第25話

 「え、どーいうこと?」


 昨夜、部屋に着いたのは九時を回った頃だった。

 レーニが何かと街を珍しそうに見ていたものだから、つい観光案内の空気になってあちこち回ってみようか、と思いかけたのだが、連れ回すなと言い含められていたのを思い出してそれは自重し、食事を多少買い込むくらいで済ませてさっさと部屋に戻ってはいた。

 銭湯、というわけにもいくまいな、と急に音乃が泊まる時と同じようにして、寝しなにメールを確認して事態のややこしさに畳の上で毛布に包まれながら頭を抱えたのが、日付の変わる頃。

 翌朝、相談したいことがあるからとりあえず来てくれと音乃に連絡をつけ、昼間は食事に出たついでに街中を多少散策した程度。

 夕方になってやってきた音乃は扉を開け放つなり、


 「もう、しょうがないなあターナはぁ。おねーちゃんがいないとなぁんにも出来ないんだからぁ」


 と、妙に甘ったるい口調で言うと、一緒にいたレーニと目が合い、笑顔のまましばし固まった後で言ったのが冒頭の、


 「え、どーいうこと?」


 で、ある。



 「どーいうもこーいうもない。相談したいことがあると言っただろう。いいから座って…」

 「…ターナ。ちょっとこっち」

 「え?」


 見ると、音乃がちょいちょい、と左手の手のひらを上にして、こっち来い、という仕草をする。

 あまりにも有無を言わさぬ雰囲気だったので、ターナも珍しく緊張しながら部屋の外に出て行く音乃についていくと、


 「…どーいうことだってば!」


 と、ターナの身長に合わせていくらか身をかがめ、顔を寄せて殊更に小声でそう訊いてきた。


 「…顔が近い」

 「中に聞こえたら困るでしょーが。ほら、説明」

 「別に中で聞けばいいだろうが」

 「私が困るんだってば」


 面倒くさいヤツだな、と思ったのが顔に出たらしい。正面から睨まれてしまった。


 「…あまり長話は出来ないぞ」

 「いーから」


 本当にこいつは時々厄介だな、と思いつつも、昨夜の経緯とメールにあった内容を掻い摘まんで話してやる。時間にして三分くらいだったろうか。



 「…国際結婚で日本の婚約者に会いに来たら、事情が変わったとほっぽり出された…と。ふざけた話だなあ」


 ターナがまとめた話を更に縮めてそう呆れる音乃。いっそ憤慨でもするのかと思ったら、それすら通り越すくらいだったらしい。


 「でもなんでターナの職場の存亡の危機になるわけ?」

 「そこまでは書かれてなかったな。レーニを呼んだ連中と、今探している連中が違うことくらいは察せるが」


 むー、と唸って黙る音乃。

 何故かは分からないが面白くないと思う反面、レーニの境遇に同情して力になってやりたいという感情もあって葛藤している。そんなところか。


 「とにかく、数日の間のことだと思う。正直言ってわたし一人では荷が重くてな。別にいつもみたいにしてくれとは言わないが、出来れば気にかけておいて欲しい」

 「まあターナが言うんならいいけどさー」


 面倒見の良いお姉さん、という顔に辛うじて戻って、音乃はそう請け合う。

 それを見て、ホッとするターナだったが、一応気になったことだけは聞いておく。


 「…ところで試験の方はいいのか?」

 「明日は午後に一つあるだけだし、得意科目だから大丈夫。晩ご飯どうする?」

 「…頼む」


 正直なところ、音乃のつくる食事が恋しくなっていたターナだった。




 着々と電化されていくターナの部屋で、最近一番のヒットといえば、炊飯器だろう。

 電気ポットで感動していたのが遠い昔のように思えるほど、早くも使い込まれて部屋に据え付きの台所の主役と化している。


 「あーっ!ターナまた空の釜洗ってないー!」


 実際に使っているのはほとんど音乃だったが。


 「…忙しいんだから許せ」

 「許せもなにも毎回洗うに身もなってよ、もー…」

 「あー、ほら。それは後でいいからとにかく面通しくらいはしておけ」


 ターナがそんなことを言っても小言を誤魔化しているだけにしか聞こえないのだが、それはともかくまだ自己紹介も済んでいないのだからと、音乃を引っ張ってレーニの前に座らせる。


 「レーニ。わたしの友人だ。よく遊びにくるから知っておいて欲しい」

 「初めまして。さっきは変なトコ見せてごめんなさい。樫宮音乃です」

 「はじめまして。Leeni Haaskiviです。レーニ、呼んでください」

 「はい、レーニ。私も音乃でいいよ」

 「ネノ、ですね?良い音します」

 「ありがと。レーニもね」


 それだけで早くも打ち解けたように、笑い合う二人。

 そんな様子に、ターナはレーニに初めて会った時の虚ろな印象を全く見出せない。

 レーニは十九といったから、ほぼ音乃と同い年といっていいだろう。

 今日一日一緒に過ごして、どこか隔意のようなものを覚えていた自分に対してとは随分態度が違う。

 ここはわたしの部屋だというのに、と変にいじけたことを取り繕った笑顔で紛らせながら、二人を見守っている。


 「………で、今日は私がご飯つくるから。何か食べたいものある?っていうか、お昼何を食べたの?ターナと一緒だったんでしょ?」

 「あ、はい。Beef Bowl、いただきました」

 「ビーフボウル…って牛丼?ターナ何食べさせてんのよ」

 「え?あ、ああ。何だ?」


 名前の出たことで引き戻される。


 「何だ、じゃなくって。もう少しいいもの食べさせてあげればいいのに」

 「あ、気にしないで。Tahnaさん、ご馳走、おいしかったです」

 「うーん、レーニ健気。よし、じゃあ私が晩ご飯はしっかりしたもの食べさせてあげる。何が食べたい?」

 「えと…」


 顔に人差し指をあてて考え込むレーニ。

 やたらと張り切っている音乃を前に、ターナはまた彼女の境遇と、これから先どうすればいいのかに思いを致すしかなかった。




 「Sukiyaki、有名です」

 「…手持ち足りなくて豚肉だけどね。豆腐どう?」

 「おいしいです…」

 「そか。よかった」


 そして夜の献立は、こうなった。

 日本らしいもの、という漠然とした要望でどうしてすき焼きになるのか、ターナには分からなかったが音乃の頭の中では何か繋がっているのだろう。


 「あ、ターナ?肉ばっかじゃなくてお野菜食べなさい。ほら、春菊あるから。春菊」

 「青物は苦手だ…」


 意外と、でもないが子供舌のターナに手を焼く音乃。

 鍋が小さいからどうしても調理に手間がかかる。

 音乃は鍋奉行を買って出て、というものなのか、さっきから自分はさっぱり食べずにターナとレーニの世話ばかり焼いている。


 「レーニ、その白滝苦手じゃなかったら全部取っちゃって。次の具材入れるから」

 「あ、はい。いただきます」


 レーニもどうなのかと思ったが、器用に箸を操って細い体に似合わず次から次へと鍋に放りこまれる具材を呑み込んでいた。


 「それにしても、いくら余裕があるといって試験は問題ないのか。落第して責任とれとか言われても困るぞ」

 「苦手なヤツは前半に集中してたからね。ターナのおさんどん務めるくらいなら問題ないよ。夜は帰るけど」

 「当たり前だ。三人も寝られるか」

 「でも落第したらターナに養ってもらうのもアリかも。私結構、こうしてご飯作るの好きかもなぁ、って最近思うようになって」

 「こんな大きな子供を養えとかいわれてもな」

 「そっちか!…もう一つあるんじゃないかなぁ、養うっていったら~…」

 「あの」


 直に顔を合わせるのが数日ぶりだったためか、やけに口の滑らかな音乃とターナを不思議そうに見ていたレーニが、箸を置いて畏まった様子で口を挟む。


 「あれ?お腹いっぱい?それともご飯おかわりする?」

 「母親かお前は。済まないレーニ。放ったらかしだったな」

 「イエ、ちがいます。ふたり、とっても仲良い、思いました」

 それから、ほんわりと笑いながら言った。

 「もしかして、夫婦?」

 「あのな…」


 冗談だと分かってはいても、ほっこりした顔で言われると少し省みるところも生まれてしまう。

 具体的には、音乃がいないとまともな食事もとれないところ、とか。


 「あはは。…まあでも、夫婦は言い過ぎだけどいろいろあったよね。まだ二ヶ月たってないのにね、ターナに会ってから」

 「そうだな」


 音乃が数字で二人の時間を示すと、レーニは驚いたように目を見張る。


 「なんていうか、私にとってターナは親友と言っていいと思うけれど、それだけじゃなくって…相棒?って言い方をして欲しいかな」

 「アイボウ、ですか?」

 「あー、ごめん。ややこしい言い方しちゃった。レーニ、日本語も自然に話してる感じだから、つい、ね」

 「はい、ありがとございます」


 相棒、か。

 けれどそれだと…。


 「…なんだか色々と揉め事を一緒に経験しているようで、不穏だな」

 「そうなんですか?」

 「そういう言い方はないんじゃないかなー」


 ターナの述懐に音乃は少しばかり不満があるようだったが、ターナはターナでしっくりしないものを覚えている。


 「じゃあターナはどう言えばいいと思うの?」

 「…どうって……そうだな」


 口の下に手を当てて考え込むターナを、何故か緊張した面持ちで見守る音乃とレーニ。

 そんな空気に気づきもしないで、ターナは思ったことをそのまま告げた。


 「パートナー、ってやつかな…」

 「それ和訳すれば相棒、と一緒じゃない。ターナ、大ぼけー」

 「うるさいなバカ。思ったことをそのまま言っただけじゃないか。そこまで言わなくてもいいだろう」


 渋い顔で音乃に反駁するターナだったが、一方でレーニが何故か顔を赤らめて軽く俯いていることに気づきはしなかった。

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