことだ」
あの部屋にいた四人には上手く紐がついていたらしい。ターナの意図した通りに渡りをつけてはくれたようだった。
意外、というより論外であったのは、拳銃などというものをこの連中が持ち合わせていたことであり、それによって音乃やレーニと分断されたことだ。
(何もかも思う通りににはいかない、というわけか)
車の中は、自分の他は助手席に座る男と、当然ながら運転席にも男が一人、いる。
こちらは当たり前のようにスーツ姿で、下品な柄物のシャツにスラックス、というどこか浮世離れした風体の助手席の男とは対照的だった。
「…一つ聞かせてもらいたいのだがな」
「そちらの話すことはこちらで決める。無駄口は叩かないでもらおう」
「退屈なんだ。雑談くらいいいだろう?」
相手をしなければ暴れるぞ、とまでは言わないが、狭い車内で肘を曲げたまま両腕を上げ、伸びをするようにしているとそのようにも思えるらしく、助手席の男はいくらか慌てたように、「仕方ない、言ってみろ」と前を向きながらぼやくように言う。
「うん。最初見た時から思っていたのだがな。そのセンスの欠片もない着衣はなんなのだ?恥ずかしくないのか?わたしだったら裸で居る方がまだマシだと思うのだが、その辺どう思う?」
「ぶぷっ!!」
吹き出した音は運転席から聞こえてきた。どうもターナの感想はこの場にいる者共通のようであり、当の本人ですら苦り切った顔で隣の運転手を睨んでいる。
「……質問は一つしか認めない」
「そんな話は初耳だ。一つ聞かせて欲しいと言ったのはこちらの方だが」
「なら一つにしろ!」
「いや、それほど聞きたいわけじゃないから、別にいい」
「馬鹿にしてるのかお前は?!」
とんでもない、実は大真面目だ、とでも言い返そうと思ったのだが、男が片手にスマホを握りしめていたので止めておいた。
冗談がもとで音乃やレーニに危害を加えられても困る。
といって多少気は晴れたから、外を見ることで考えをまとめることにしたのだが。
「…?おい、この車はどこに向かっている?」
「何の話だ。というかお前に関係ないだろう?」
「そうじゃない!前の車と離れすぎだ!このままだと…」
見れば、三車線のうちこの車が一番左側。音乃たちが乗せられている車は一番右側の車線を走っていた。
ターナの言う通り、このまま進んでいくと、前を走っていた向こうの車は右折して別れていってしまう。
「貴様わたしたちを分断するつもりで…っ!!」
「いや待て!私だってこんな話は聞いていないぞ?!おい、すぐ向こうの後に………」
助手席の服装のセンスが微妙な男は、恐らくは部下か何かなのだろう運転していた男をどやしつけようとして、押し黙った。
その視線は下方に向けられており、ターナも何ごとかと見やると…。
「動かない方がいいですよ。こういったものは、あなた達の専売特許ではありませんからね」
「お前…」
左手でハンドルを握り、右手に握られたものは、つい先刻に音乃とレーニにも向けられていたものと同じものと思しき、拳銃だった。
「…ほう。こういう展開であれば、わたしにも好都合というものだな」
「そうはいきません。あなたにもご同道願います」
「何故?」
「もともとの目的が、そうだからです。こちらの…まあ一応、同僚ですがね、方はついでみたいなものです。大人しくしておいてもらいましょうか」
信号が変わるのを確認し、前車に続いて発進する。
案の定、ミニバンの方は右折していく。こちらに気がついているのかいないのか。あるいは向こうの運転手もグルなのか。その答えはすぐに出た。
「…電話だが。出ても構わないのか?」
「多分向こうの車からでしょう。こう言って下さい。それ以外のことを言えば…分かりますね?」
運転手は拳銃を数センチほど押し出して言う。
「…いいだろう。何と言えばいい」
「そうですね…下痢でもうお腹がもたない。先に行っててくれ、とかでお願いします」
「おい……くそっ」
逆らうとどうなるかくらいは想像がつくのだろう。苦虫を噛み潰したような顔で男は電話に出る。
「あ、あー。私だ。そうだな、えーと…」
銃口がとうとう、脇腹に突き当たる。意外にぷよぷよとしていて当たりは柔らかそうだった。
「…下痢だ。お腹が緩くてな。近くでトイレを借りていくから、先に行っててくれ」
「電話が終わったら画面をこちらに見せて」
「…ああ、分かった。いや、こちらの話だ。ではな、頼む……これでいいか?というか別に確かめなくとも間違い無く向こうの車だったぞ」
通話中のままにしておいて、こちらの様子を向こうに筒抜けにしようという意図まで挫いておくらしい。念の入ったことだと感心するターナとは違い、今やったことにどんな意味があるのか、全く気づいていない様子の助手席。運転席にしてみれば、拍子抜けもいいところだろう。
「結構。それじゃあ目的地へ向かうとしましょうか。ああ、あとお二方。スマホだか携帯の電源は切っておいて下さいね。確実に」
どこに連れて行かれるのかは分からない。だが、自分の身だけに限れば、面白いことになってきたと思える。
(これで音乃たちの心配をする必要が無ければ、というところだが…まあいい。今は心配していても始まらないしな)
ターナがそれほど落ち着いていられるのも、音乃とレーニの生殺与奪を握っている男も、自分と同様に我が身の処し方がままならない立場に陥ったからだ。
少なくとも、多少無茶をしたところで音乃たちが害される心配は…いくらか減じたというところだろう。
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