第27話

 「さて、どっちにしてもレーニがどうしたいのかを、まず確認しないとね」


 本当に泣き出してしまったレーニを間に、音乃とターナがオロオロした数分が落ち着いて、まだ飲み物も出していなかったと紅茶のペットボトルとコップを持ってきて座ると、音乃がそう切り出した。


 「結局どーするればレーニが一番安心出来るのか、って話なんだけど。どう?」

 「どう…?わたし、お願いしていいです?」

 「もちろん」

 「ああ」


 控え目な申し出に力強く返事をする二人。

 そんな様子に安心してか、また泣き出してしまうのではと身構えたのだが、レーニはそれに気がついてかニコリとして、話を続ける。


 「…タツヤさん、あいたいです」

 「タツヤ…さん?ってゆーと…」

 「レーニの婚約者…じゃない、見合い相手か。さっき言った、社長の息子の方だな」


 納得して音乃がレーニを見た。

 その名を出すと思い至るところでもあるのか、レーニは両手を胸に当てて深く吐息をつくいていた。

 そんな様子を見て音乃は感心したように言う。


 「うわぁ…なんかごちそうさま、って感じ」

 「ごちそうさま…?わたし、ご飯、してないです」

 「あー、そういうんじゃなくて。日本語でとても良い感じの恋人をみるとそういう風に言うの。なんかね、レーニがそのタツヤさん、って人のこと話す時って、すごく好きな人のことなんだなあ、って感じだったからね」


 音乃のその言葉はやけに早口だったためか、レーニも意味を理解するのに少し間があったが、立てた人差し指を回しながら納得すると、


 「ハイ。わたし、タツヤさん大好きです」


 と照れもせず…いや流石に少しはにかみ気味ではあったが、さらっとそう言ってのけて音乃の顔を赤くさせていた。


 「あー、レーニ?あんまりそうやってネノをおもちゃにするな。こいつ捻くれてるから、そういう風に真面目に話す相手だとおかしくなる」

 「ちょっとー。捻くれっぷりなら私に負けてないターナがそーゆーこと言う?」

 「人聞きの悪いことを言うな、バカ。わたしの何処が、ひねてるというんだ」

 「私を守るために自分が犠牲になろうとしたところとか」

 「いっ、今言うことじゃないだろうがそれはぁっ?!」


 レーニを放っておいて言い争い始める二人。

 しかし、そんな様子を目の当たりにしたレーニが本当に楽しそうに笑うのを見て、どちらも気まずそうに黙ってしまった。


 「…ふふ、ターナ、ネノ。ごちそうさまです。…で、あってます?」

 「「合ってない!」から!」


 …レーニも結構なものだと、思わざるを得ない。



 「…では、その、タツヤ、という相手に話をつけてレーニを引き合わせる、のがいいんだろうが…問題があるのだろう?」

 「ハイ。タツヤさん、話、できないです」


 空港に着けば迎えが来ている、という話だったものが、いざ到着してみると待っていたのは会長側の人間。

 そしてレーニがそんな事情を知っているはずもなく、帰れ、と告げられて引き返しも出来ずに場所を知っていた新宿でターナに見つけられたのは、幸いだった。

 もちろんすぐに、タツヤと連絡をとろうとメールを出してみたが返事はなく、直接電話をしようにも電源が入っていない云々。


 「…この調子だと、そのタツヤという男も会長側に何か抑えられているのかもな」

 「だね。レーニと接触させようとしないように見える」

 「居場所とかは分からないのか?」

 「日本、来ればあえる、きいてました」


 落ち着いた様子のレーニが現状を話す中、音乃は「最近似たような話あったなあ…」と思ってターナの横顔を盗み見る。


 「…なんだ?」


 その視線に気付いたターナが振り返って聞いた。


 「ううん、後でいい。他に連絡とれる方法、ない?」


 頭を振るうレーニ。


 「むう…」


 ターナもそう唸って黙り込んだ。

 手立て無し。

 そういう重い空気が場を支配する中、ターナのスマホが一度鳴った。


 「ん?メールか………と、済まない。読ませてもらう」

 「はぁい」

 「どうぞ」


 メールの着信なので後回しにしようとしたターナだったが、発信者の名前を見て少し顔色を変えると、二人の許しを得て早速開いてざっと見る。


 「……………今さら過ぎるな。どういうことだこれは」


 舌打ちを辛うじて堪えた、という態の渋い顔。


 「悪いが、電話させてくれ。今の件絡みだ」

 「いーけど。どうしたの?」

 「横で聞いていれば分かる」


 手早く相手の番号を呼び出して発話の操作をし、呼び出し音が聞こえ始めたスマホを耳に当てる。

 ほどなく応答があったのか、


 「メールを見た。ウエムラさん、どういうことだ?あれくらいの話なら本人と一緒にいるんだから聞き出せるぞ?」


 苛立ち三割、困惑七割。

 そんな感じで話すターナは、音乃の少し咎め立てる視線に気付いてか、僅かに声を落とした。


 「…いや、だからな。こっちから連絡をしなかったのは、そっちで事情を把握している様子だったからだ。なに?何故聞かなかったかって?そっちが何も聞くなと言ったからじゃないか。……あー、分かった分かった。連絡不足は認める。今後は善処しよう。お互いに、な」


 言い争い、とまではいかないが仲良く談話中、という様子にはほど遠いターナ。

 音乃は割と慣れたものだが、不安の色が濃くなる顔のレーニを放っておけもせず、膝の上で握っていた拳にそっと手を乗せる音乃だった。

 ありがと、ございます。

 目でそう礼を言うレーニ。

 音乃もそれで一安堵するが、こっちを見て口を尖らせていたターナと目が合う。


 「………」


 向こうの方の話をじっと聞いているのだろうが、黙ったまま見られていることに居心地の悪さを覚えるうちに、ターナの方からぷいと顔を逸らされてしまった。


 (なんなの?…もー)


 そこでレーニから手を離すわけにもいかず、そのままでいる。


 「……分かった。今か?友人の家にいる。ああそうだ、少し探られている気配だったからな…別にお世辞はいい。それで、今こっちを探しているのはどちらなのだ?……はっきりしないな。本人の意向は会いたい人がいるから会いに行きたい、と行って……は?ウエムラさん、それはどーいう……いやしかしな、ってちょっと待て、今そちらにレーニを探すように言ってきているのは………ああ、ああ。………あー、事情は分かるが、レーニの意志を無視してまで付き従うつもりはないぞ?……それはそうだが、わたしにだってやりたくないことをやらない権利くらいあるだろうが?」


 なんか話の雲行きが怪しくなってきた、と思って口にせずにいる。言ったところでレーニを不安がらせるばかりだろう。

 けれどレーニは、空気でなんとなく察してか、音乃の手の下にある拳を一際きつく、握りしめる。


 (ターナも時々周りが見えなくなるもんなぁ…レーニが聞いてるってこと、忘れてなければいいんだけど)


 「…だから、なんでそんな話になっている。わけを言ってくれ、わけを。それならわたしだって聞く耳もたないわけじゃ……あ、おい。ちょっと…………切れた」

 「それは分かるけど。でもレーニが聞いてるんだから、もーちょっと落ち着いて話そうね?」


 半ば喚くような調子になって言い争いのようになっていたターナは我に返ったようになり、音乃が穏やかに注意する言葉を聞く。


 「う、うん…レーニ、済まない。余計な真似をしたかもしれない」

 「よけいな、まね?」

 「…ちょっと」


 眉を、ひそめるレーニとつり上げた音乃。両者に二方向から見つめられてターナは胡座から片膝立てになる。

 それはまるで逃げようとするように見えて、音乃は思わず肩を落としてため息交じりにこう言わざるを得ない。


 「…あのね。ターナって何かと一人でやってしまおうとするじゃない。でも今はさ、ターナのことじゃなくって、レーニの話なのだし、私だってレーニを助けたいんだから。一人で突っ走らないで。ね?」

 「……ああ、分かった」

 「うん」


 真面目に諭す時はこうしてターナも、自身を省みて、悪いところがあれば率直に聞き入れるのだ。

 そんなところがなんとなく自分の、家族への頑なな姿勢と対照的に見えて、音乃の胸は微かに軋んだ。


 「…あの、ターナ、何かありました?」


 一つ落ち着いた空気を汲んでか、今度はレーニが口を開く。

 ターナの剣幕はさておき、何か方針を巡って齟齬があったように音乃にも見えたから、確かに気になるところだった。


 「…むぅ」


 もちろんターナとしても、ここまで自分の反応を見せてしまったのだから答えてしまわねばならないだろうとは、思っているだろう。

 ところが、言いにくいことだ、とだけは分かるように一度唸ると、それっきり黙り込んでしまった。


 「ターナ。そこで静かになられるとれレーニも却って申し訳ないって思っちゃうよ?」


 その通りなのだろう、音乃のその言葉にレーニもゆっくり頷き、


 「ターナ、気にしない、欲しいです」


 と、どこか子供に言って聞かせるように丁寧に、優しく言う。


 「……そうだな。わたしも少し頭に血が上ってたかもしれない。済まない、二人とも。今聞いた話をするから、一緒に考えてくれないか?」

 「一緒も何も、レーニのことなんだからターナが一人で考えても仕方ないでしょ?」

 「はい。よろしくおねがいします」


 言い方はそれぞれだが、レーニのためにターナの尽力することを正しく受け止める、言葉だった。



 「…で、聞いた話というと、なのだが」

 「うん」

 「ハイ」


 といって、いざ落ち着いてしまうと気後れのする内容ではある。

 前置きするように一度飲み物を代えてから、ターナは一際顔を引き締めて話し始める。


 「ネノ、わたしが前に言った、商工会議所の存続に関わりかねない、という話を覚えているか?」

 「覚えてるけど…例えで言ったのかと思った」

 「どういうことです?」

 「これはレーニには少し難しい話かもしれないが、新宿でわたしが仕事をしている、街に危ないことが起きないようにしている場所は、運営にお金がかかっている」


 ターナがゆっくりと話したためか、レーニにも意味は分かっているようだ。


 「そのお金はまあ、大体はあの街で商売をしている人たちが提供しているのだが、それだけでは足りないので、他所から、お金を出してくれるという協力者がいるのだが、その中に例のイヌヤマ家具の…会長がいてだな」


 気まずそうに言われた言葉はレーニにも驚きを与えたようで、僅かに身を固くしている。


 「レーニ、大丈夫だ。そう緊張しなくていい。そこまでは偶然だからな」

 「…はい」

 「でしょーねー。いくらなんでも話が上手すぎるもん。…あ、でもそのスポンサー…っていうの?って、会社じゃなくて会長さん個人なの?」

 「いいところに気付いたな、ネノ。そういうことだ。イヌヤマ家具が組織として支援しているのではなく、会長が個人的に支援していたんだ。そして、今回レーニを探してくれ、と言ってきたのは、実は会長ではなく、社長の側だ」

 「……?」

 「どういうこと?お金を出してる人じゃなくて、お金を出してる人と対立してる人が依頼してきたってこと?」

 「そういうことだ」


 そこから先は込み入った話になった。

 レーニにも理解が出来るように、というよりレーニが知る犬山親子の関係も含めながら三人がまとめた内容は、となると。


 「…つまり、ターナの勤め先にお金を出していたのは、名目としては個人だったけれど実は会長さんが、会社のお金を流用していた、と。そのことを盾にとって会長さんの立場を揺さぶろうとしたついでに、会長さんの作ったコネを利用して、新宿でレーニを探させようとしていたのが、社長さんだった、と……ややっこしいなあ、もう」


 そういう内容であったから、商工会議所の上村もどう応じていいのか即座には判じ得なかった、ということになる。そんな事情を知っておきながら、現場に判断を委ねようとしたやり口は確かにターナにしてみれば、面白くはないのだろうが。


 「でもさ、そーいう事情だったとしたらターナのお仕事としてはどういう話になるの?」

 「分からん。今のところ、あっちで分かっている話は聞かされて、当面は今のままでいてくれ、ということだが…そんな話を聞かされて、じゃあこうしよう、なんて簡単に言えるか?」

 「言えるよ。決まってるじゃない」

 「…おい、ネノ」


 苦渋含みの顔でのぼやきに一言であっさり反論した音乃を、ターナは呆れたように見やる。

 だが音乃は、呆気にとられているレーニと吃驚しているターナを前に、物わかりの悪い奴め、みたいな顔つきで話を続ける。


 「私たちの考えなくちゃいけないことって、レーニがどうしたいのか、どうやってそれをかなえてあげるか、ってことだけでしょ?ターナの立場も分からないでもないけど、最初にやらないといけないこと、私たちがやりたいことを考えれば、どうすればいいのかなんてすぐに分かるじゃない」

 「………それもそうか」


 もうひらかれた、とばかりに深く頷くターナ。

 一方でレーニには、それはそれで別の心苦しさが生じる。

 そこまでされるのは申し訳ない、と思うのも当然なのだろう。


 「でもターナ、迷惑かかります。わたし、なんとかします」


 と、迷いながらターナに詰め寄り言うが、音乃の一言でもう迷いも晴れたターナは、


 「いや、レーニ。ネノの言う通りだ。わたしたちは二人とも、レーニを助けると決めたのだからな」

 「そうそう。遠慮なんかしなくていいよ。レーニって、私たちにそれくらいさせてやろう、って思える魅力があるんだよ、きっと。だからさ」

 「…力にならせてくれ」

 「でも、わたし、恩返しできない…」

 「それならそのうちレーニの家に招待でもしてよ。おじょーさまなんでしょ?」


 わざとらしく作った悪人の笑みを浮かべて言う音乃。

 それを見てターナも、くくく、と「お主の悪よのう」みたいな顔つきで応じていたが、レーニがホッとしたように泣き出しそうな笑い顔を見せると、顔を引き締めて音乃とレーニに言う。


 「…だがな、まだ何も決まったわけじゃないし、何も始まったわけじゃない。だから見極めないとな。レーニの未来、というやつを」


 今度こそ、レーニも含めて力強く頷く三人だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る