第22話

 よくよく考えたらもう九時を過ぎる。

 田舎の高校生の感覚だとこんな時間に出歩いていたら補導だか警察の声がけでもあってもおかしくはないのだが、渋谷のど真ん中でいちいちそんなことがあるはずもなく、後ろめたさを覚えつつもややお高めな印象の、雰囲気が落ち着いた喫茶店を見つけてそこに入った。

 人数分の飲み物を注文し、時間も遅いせいなのか全員ジュースを頼んだせいなのか、待つことも無くそれらが届けられると蒔乃が早速羽月に食ってかかった。


 「…で、結局あんたは何やってたのさ。あたしだけじゃなくておばさんにも心配かけて」

 「マキ、いきなりそんな糾弾口調じゃ羽月くんも返事に困るでしょ」

 「…むー」


 友だちとして怒る蒔乃の気持ちは分かるが、羽月にも事情があったのだろう。

 そんな風の弁護に羽月もホッとしてか、ジュースのグラスにストローを挿して口にする。


 「…ごめん。心配かけたのは謝る。それにわざわざこっちにまで来てくれてありがとう」

 「そんなにしおらしくされても困るけど」


 音乃の助け船にも思うことはあるのだろう、蒔乃は矛を収めて同じように喉を潤していた。


 「…事情はあったと思うのだがな。わたしからも一ついいか?」


 それで途切れた会話の隙をうかがうように、ターナが問うた。


 「あの連中は一体何だったのだ?家族に何か思うところがあって家出…をしたようだが、見たところ羽月のような少年が何も無く関わりを持つ者共とも思えないのだが」

 「あ…その、それを説明するとなると最初からになりますけど…」


 と、言葉を選ぶように考え込みながら、羽月は話し始めた。




 両親の離婚。

 家族を顧みない父親とは自身も折り合いが良くなく、実家のある千葉に引っ越す母親についてはきた。

 羽月は新しい生活に馴染もうと努力するつもりで、実際にそうしていたし、そこは連絡のあった蒔乃も話の最中に同意していた。


 しかし肝心の母親の方は別れた夫にまだ未練があるようであり、また実家ともひと悶着あったようで全く前向きな姿を息子に見せようとはせず、羽月も早々にそんな母親に嫌気がさしてついてきたことを後悔するようなことを言って、何度か衝突もしたそうだ。

 たった二週間で結論出すのは早すぎないか、とターナが遠慮無く指摘すると、羽月も力なく「そうですね」とは言っただけだから、余人には察することの難しい葛藤もあったのだろう。


 そして、母の顔を見るのにも抵抗を覚え、帰宅の時間を意図的に遅らせるようになると早々に、あまり素行の良くなさそうな、少し年上の少年たちに目を付けられる。

 そんな人間関係に慣れるところの無い羽月は、流されるように巻き込まれ、ここ数日であのビルの部屋に出入り「させられる」ところにまで至ってしまった。




 「出入り『させられる』?穏やかじゃないな…」

 「あの子供のこと見ましたよね。その、音乃さんにしたようなことを、平気で出来るんです。僕や他の人たちは脅されて言うことを聞かされていたんです」

 「え、どゆこと?音乃ちゃん何か危ない目に遭ったの?!」

 「マキ、後で説明するから今は黙ってて」


 面倒なことになってきた、と思いつつ音乃は先を促す。


 「…あの子供の目的は何だったんだ?知っている範囲で構わないから教えてもらえないか?」


 羽月は少なくとも、その子供-異世界統合の意思-とターナの間に何か因縁があることは分かったのだろう。蒔乃の前であることも構わずに、口を濁すことなく先を続けた。


 「分かりません。何かを探すように言い含められていました。何か、といっても…」

 「わたしのように、特異な力を振るう少女なり女なりを、か」

 「…そうです。でも東京にあんなに人多いと思わなかったから…」

 「逃げようととかは思わなかったの?」


 と、これは蒔乃の問いかけ。


 「出来るわけないじゃないか。一度そうしようとした人がいたんだけど、残った人たちが責められて、連れ戻させれたって言ってたし」

 「…ひどい」

 「そうだな」


 自分がされたことを思いだして唇を噛んでいるのを見て、隣に座るターナは、音乃の肩を抱いて優しくそう言った。


 「…とにかく、僕はそんなことになってて、母を巻き込むわけにもいかなかったしもちろん蒔乃にも相談出来なかったし…今日助けてもらわなければ…って、あの、もうあの子供の方は大丈夫、なんでしょうか?」

 「…保証は出来ない。が、何か連絡の手段を用意してくれないか?そうすれば力になれると思う。もともとわたしの方の悪縁なのだしな」

 「…はい、ありがとうございます」


 折り目正しく頭を下げる羽月だった。




 もう時間も遅いのだからと、話はそこまでにして羽月は自分の家に帰っていった。

 母親との葛藤という問題は残るが、そこから先はもう羽月本人の事情だ。蒔乃も連絡がとれるようになったということで相談にのってやる、と力強く請負っていたから、音乃やターナがあれやこれや口出しすることでもあるまい。


 「さて、帰ろうか。マキノは明日はもう帰るのだろう?わたしは見送り出来ないが、また遊びに来い。そうしたらいろいろ行こう」

 「ありがと。あたしも名残惜しいけどさ、羽月のこともあるしまた来るよ」

 「姉のことはほったらかしですかそうですか」

 「拗ねないでよ、もー。音乃ちゃんのコトが大事なのは当たり前過ぎて言うまでもないじゃん」

 「ふふ、本当にお前たちは仲がいいのだな」


 新宿で羽月と別れ、そして音乃と蒔乃、ターナも帰りに乗る電車が違う。

 休日の夜だというのに相変わらず人のごった返すJRの改札の前で別れを惜しむ三人だったが、いつまでもこうしてはいられない。

 ターナの方から、「では、またな」と歩き去ったので、その背中が雑踏に消えるのを待って音乃と蒔乃もホームに上がるために改札を抜けた。


 「…で、音乃ちゃんさあ。結局おとーさんとおかーさんには何か伝えておくこと、無いの?」


 そして、せかせか歩く通行人たちに追い抜かれながら、蒔乃は並んで歩く音乃に心配そうに聞く。


 「…分かんないわよ、今そんなこと言われたって」


 実際、羽月とその母親の関係を見聞きして、思うところが無いわけでもない。

 自分たちの両親は仲が良いし、家業の農業も今のところはうまくいっている。だから家族がバラバラになるようなことは無い筈だったが、それでも音乃は自分の言動が、そんな中に波風起こしていることは自覚せずにおれない。


 (考えなきゃいけないこと、増えたのかな)


 そんなことを思ううちに歩む速度が落ちたのか、蒔乃との距離が開く。


 「音乃ちゃんおそーい!あたしいい加減眠くなったから早く帰ろ?」


 それに気づいた蒔乃は、戻ってきて音乃の目の前でそう文句を言う。まったく、誰のせいでこんな時間にまで出歩く羽目になったと思っているのだ。


 「分かったわよ…もう……って、あれ?」


 何か言い返そうとしたら、ポケットの中のスマホが電話の着信で鳴動していた。


 「誰だろ…って、ターナ?」

 「なになに?もしかしてターナかな?…って、音乃ちゃんナニコレ」


 音乃の手元をのぞき込んだ蒔乃が、妙な顔をしていた。

 それはそうだろう、そこに表示されていた発信元の名前ときたら…。


 「!…あっ、もしもしターナ?どーしたの?何か忘れ物?」

 『あーいや、一つだけ言っておきたいと思ってだな』


 スマホの向こうにいるターナの声は、少し慎重さはあったがそれ以上に気遣いも感じられて、首を捻ってる蒔乃を無視して音乃はその先の言葉を待つ。


 『…ウヅキのことでいろいろ思うところはあるかもしれないが、お前はお前の思うようにしろ。それくらいは信用しているし、そうあるお前のことが……その、まあ、わたしは好きだからな。それだけだ』


 そしてターナはそれだけ言って、一方的に通話は切れた。

 音乃に「うん。わたしも今日のことでターナがもっと好きになったよ」と言わせもせずに。


 「はあ…」


 会話の終わったスマホをじっと見る。

 そうしていると、「音乃ちゃん…」という重い声と共に蒔乃がやぶにらみの目付きで見上げてくる。


 「今の…ナニ?」

 「何って。ターナからだったわよ、もちろん」

 「そーじゃなくってさ」


 と、画面の消えたスマホを指さして言う。


 「ターナの登録…『まいだーりん』て何なの?もしかしてやっぱり…音乃ちゃんとターナってそーいう関係なのぉっ?!」

 「ちっ、違うわよ!変な勘違いしないでちょうだいっ?!」

 「こ、これはおとーさんとおかーさんに報告せねば…音乃ちゃんが、音乃ちゃんが、東京で『彼女』を作ってたぁっ!!」

 「そんなわけあるかぁっこのバカ妹!!」


 …樫宮家の頭痛の種は、当面尽きることがないようだった。

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