第26話

 「…あー、ですからね。一応…いえいえ、鋭意そちらの依頼は最優先で遂行してますので。ご心配なく。あー、はい。近日中には……え?そちらでも動く?…そりゃあ構いませんが、もう少しこちらを信用してもらっても…分かりました。連絡だけは密にお願いします。では、はい。ええ、宜しく。失礼します………ふぃー」


 とっくに耐用年数を越えていると思われる、古いビジネスフォンの受話器を置いて上村祥平は、いかにも疲れたという聞こえよがしなため息をついた。

 この詰め所の中では最若手の自分にこんな面倒な電話任せやがって、という抗議のつもりだったが、あいにくそんな持って回った意思表明に動揺するような繊細な神経の持ち主は一人もいなかったのだった。


 「おつかれさん。まあ大体状況は分かったが」


 夜はこれから、という時間帯だったのでそもそも室内にいる人数自体少なかったのだが、天井を眺めて脱力していた上村にすぐ声をかけてきた人物はいた。


 「…片倉さん、見てるんだったら代わってくださいよ。俺に対応させるには相手が厄介過ぎませんかね?」

 「まあそう言うな。今のところ君が一番事態に近いんだからな。…で、お嬢さんの方は?」

 「ター坊の部屋に預けてますよ。歳も近い女の子だし不安もないでしょう。腕っ節もあるし機転も利きますからね、あの子」

 「それが発揮される事態にならないのが一番だがな。ま、そっちはこちらの仕事だ。時間稼ぎ、頼むぞ?」

 「…まあ、あんまり負担かけたくないのは確かですけどね」



 上村祥平は商工会議所の関係者でこの事務所に常駐する中では一番若い。それでもこの間三十になったところだが。

 親の不動産の管理、というこの街では珍しくもなんともない立場で、本来なら遊んで暮らせる身分ではないこともないのだが、物好きにも自分から組合の運営に関わってする必要のない苦労をしている様は、同じような立場の者からすると嘲笑の対象になることさえあるのだが、本人は至って飄々と、そんな状況を楽しんでいた。


 そんな上村の目から見てターナがどんな存在なのか。

 初顔合わせからもう半年以上経っているが、いまだに得体の知れないところはある。

 日本生まれの日本育ち。その他の来歴を口にしようとはしないが、不法滞在しているわけでもないようで、その意味では身分の不安は無い。

 言語には堪能。この街において外国語が必要になる場面は多いが、英語、中国語は問題無く、先日などドイツ人の観光客の対応も普通にこなしていたのには驚いた。

 度胸もあり、ヤクザ関係の対応もやむを得ずやったこともあったが、何の問題もなかったらしい。

 見た目は、まああの通りであるから注目は集める。ただし本人はそれを煩わしいと思っているのか、素気ない応対で不思議と場の中心になるようなことは少ない。

 そんな諸々の理由から、この詰め所の中で目立つようでいて、実は目立ちにくい存在ではある。

 上村がよく絡むのは、自分の次に年若い、といっても十歳以上も下になるのだが、ことで何かと気に掛けることを要求されていることからによるが、興味本位ということも否定しない。

 といって妻も子供もいる身では、そういう意味でどうこうなりたいとは思わないし、それ以前に、ターナ自身にそういった空気を他人に…特に、日本で生まれ育った人間に許さない雰囲気があるせいでもあった。それが上村の感じる、得体の知れなさの一つの形である。


 「…しかし、これで三日目か。いい加減何か文句言ってくるかと思ったんだけど、今のところ音沙汰無しだなあ。上手くやってくれてんですかね」

 「向こうさんも焦れてきたのか、自分らで手を回すのなら動かしておいた方がいいかもな。ターナ、確か下北だろう?少し近すぎるかもしれん」

 「まあ土曜ですし、そろそろ退屈して出歩き始めてるかもしれませんね。もーちょい詳しい事情教えて警戒させといた方がいいかも」


 大きく伸びをして姿勢を変えながら、上村は言う。

 連絡の無いのはなんとやら、と言うが事態が事態だ。何か失敗しておきながら知らせもしないような真似をする娘ではないが、この際こまめに連絡をとっておいた方がいいかもしれない。状況に変化が生じてきていることでもあるし。


 「…任せる。一応言っておくが、面倒だからではないぞ?ターナ相手なら君を通しておいた方がいいからだからな」

 「分かってますって。そういうこと言うから余計な勘繰りしてしまうんすよ」


 別にここは会社ではないが、片倉は上司としては信頼と信用には値する。能力的にも、人物的にも。


 「んじゃ、メールうっときます」


 返事を待たずに離れていく姿をチラと目で見送りながら、上村は自分のスマホを取り出してメールを打ち始めた。



   ・・・・・



 その頃、ターナとレーニがどうしていたかというと。


 「…そりゃー確かに試験は今日の午前で終わりって言ってあったけどさあ。知らせもせずにやってきて、私がいなかったらどーするつもりだったのよ」


 試験が終わって羽を伸ばしていた音乃の部屋にいたのだった。


 「ネノのことだからどうせ他にやることもないだろうと思った。案の定、だったしな。申し開きあるか?」

 「…打ち上げしてたかもしれないじゃない」

 「そんな友だちいるのか?」

 「いないけどさー」


 顔を見るなり呆れた様子ながら、愚痴りもせずさっさと部屋に招き入れたのは、一緒にいたレーニを他の先輩連中に見られると面倒だと思ったからだ。

 もっともその先輩たちこそ、音乃の言ったように「打ち上げ」でまだ帰ってきていないのだが。


 「ネノ、ごめんなさい。来ない方、よかったですか?」

 「ううん、大丈夫。ちょっとターナの図々しさに呆れてただけだから」


 畳の部屋で座るのは大変だろうと、音乃が差し出した座布団の上でキレイな正座をしながら頭を下げるレーニ。


 「違うだろう?わたしに行動を当てられて面白くないだけじゃないのか?」


 一方のターナは、既に部屋の一部と化している自分の座布団の上で胡座。これもいつも通りのデニムのパンツだから何ごとも起こりようが無いが、ふと音乃はターナにスカートをはかせたらどんな反応をするか、見てみたくなった。


 「…まあそーいう面がないこともない可能性はゼロじゃないと言えなくも無い」

 「……?」

 「ややこしい言い方をするなバカ、レーニが困ってる。あのな、今のはネノは素直に参りました、と言えなくて誤魔化していただけだ」

 「…ああ、わかりました」

 「分かんなくていいから!」


 顔を赤くしてまくしたてる音乃の姿に、流石にレーニにも真意が理解出来たのか、ころころと楽しそうに笑うのだった。

 そんな顔で見られて何も言えなくなり、音乃は仕方なく矛を収める。


 「…もーいいよ。で、何しに来たの?あんまり出歩かない方がいいんじゃなかったの?しかも雨降りそうなのに」


 窓の外を見て音乃はそう訊く。

 梅雨空のこととて土砂降り、というわけではなかったが、いつ降り出してもおかしくない曇天がたちこめた空だった。


 「ん、まあそのことだがな。少し妙な気配がしたので、避難してきた」

 「避難?そりゃーまた穏やかじゃ無いなあ…って、レーニの前で言っていいの?」

 「その話もした方がよさそうだったからな。レーニ、いいか?」

 「はい、大丈夫です」


 一応許可をとってから、ターナはこの三日で起きたこと、聞いたことを話し始めた。



 「ネノ、イヌヤマ家具、という会社を知っているか?」

 「犬山家具?なんか最近親子で揉めてる会社だったっけ。学食のテレビで見たワイドショーでそんな話してた気がする」

 「そう。それからレーニの家だがな、フィンランドでは家具を作る会社で、結構有名なところらしい」

 「へぇぇ…レーニってお嬢さまだったんだ」

 「ちがいます、家、おおきくないです」


 慌ててそう訂正するレーニだった。謙遜する風でもないから、実際その通りなのだろう。

 規模は大きくないが、評価の高い製品を送り出す工房、という感じか。

 そんな感じに納得して、先を促す。


 「…そのイヌヤマ家具の息子の方、こっちが社長だとか言ってたな。それがな、レーニの家の家具を高く評価して、輸入する段取りを組んだ。で、関係を深めよう、とかいう意図なのかどうかは知らんが、社長の息子とレーニを見合わせようという話になったんだそうだ」

 「…ふぅん」


 内心、軽く引く話だったが、レーニの手前そうあからさまに反応するわけにもいかず、頷くだけに留める音乃。


 「ところがだな。社長の父親の方が、その話がうまく行きそうなのが面白くないのかなんなのか、話そのものを潰そうとしたのだとさ。レーニを日本に招いたのが社長である息子側、話が変わったからと追い出そうとしたのが会長である父親側。簡単に言えばそういう話らしい」

 「なるほど。それなら話がヘンだったのも分かるけど。でもターナの感じた妙な気配、っていうのは?」

 「今回レーニを招いたのは、婚約…まではまだ行ってないのか。見合い相手になる、社長の息子と顔合わせをするためだったんだが、会長側の手が回ってそれが妨害された、ということで直接レーニと接触しようとしているらしい」

 「なんだ、それでレーニを探しているってのなら会わせてあげた方がいいんじゃないの?」

 「話はそう簡単じゃない。社長側がレーニを迎え入れようとしているせいで、会長側もレーニの身柄を抑えようと動き始めたらしいんだ。つまり、今レーニを追っていて、目の前に現れるのがどっち側の人間なのか分からない、ということになる」

 「ややこしいなあ…」


 そんな雑な感想しか浮かばない音乃なのだが、ふと思いついたように訊いてみる。


 「…あのさ、その、レーニを探している人っていうのが現れたら、どっちの人なのか見当ついたりしない?」


 ターナの力使って、とは言い添えなかったがその意図は通じたのだろう、ターナも少し考え込む素振りをしてから答えた。


 「…難しいだろうな。何せ、『わたしの事情』じゃあない。まさかレーニにあんな真似するわけにもいかないしな」


 それは音乃に口づけをしてまで守ろうとしたあの時のことを指しているのだろう。そう思い出して、微かに頬に朱がさす音乃だった。

 そしてターナが認識を換えることが出来るのは、全て自身に関わることである。

 現状でレーニと一緒にいるターナを見たところで、「こいつ何者だ?」くらいにしか思われないだろうことは、想像に難くなかった。


 「だから面倒を避けてさっさと逃げ出してきた、というわけさ。ネノには迷惑をかけるが、少し考えを貸して欲しい」

 「おっけー。分かった。任せて」

 「…安請け合いしすぎじゃないか?」


 ターナにしてみれば、厄介ごとを持ち込んだという負い目が無くも無い。それなのに音乃にそうあっさり言われてしまっては、却って不安も沸こうというものだった。


 「だってね。ターナの方から私に、ご飯のこと以外でお願いしてくるなんて珍しいじゃない。おねーさんとしては張り切っちゃう状況だと思うけど」

 「おい、言い方」


 ご飯のこと、の部分に自覚があるだけに、苦い顔になるターナ。


 「それに、レーニのことだってあるんだから、そりゃあ私だって真剣になるってもんよ。レーニ。ターナと違って頼りないかもしれないけど、私は私に出来る範囲で力になるからね」

 「……ありがとう、ございます」


 感極まった、と涙さえ浮かべそうな表情で音乃に礼を言うレーニ。

 あるいはレーニはレーニで、異国で不安にかられる時間を過ごしていたのだろう。

 そう思うと、彼女はレーニに対しても胸を張って誇れる友人なのだと、音乃の横顔をターナは眩しく見つめるのだった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る