第29話

 「表の傘を拾ってきてくれ」


 音乃が入ってきたのは分かっているのだろう。ターナは目線を切らず、後ろの音乃にそう指示をした。

 何のために?と訝りながらも言葉に従って一度表に出た音乃だったが、玄関前に三本の傘が転がっている光景を見て、なるほどと思う。確かにこのままでは、通りがかった人に扉の向こうで異変が起きている、と知らせるようなものだ。

 周囲を警戒しながら傘を拾う音乃は、そこまで気の回っているターナが冷静でないわけがない、と信頼を更に厚くしながら扉を閉め、念のために鍵とバーロックで施錠した。電子ロックでも手動は利くようだ。


 「拾ってきた」

 「ありがとう」


 本当にコレが玄関?と疑わしくなるくらい広い場の隅に傘を立てかけ、一応は靴を脱いで上がったが、肝心のターナが土足のままだったので、よく考えてから音乃も靴をはき直し、物凄く慎重に土足で上がり込んだ。

 考えてみれば、逃げ出さないといけない場面だってあるだろう。

 そんな真似をしているうちに、レーニを下がらせてターナは一歩ずつ背広の男を追い詰めていた。

 男は年の頃、二十代後半といったところか。あまり上等とは言えなさそうな濃いグレーのスーツはシワが目立ち、手入れが行き届いているようには見えない。

 少なくとも、こんな高級マンションの住人には似つかわしくない出で立ちだ。

 それが心底怯えた顔で腰を抜かしたように後ずさっている姿はあまり見たいものではないが、レーニに危害を加えようとしていたと思うと、同情心も容易に霧散する。


 「…大丈夫?」


 そのレーニは、自分から離れていくターナの背中を見ながら、少し乱れた着衣を直していた。

 見たところケガなどはないようだったが。


 「はい、もしかして、思いましたから」

 「そっか…すごいね」


 身構えてはいたものの、斯くあることまでは予想出来ていなかった音乃は、我が身と比べて素直に感心して言った。

 そしてレーニが落ち着くのを待ち、改めてターナの様子をうかがう。


 「動くな」


 それはちょうど、男が体を反転させて逃げだそうとしたところだった。


 「…やけに広い部屋だが。奥に誰かいるのか?」


 抜き身を突き付け言うのではまるで強盗のようなものだ。ただしこちらは若い女性が三人である。それを相手に強がりも出来ない男というのもどうかと思う音乃だったが、ターナにとってはどうでもいいらしい。


 「…察するに、貴様はただ指示されてここにいただけ、というところか。彼女が現れたら捕まえておけ、とでも言われていたのだろうな」


 相変わらず尻餅をついたまま、コクコクと頷く男。

 青ざめたままターナの剣だけを見ているのはいっそ賢明というものだ。それほどまでにターナの顔つきは険しく、正面から直視したら頷くことすら不可能になっていたことだろう。


 「…まったく、やりづらいな。口も利けないのであればこれを仕舞うことも厭わないが。どうだ?」


 そうと知ってか知らずにか、ターナは話を引き出すための交渉材料として、その剣を突き付ける。


 「……わ、わかった、話すから、その物騒なのを…」


 言い終えるより前に、ターナは刀身を下ろす。

 鞘の無い剣は下げられただけで、白刃の存在感はまだその場に留まったままでいるが、それでも切っ先が自分に向けられているのとそうでないのとでは話が異なるようで、男はあからさまにホッと…


 「ネノ伏せろっ!!」


 最短の叫びはただの引き金。

 その認識を音乃と共有していたターナは、背中で音乃がレーニを抱え込むのを確認もせずに、廊下の奥から放りこまれてきた握り拳大の金属塊に向けて剣を投擲する。

 それは腰を抜かしていた男の顔脇を通り過ぎると放物線の頂上に達した金属に当たり、耳障りな音と共にもと来た場所へと弾き返す。

 その瞬間ターナは左手に握った緒を引き、得物を手元に引き戻した。

 右手に柄を握ると同時に起こった変化は。


 「っ?!」

 「!!」

 「っあ!」


 目は閉じていたから、何が起きたかは分からない。

 だが、部屋の方に響いた悲鳴は複数のもの。それを察知して行動のスイッチを入れた。

 目の前の男とすれ違い様にその首を引っ掴む。「ぐぇ」とか無様な声が聞こえたが意に解さない。

 あるいはターナ自身意識せずにいたのかもしれない。音乃が目を開いてターナの姿を目で追った時には既に、何度か見た鎧姿に変じていた。

 その背中は左手に大の男の首を握り、一足を跳ばすと文字通りに部屋に飛び込んだ。

 二人分の人間の体重がに踏み込まれた床は軋みこそしたもののなんとか耐え、続くターナの機動を却って支える。

 忽ち、肉の打たれる音が、三度。

 音乃が追いついた時には、その部屋にもともといたと思われる三つの人影は、ターナが加えたそれぞれの苦痛がために、床に悶絶していた。


 「終わったぞ」


 事も無げに言い放つ。

 その声を聞いた音乃は、まだふらふらしているレーニを伴って部屋に入ってきた。


 「無事か?」

 「うん、閃光弾だっけ?って知らせてくれてたから。それより…タツヤさん、ってこの中にいたんじゃないの…?」

 「……あ」


 ターナが「しまった」という顔で、まだ起き上がれないでいる四人を慌てて見渡す。


 「レーニ!…済まないが、この中にタツヤがいるのかどうか確認してくれないか?」

 「え?」

 「ああ、だから…誤って彼を打ち倒してしまったかもしれないんだ。見てくれ」


 閃光弾、というより軍隊や警察の特殊部隊で使われる、大音響と猛烈な光で敵を無力化するスタングレネードから音が鳴らないようにしたものだったのだが、どちらにしてもその意図を捉えて逆手にとったターナが、一瞬の隙を突いて制圧してしまった四人の男…の中にタツヤはいないようだった。


 「…タツヤさん、いません」


 よく確かめるでもなくひと目でそう判断してしまったことを、ターナはいくらか不思議に思うのだったが本人がそう言うのであれば、間違いはないのだろう。


 「そうか…よかった」


 そしてホッとしたように肩を下ろすのだったが、いまだに呻いている三人とえずくように咳き込んでいる一人にしてみればいい面の皮なのだろう。


 「それにしても、この人たち一体なんなの?タツヤさんの家族?には見えないし」

 「それはこれから本人に教えてもらうことにするさ。おい、話を聞かせてもらうぞ」


 ようやく話が出来るくらいにまで息の落ち着いた、最初にレーニを捕まえた男に、かがみ込み話しかける…前に、鎧の方は納めていた。何度も見て慣れてきたとはいえ、やはり音乃には不思議に思えるのだが、それ以上にその光景を見てレーニが目をぱちぱちさせていたのが、こんな時だったが可愛く見えていた。

 一方でターナが男の胸ぐら掴んでいたのは、また対照的に殺伐としてはいたのだが。


 「そちらの三人はしばらく起き上がれないだろうからな。まずは、彼女に手荒な真似を働いたことの詫びでを聞かせてもらいたい、ところだが…」

 「そんな時間ないって。聞きたいことだけ聞いておこ?」

 「だな」


 時間をかけていたら、悶絶中の三人が起き上がりそうである。


 「聞きたいことは一つだけだ。イヌヤマタツヤは今どこにいる?」

 「…え?」


 率直な問い。だが、ターナのメンチ切りに目を逸らしていた男が、「意外なことを言われた」みたく目を瞬かせた。


 「…イヌヤマ、タツヤだ。ここは彼の住まいなのだろう?」

 「あ…ああ、確かにそうだけど…我々も彼の行き先を探しているんだが…」

 「どういうことだ?」

 「まってください」


 困惑顔の男に、ターナも同じような反応をしてしまう。

 そんな両者に割って入ったのは、レーニだった。


 「タツヤさん、いない。おじいさんのところです?…あ、わたし、わかります?」

 「…レーニ・ハースキヴィさん、ですね。あなたも探すように言われてました」

 「はい。あなた、グンジさん部下、ひとです?」

 「そうですが…」

 「タツヤさん、どこ連れていったです?」

 「……服部、それ以上話すな」


 レーニが半ば縋るように問いかける中、ターナに倒されていた中から一人が、体を起こして口を挟んできた。


 「…俺から話す。お前は黙っていろ」


 こちらは服部と呼ばれた若い男に比べれば身なりも悪くなく、この中では一番立場が上に見える。それでも四十にはなっていないようだったが。


 「部下には手を出すな。聞きたいことがあれば俺に聞け」

 「……よかろう。もとよりそちらが穏便に応じてくれるのであれば手荒な真似をするつもりはない」

 「ねえ、信用していいわけ?」


 普通に世間に出回っているとも思えない、武器まがいのものまで持ち出していたのだ。音乃が不安になるのも当然なのだが、ターナは用心深く襟首を掴んでいた男を下ろすと、立ち上がって音乃とレーニを庇うように背中に隠し、廊下への出口を塞ぐ位置をとる。

 といって、普通の家とは比べものにもならないくらい広い居間だ。他にも玄関へ出られる方法などいくらでもある間取りだろうから、ターナのやったのはどちらかといえば、四人が妙な動きをしないかどうか、監視しながら話すための行動なのだろう。


 「…どこのお嬢さんかは知らないが、こうまで力の差を見せられては逆らう気にもならんよ。その程度の冷静さは持っていると思ってもらいたいものだな。その坊や、バカみたいに強いしな」

 「時間稼ぎはそれくらいにしてもらおうか。イヌヤマタツヤの行き先を言え。知らないのであれば、貴様らの立場、誰の指示で動いているのか。それを聞かせてもらおう」


 男に間違われたのを意にも解さず、斬り捨てるように言い放つターナ。あるいはターナを少女と見て挑発し、隙でも作ろうとしたのかもしれない。男は舌打ちをして顔をしかめていた。


 「…駆け引きの通用しないお嬢ちゃんだな。まあいいさ、籠城しても援軍を期待出来るような立場でもないしな」


 ターナに打たれた箇所だろう鳩尾のした辺りを押さえてしかめ面を見せながら、男は胡座に座り直す。


 「…服部、そっちの二人を介抱してやれ。俺はなるべく穏やかにご退去願えるよう交渉してみるさ」

 「招かれざる客である自覚はあるが、そもそも貴様らとてこの家の住人にとっては同じようなものだろう。さて、聞いたことに答えろ」

 「やんなるねぇ、せっかちな奴は…ああ、分かった分かった。答えるからその物騒な顔はやめてくれ」


 いっそぶっ殺してやろうか、みたいな目付きになるターナにいくらかは怯えながら、男は話し始めた。




 「手がかりなし、というわけではないが…タツヤの行き先については不明のままか」


 聞き出した情報量としては決して満足いかないことはないのだが、結局、話すとなれば意外に饒舌じょうぜつだった男からは、こちらが一番欲しい話は聞き出せなかった。


 分かった話は、といえば。

 犬山タツヤの家にいた彼らは、社長の指示でそうしていたこと。

 肝心のタツヤは行方をくらましており、父親である社長もその行き先は把握していないこと。少なくとも部下である彼らには知らされてはいなかった。

 社長はレーニのことも探しており、ターナたちに探すよう依頼したのがその一環なのかは分からないが、ともかく彼ら以外にも同じ目的で動いている者がいること。

 そして、会長側との対立は間違い無いが、一連の動きがそれとどう関わりがあるのかまでは分からないこと。


 「…そんなところか」

 「そうだね…レーニ、大丈夫?」

 「はい。でも、タツヤさん心配です」


 深刻ではなさそうだが、レーニも暗い顔をしていた。


 「…これからどうする?会長さんの方にアプローチとか出来ないのかな」

 そんな彼女にかける言葉の見つからないまま、音乃がこの先の方針について先鞭をつける。レーニに引きずられるように、トーンの重めな口調だった。

 「そうだな。二人とも、食事にしないか?」


 だが、それに答えるターナの声ときたら、それが本意のように明るいもので、呆気にとられた音乃が思わずため息をつくほどだった。


 「ターナぁ、ちょっと呑気過ぎない?」

 「そうは言ってもな。腹が減っては何とやら、と言うのだろう?それに空腹だと悪い方向に何ごとも考えてしまいそうじゃないか」

 「あのね…」

 「いえ、わたし、お腹すきました」

 「レーニまで………っていうか、レーニがいいんなら私もいいけどさ。何か食べたいものある?探してみてよ」


 音乃にだけ見えるように、ターナがウィンク。これは何か考えがあるな、と思い直した音乃は、レーニに何か良いお店がないか探してくれと言っておき、ターナの顔のすぐ横に自分の顔を寄せて聞く。


 「何かした?」

 「連中の認識をな。わたしが会長側の手の者だと思わせておいた」

 「…あぶなくない?」

 「接触はあるだろうな」


 …なるほど、狙いは分かった。社長と直談判でもするつもりか。先程のマンションにいた四人に渡りをつけさせればいいのかもしれないが、どうもターナは事を派手にしたいらしい。会長側にもレーニの存在を誇示するつもりなのだろうか。

 音乃はそうとってターナの傍から離れる。

 ことこうなってしまってば、音乃も腹をくくる必要がある。なるほどターナの言う通り、腹ごしらえはしておいた方が良さそうだ。


 「レーニ、いいお店見つかった?」

 「ネノ、わたし、ソバ食べたい、です」

 「ん、いいんじゃない?…ってこれミシュランガイドじゃん!私たちのお財布じゃ無理だってば!」


 嬉しそうに自分のスマホを見せてきたレーニにツッコミながら、とりあえず自分の役目はムードメーカーってところかなあ、と一人落ち着いた佇まいのターナを横目で見ながら、そう思う音乃だった。

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