インターミッション・2

竜の娘、駻馬に乗る・前編

 「らっしゃい」

 「どうも」


 連休からこっち、週末の度に訪れるものだから住人たちとのアイサツも極々短いものになってしまっていた。


 「樫宮なら買い物だよ。なんか美味いもの食べさせてやる、って張り切ってたね」

 「…そうですか」


 そんなことまで言われると、何やら冷やかされているようでもある。

 居心地の悪いこと夥しいのだが、部屋の主がいないのに上がり込むわけにもいかない。

 仕方なくターナは、咥えタバコに腕組みで、古い木製の塀に背中を預ける末永菜岐佐の隣…から少し離れて、同じように塀を背もたれ代わりにする。初夏の日差しにさらされ続けていたせいもあってか、昼下がりの乾いた木は熱くさえ思える。

 といってそれが不快なのではなく、ターナが顔をしかめたのは、菜岐佐のタバコの煙が流れてきたからだった。


 「…ああ、済まないね。いま消すよ」


 それに気づいてすぐに吸うのを止める辺り、気遣いも出来る女性なのだろうが、音乃が言うには「雑、適当、もうイヤだ」の三拍子だそうで、そこまで嫌うこともないと思うのだがな、と言ったら露骨に困った顔をされた。この調子では、わかり合えることがあるのかどうか、甚だ心配なターナだ。


 「ターナ嬢は樫宮と同い年だったかな、確か」

 「ええ」


 実年齢をこの世界でどう換算するのかはともかく、無難そうなのでここではそういう設定にしてある。ターナの時間の感覚としては、最初に音乃に言った通り、十五歳ということでそう誤差は無いと思うのだが。


 「…こっち、イケる方かい?」


 と、菜岐佐は手に作った輪っかをあおるような手付きをする。

 酒が呑めるかどうか、という意味なのだろう。


 「…未成年なので」


 故国では酒に相当する飲料を口にしたことはあったが、あまりいい思い出はない。とりあえずそう答えておいた。


 「そっか。そのうち一緒に呑みたいもんだねえ」


 そこで無理強いすることもなく、楽しみが出来た、みたいな顔つきで笑う菜岐佐を、


 (どうしてネノはこの女性をああも毛嫌いするのか)


 と心底不思議に思うのだった。

 そして呑めないことを詫びる代わりにターナは、


 「そうですね」


 と、こちらもおとなう未来を心待ちにすることを表すように、クスリと笑うのだった。



 「…しかし遅いな。あいつ時々鉄砲玉みたいに時間忘れて戻って来ない時があるからな」


 日差しの心地よさもあるのだろうが、のんびりとした空気に時間の経つのを忘れていたら、菜岐佐が中折れの携帯電話で時間を確認しつつ、そう言った。


 「わたしと待ち合わせしていることは伝えてあるはずですが」

 「他のモンとはともかく、ターナ嬢との約束を忘れるようなヤツじゃないよ。今日も朝から気合い入っていたから、さ」


 くくっ、とあまり健康的とは言えない笑い方をするが、そんな仕草も菜岐佐にはよく似合っているように思えた。


 「…と、曹操を説かば、って奴だ。帰ってきたよ」


 指さす方角をターナが見ると、結構な勢いでやって来る自転車が見える。

 いくら車通りの少ない道とはいえ危ないのではないか?と思ってハラハラしていたが、日曜の昼過ぎにこんな町外れを車で走る人などいないのか、何事も無く急ブレーキの音と共に、ターナの目の前に音乃の自転車が横付けした。


 「はあ、はあ、はあ…はあ~~~………ごめん、ターナ。遅くなった」

 「いいさ。ちょうどナギサさんと話をしていたところだ」

 「……何かヘンなことされなかった?」

 「おい樫宮。いくらなんでも先輩に向かって失礼過ぎないか?」

 「だって先輩前科あり過ぎるんですもん。こないだだって風呂場で一緒になった時に私の体ジロジロ眺め回してましたし」

 「面白い体つきしてるな、と思っただけだよ。変な意味は無い」

 「じゅーぶんに変な意味です!」


 ターナが笑いを堪えていたので、音乃は若干ヘソを曲げつつ自転車を降りる。

 買い物用の自転車には前部にカゴがついており、その中からスーパーの買い物袋を取り出した。


 「何を買ってきたのだ?」

 「えーとね、アジ…お魚のいいのがあったから三枚に下ろしてもらってた。それで遅れたの。ゴメンね」

 「いや、別に構わない。ところで魚、というと…」

 「お刺身。生魚食べたこと無いって言ってたじゃない。大丈夫、食べられるようにいろいろ工夫するから!」

 「子供の偏食を気にする母親か、お前は」


 菜岐佐のツッコミにも、余計なお世話です、と突っ慳貪な対応をしてターナを呆れさせると、自転車を押して屋敷の中へ向かう音乃だった。




 「さて、買い物は片付けたし晩ご飯の仕度までまだ時間あるけど。何かする?」

 「そうだな…」


 部屋に上げてもらって一休みすると、なにしてあそぼ?、みたいな調子の音乃が聞いてきた。

 お互いの部屋を割合頻繁に往き来するので、この部屋に遊び道具の類が無いのは承知している。つまらない話で時間を潰すのも吝かではないが、ターナはさっき見たものに興味をひかれていた。


 「…自転車。あれはお前の持ち物か?」

 「あれ、ターナ乗ったこと無いの?」

 「乗ったこと、どころか近所ではあまり見かけない…こともないが、人混みで乗り回すものではないしな。馴染みが無い、というところか」

 「……乗ってみる?」

 「構わないのか?」

 「ここの住人の共有財産だけどね。ターナなら壊したりしないでしょ。いこ?」

 「ああ」


 そういうことになった。



 先程乗って帰ってきた自転車を再び引っ張り出してくる。よくよく見ればまだ真新しいようだったが、自分が乗ってもいいのか?とターナは少し心配になった。

 とはいえ、普通に誰もが乗りこなしているものだし、音乃も心配する様子はない。体躯を操ることにかけては並の人間の及ぶところではないのだから、これくらいのこと造作も無いだろう、と高を括るターナだった。

 …そして人、それをフラグと呼ぶ。


 「あら、音乃さん。お友だち?」

 「あ、三津田先輩。えーと、先輩は会うの初めてでしたっけ。私の友だちの、ターナっていいます」

 「…ちょくちょくお邪魔していますがお目にかかるのは初めて、ですか。ター…ターナと呼んで下さい。本名は長いので」

 「はい、こんにちは。三津田真琴みつだまことといいます。三年生ですので…ナギちゃんと一緒ですね」


 そう言って、いかにも人の良さそうなほんわかした笑みを浮かべる女性だった。

 ただ、ターナの印象ではそのほわほわした印象の割にはなかなか油断のならない眼光を備えているようであり、フルネームを名乗らなかったのはつい警戒心が沸いたからだったりする。


 「それで、自転車でおでかけ?二人乗りはお巡りさんがうるさかったりするんだけれど」

 「違いますって。ターナが自転車乗ったことないっていうんで、乗せてみようかって」

 「…その年で初めての自転車って、ちょっと辛くない?」


 そう言って真琴は、まだ真新しい自転車とターナを見比べる。


 「…うーん、やっぱり壊す心配、した方がいいですかね?」

 「それは分からないけど。まあでも、また音乃さんが弁償すればいいんじゃない?」

 「弁償?ネノ、自転車を壊したのか?」

 「違うって!あれは…そのー、自転車が古すぎたから…」

 「いくら古すぎたからって普通ペダル踏むだけでギアがバラバラになったりしないでしょう?あのね、ターナさん。音乃さん全力出したらどれだけスピード出るか試そうとして…力任せに漕いだらこう、自転車の下半分がバラッバラに…」

 「せんぱい…お願いですからもう許して下さいってば…大体もう十年以上前の自転車だったじゃないですか。ちょうどいい買い換えの時期だったんですって。たぶん…」


 それはまあそうだろう。

 メンテもロクにされていない、女子寮備え付けの十年選手のママチャリ。

 漕ぎ手は、国内大会に限るとはいえ、ワールドカップへの参加も持ち上がっていたスピードスケートの選手。

 それが全力出したりしたら一発で分解しても、不思議ではないというものだ。


 「音乃さんのそーいう悪びれないところは嫌いでないけれど。でも今度同じことしたら本当に全額自腹だからね?」

 「はぁい」


 長身を窮屈そうにして恐縮するところを見ると、一応は申し訳なさを覚えてはいるのだろう。

 それを見て真琴も言うことは無くなったものと見えて、ターナに「ごゆっくり」とにこやかに告げて引っ込んでいった。



 「さて、やってみようか。ターナは本当に自分で乗ったこと無いんだよね?」

 「ああ。馬なら乗れるから問題は無いだろう」

 「そーいうのとはちょっと違うと思うけど…そっちにも馬っていたの?」

 「よく似たのがな。使う道具も同じようなものだ」


 ターナの故郷でのことはともかく、日本のどこで乗馬の道具の比較をしたんだろ、と気にならないでもなかったが、まあそれは後日の話の種に取っておけばいい。

 音乃は自転車にターナを跨がらせ、ペダルに足をかけるのを確認すると後ろにまわり、荷台を両手で支えて言う。


 「じゃあペダルを踏んで進んでみて」

 「…ネノ、どうしてお前がそうしているのだ?」


 振り返って言うターナの口調には、不満気な様子がありありだった。


 「だって支えてないと倒れるじゃない」

 「…子供みたいで何だかイヤだ」


 そういうことを口にする方がよっぽど子供っぽいと思うんだけどな、と音乃は思ったが、そんなことで頬をふくらませているターナが妙に可愛く思えて黙っていた。

 最近つくづく思うが、ターナはやっぱり妹気質な面が少なくない。今度お姉さんの話でも聞かせてもらおうかな、とも思う。


 「倒れて自転車壊すと私が困るんだから、言うこと聞いてよ。じゃ、いくよー」

 「う、うん…そらっ!…って、うわぁっ?!」


 ガッシャン。

 世界初の、竜の娘による自転車搭乗の第一歩は横転で終わった。


 「…くっ、ネノ!何故手を離す?!お前が支えているというからわたしは安心して思い切り発進したのだぞ!」


  体と自転車を起こして後方の音乃を向いて抗議するターナ。


 「あたた…思いっきり発進したから私が振り切られたんじゃない。ターナ、力任せ過ぎだってば」


 見ると五メートルほど離れてコケていた音乃が、顔だけ起こしてそう文句を言っていた。手で鼻を押さえていたから、軽く打ちでもしたのだろう。


 「む、そうだったか…済まない。怪我はしていないか?」

 「それは大丈夫だけど。でもなんか先行きに不安を覚えてきたから、もーちょっと広い場所でやった方がいいかも」

 「ううん…」


 やっぱり不満そうなターナだった。

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