第24話

 「くんくん」


 と、鼻を突き出す真似をしてはいるが、実際匂いを嗅いでいるわけでもなく。

 まあ何かを探している気分を出す程度のもので、実のところ絡まれていた音乃を見つけた時も同様にしていたから、ただの験担ぎのようなものだ。

 それで何かを探り当てられるのは、竜の娘として認識を捉える力のためである。


 (金髪の白人女性、わたしと比べてる様子、妙に黄昏れたなり…それからこの人の流れの向こうから…と、こっちだな)


 傘を持たず姿を晒すことで集める認識の中から、自分に関わりのありそうなものを探る。

 ナンパ目的の認識をあしらうのとは訳が違い、深くない認識をさらうようにかき集めるのは無意識にでも出来る。ついでに、自分に集まった認識を軽いものに換えて存在感を薄くしながら、ターナは軽く急ぎ足で進む。

 そして程なく、目的の場所に辿り着いた…といって、怪しげな何かがあるわけでもない。ただの駅前地下道の、出口だった。


 (ここか。さて、何があるのか、誰がいるのか…)


 当たり前の話だが、人通りが絶える場でもない。だから、これ見よがしに他人に絡む輩などそうそういるはずもないのだが、明らかに他人の注目を集める中に、彼女はいた。



 その姿を見たターナは、軽く畏敬の念にとらわれる。

 容姿の話ではない。ここにいるはずのない、誰かの存在を容易に想像させる姿だったからだ。


 「…姉様?」


 我知らず呟きを洩らし、まさかともう一度目を凝らして見る。


 「…そんなわけないか。何だというのだ、全く」


 似てはいない。

 姉はターナと同じ銀髪で、妖精にも例えられる長さであったし、理知的を通り越して辛辣な印象の眼差しの持ち主だった。

 だが、ターナが今近付いている女性は、髪の色はもとよりそのまとう空気が、現世を冷笑しながらどこか苦衷に満ちた世界を見捨てないだけの強さを持っていた姉のそれとは、正反対だった。

 儚げ、とも異なる。

 そこに彼女自身の意志を思わせるものは一切無く、ターナの知らない日本語で表現するのならば…虚無だった、と言える。


 (…と、いつまでも見ているわけにもいかないか)


 身姿だけを見れば間違い無く人目を惹く。放っておいたらあまりタチのよろしくない関わりに巻き込まれかねないだろう。

 ターナは取り巻くようにしていた人の壁をかき分け、地下道の出口のアーチに身を持たれかけさせていた女性に声をかける。


 ”済まない、先程から何か困っていたようだが。何か助けられることはあるか?”


 英語で、だった。

 別に日本語として話して相手にターナの意図を認識させるのは簡単だったが、何語を解するのか分からない相手に、初手から通じる言葉を話すのも却って警戒させるかと、「とりあえず」ネイティブ並の英語でいつも話しかける。



 そう出来るのも、一年前に必死に言葉を覚えたからだった。

 まず日本語。

 それから、それに次いでこの国で通じるだろう言語として、英語を。

 耳に入る音と、能力で捉える認識をすり合わせることで誤解無く言葉だけでやりとり出来るようになるのは簡単ではなかったが、もとよりそのための力であるから、ごく短期間で二つの言語を操れるようにはなった。

 三つ目に手を付けなかったのは、能力の助けがあれば、どんな言語でも聞いた人の知る言葉として認識させることが可能だと分かったからで、慣れてしまった今では分からないだろう相手には認識させない真似まで出来るようになっている。

 例えば中国人に対して中国語を話している隣に英国人がいたとして、その英国人には中国語として認識させることも可能だ、ということだった。


 …そんなことを音乃に話してやったら、ひどく羨ましがられたものである。聞けば、どうも第二外国語の履修が思うようにいってないらしい。


 それはともかく。


 「あ…日本語、少し、話せます」


 ターナの気遣い、というよりも面倒ごとを避ける配慮は、無駄になったかのようだった。


 「…英語より、日本語の方がいいのか?」

 「ハイ」


 それならそれでターナとしても問題は無い。

 下手にどこの国の人間か、と聞いてあっさりその言葉を話したら、それはそれで怪しくも思われることだろう。


 「それで、こんな所で何をしていたのだ?見たところ、行き先や目的があるようには見えなかったが」

 「…ええ、もう少し、ゆっくり、おねがいします」

 「…あー、済まない。慣れてなくてな。もう一度聞くが…何か迷っているように見えた。困り事があれば力になるが」


 慣れていないのはウソなのだが、面倒だな、と思ったのは事実である。付け加えれば、ターナの日本語はどこか調子が固いとたまにいわれることもあったからだ。

 仕方なく、日本語に自分の認識を混ぜて話す。それならば、特に気を遣わずに誤解無く話が進むだろう、と。

 だが。


 「……?あの、何か、チガウものが、ワタシに、触れました?」

 「………」


 彼女の認識を捉えて、驚いた。

 ターナの伝えた認識を、自己のものとは違う異物として、はっきり知覚していたのだ。


 (これは…二重に面倒だな…)


 気づかれないように眉をひそめる。

 こんな風に変に鋭いところが姉っぽいのか、と捻くれたことを思った。


 「気のせいだろう。わたしはこういうものだ。英語、読めるか?」


 仕方が無い、と、ゆっくり単語を選びながら話す話し方に切り替える。

 それから、ウエストポーチの中から名刺を取りだして渡した。

 いくつかの言語のものを持たされていて、この場では英語のものを取りだしている。


 「………ハイ、わかります」


 それにざっと目を通した女性は、納得したように受け取った名刺を返そうと差し出す。


 「それは、あなたにあげるものだ。裏に、何か困ったことが起きた時にかける電話番号が書いてあるから」

 「…ハイ。ありがと、ございます」


 その手をやんわりと押し返し、それはあなたのものだと告げると、一瞬きょとんとしてそれから、何か嬉しそうに両手でターナの名刺を胸に抱くように、抱えこんでいた。


 「えと、Tahna、さん?ですか?」

 「ああ。それでいい」


 捲舌音の強い呼び方はなんとなく、慣れなかった。

 だが、どこか楽しそうに呼ぶ様子に訂正する気にもなれず、眩しいものから目を逸らすように顔を背けると、彼女は怪訝な顔をする。


 「困ったこと、あります。助けてくれますか?」


 そして早速そう告げてきたことに、ターナは少し驚いた。


 (とはいってもな…そう見えたから声をかけたのだし、やむを得んか)


 「…なんなりと。ああ、いや、聞かせてください」


 難しい言い回しは理解出来ないだろうと、訂正する。

 それで意味が分かったのだろう、彼女はホッとしたように肩の力を抜くと、周囲を見渡して腰掛けても差し支えなさそうなコンクリート製の花壇を見つけると、先に立って向かい腰を下ろす。

 それから、あなたもここへ、とでも言うように、自分の隣を手でぽんぽんと叩いて示してみせた。

 これは長くなるかな、と内心ため息をつきつつも、勧められた通りにするターナは、確かにお人好しと言われても仕方なかったことだろう。




 彼女は、名前をレーニ・ハースキヴィといって今十九歳。フィンランドから最近日本にやってきたとのことだった。

 日本語をいくらか解せるのは、訪ねた日本の知人の求めるところだったらしく、それだけで外国語の勉強までするというのはどういう関係なのだとターナは不思議に思ったのだが、好奇心だけでそこまで突っこんだ事情を聞くのも失礼な話かとその先は控えていた。


 「ええとつまり、その、知人に招かれて…日本に来るように言われてやってきたはいいが、会えなくて困っていた、と?」

 「ハイ、そうです」

 「………」


 無茶苦茶な話だ、と思わず天を仰ぐ。

 外国から呼びつけておいて、いざやってきたらほったらかしとか、どういう人間なのだ。

 この一年で、この世界の常識もそれなりに身についた。

 そして、外つ国から移ってくる、ということが容易なことではない、というのはターナ自身に身についた感覚でも理解は可能だ。言葉の通じないことの困難さが伴うのなら、尚のことである。


 「…それで、その知人の連絡先…電話の番号などは、分かるのか?」


 かぶりを振るレーニ。

 八方塞がり。思わずそんな単語が頭に浮かんだ。


 「…えっと、それならあなたは今どこに、住んでいる?というか、身分を示すものなどは、あるか?」

 「ワタシ、Passportなら、持ってます」


 パスポート、というものが何なのかは、普段接しているのが外国人であることの多いターナだったから、よく分かる。

 それがあるなら、自国の大使館などに救いを求めるのも難しいことではあるまいが…それはレーニ自身にとっての解決ではないだろう。


 (弱ったな…音乃なら何か助けになってくれるかもしれないが…)


 生憎とつい先程、それどころではない状況を確認したばかりだ。

 これを口実に押しかけることも考えたが、なんだか甘えているようでターナが面白くない。

 となれば。


 (仕方ない、事務所に連れて行って誰かに相談するか…)


 と、「仕事」としては無難な選択にならざるを得ない。


 「レーニ、さん。その、わたしの仕事仲間に相談しても構わないか?」

 「ハイ、Tahnaさん、いいひと、です。相談、大丈夫です」

 「ありがとう」


 一応、承諾を得てターナはその場を少し離れ、事務所に電話をかける。

 関係者用の連絡の番号だったから何度かコールが繰り返されたが、電話に出たのは馴染みの相手だったから、ホッとして簡単に事情を説明したのだが、戻ってきた答えとなると、ひどくターナを困惑させるものだった。


 『…ちょっと待ってくれ。今その人と関係ありそうな話でゴタついてる』

 「どういう意味だ、ウエムラさん」

 『どーもこーもなあ…タイミングがいいのか悪いのか分からんが、丁度そのレーニ・ハースキヴィという女性を探している、ってえ問い合わせが来てるんだよ』

 「なんだ、だったら話がはや…」

 『そう簡単な問題じゃなくてな。ター坊、悪いが今日の所はその人を連れて自宅に戻ってくれないか?』

 「…はあ?!」


 思わず頓狂とんきょうな声を出してしまう。

 それくらいにその指示は理解し難かった。


 『説明は後でする。ター坊は何も知らないで助けた人を匿った。そういうことにしておいてくれ』

 「…ウエムラさん。言いたかないが、ター坊呼ばわりはそろそろ止めてくれと何度も言っているだろう」

 『今する話かね、それ。つーか、ター坊が嫌ならもう少し娘らしい格好でもしてくれ』


 娘らしい格好で勤まる仕事なもんか、とふくれっ面で黙り込むと、機嫌を損ねたとでも思ったのか、電話口の向こうは急に猫なで声になる。


 『なあ、頼むよー。下手すりゃ商工会議所の存続問題なんだよ。お前さんが頼り。なんとか!このとーり!』


 多分電話の向こうでは、片手拝みみたいな格好なのだろう。急に声が遠くなっていた。

 ターナはそれでも、それは筋違いだろう、と抗弁しようとしたのだが。


 『…しばらく出てこなくてもいいから。その人の問題が解決するまで休んでていい。だから、な?』


 別に仕事をしなくてもいいことに喜びは覚えないが、なんとなく余暇と音乃の顔が脳裏で結びついて、思わず、


 「…分かった」


 と答えてしまった。


 『よし。こっちの動向は連絡するから、しばらく預かっててくれ。くれぐれも、連れ回したりはしないでくれよ?』

 「その指示に何か意味はあるのか?というか、なんだかイヤな予感がするのだが…」

 『察しがいいね。その辺の事情も後でメールしておく。今日はもう上がっていいぞ。あと、あんまり失礼な真似しないようにな』


 余計なお世話だ、と文句を言ってから電話を切った。


 「あの、なにかワタシのことで、問題ありますか?」

 「ああ、そういうわけじゃないんだが…」


 今の電話の内容を話してもいいものか。

 そこらの微妙な判断までターナに委ねられた格好になったが、ともかく事情を知らなければ何とも言えない。


 「とにかく、レーニさんをわたしの家に案内するように、言われた。これから向かうから…荷物は?」

 「あ、ハイ。これだけです」


 と、ずっと手に持っていた古ぼけたボストンバッグを軽く掲げる。それくらいなら問題無いだろう。


 「結構。じゃあ、行こうか」

 「わかりました」


 こうも疑いなく付いてこられてもな、と若干心配にならないでもないが、きっと育ちが良いのだろう、と、ターナ自身が育ちの良い方であることを思い切り棚の上に放り投げたことを考えながら、並んで新宿駅の方に向かうのだった。

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