第17話

 「…話が違わなくないか?」

 「…ごめん」


 午前中と同じ待ち合わせ場所に現れたターナは、顔を合わせるなり曇った顔で音乃にそう文句を言った。


 「だって二人きりで遊びにいこーとか許せないじゃん。あたしに内緒とかありえないでしょ」

 「…遊びに行くわけじゃあないのだがな」


 口を尖らせて抗議する蒔乃には力のない声でそう言い、改めて音乃を睨み付ける。


 「だからごめんって。先輩たちに押しつけて来ようとしたらさ、みんなマキの肩持っちゃってどーしようもなかったんだってば」

 「お前、本気で友だちは選んだ方がいいぞ…って、選べる状況でもないのか。まったく」




 新宿で別れて直後にターナから届いていたメールには、


 『ウヅキの行き先が分かった 今夜探しに行くからつき合え』


 という内容と、待ち合わせの場所と時間が指定されていた。

 音乃はそれを蒔乃に悟られないようにすることには成功したが、実際にどう遂行するかは全くの別問題で、後が面倒になるのを避けようと黙って出かける前に先輩連中に後事を託そうとしたら、面白がって蒔乃にチクるわ口笛吹いてはやし立て、蒔乃に「付いてけ付いてけ、おねーちゃん逃がすなよー」と煽るわで散々なのだった。


 「へへー、音乃ちゃんの先輩たちいい人ばっかだね。お土産買って帰ろっか?」


 一方的に支援された蒔乃としては上機嫌で付いてきたわけだったため、これから何が起こるかも知らず能天気なものだった。


 「おい、何しに行くか言ってないのか?」

 「途中で巻こうとして失敗した…」

 「え?遊びに行くんでしょ?あたしさー、夜の新宿とかちょっとドキドキする」

 「マキノ、お前な……まあいい。金なら出してやるからどこか安全な場所で時間潰していろ」


 気前のいいことだが、音乃はそれだけこれから起こることが物騒だと知らされているようで気が重くなる。


 「えー…何処に行くのか知らないけど、デートだっていうなら後ろで大人しくしてるから連れてってよー」

 「そんないいもののわけがあるか……ああもう、仕方ないな」


 あきらめ顔、というよりは物見遊山気分の蒔乃に苛立った風なターナは、片目を吊り上げて睨むように言う。


 「これからウヅキの居場所に向かう。危険があるかもしれないから、ネノはお前を置いてこようとしたんだ。悪いことは言わない、今からでも部屋に……戻って……おい」


 厳しい声色は次第に勢いを失い、語尾ははっきりとは聞き取れないものにまでなった。

 それほどに蒔乃の表情は激変したのだと言える。


 「………ちょっと、それどういうことよ」

 「マキ、ターナの言う通り危ないかもしれないから…」

 「音乃ちゃん、ターナ。あたし二つ怒ってる。今の話聞いて、さ」


 思わず息を呑む二人。


 「一つは…羽月の話なのにあたしに黙ってなんとかしようとしてたこと。あたしの問題だってのにさ、なんで二人だけで行こうとすんのよ」

 「マキ、それはさ、ターナも私もマキを危険な目に遭わせたくなくって…」

 「それだけじゃないよ!なんで音乃ちゃんは連れてってあたしは、危険があるから、ってことで連れてかないのよ!音乃ちゃんは危険な目に遭わせてもいいってこと?!」

 「………」


 音乃には分かっていることだが、ターナの力を十全に発揮するためには、事情を知らない蒔乃を同行させない方が都合がいい、ということがあった。

 正直言って、身に直接的な危険が及ぶような可能性がそれ程高いとは思えない。ターナがいれば尚のことだ。

 けれど、その予想を確実にするにはやはりターナが「竜の娘」としての力を振るえる条件を整えなければならないのであり、蒔乃がいることでその前提が崩れる怖れがあると、ターナは判断したのだろう。


 「…わたしにはネノの存在が必要だったからだ。それ以外には何もない」


 苦い顔でそう告げるターナ。


 「あたしは必要ないってこと?」

 「マキ、そういう言い方ないでしょ」


 もっとも、音乃としてはターナが自分といっしょにいたいから、とでも思ってもらえれば嬉しいという本音も無くは無いが、この際そんな呑気なことを言っている場合でもない。


 「仕方ないな。確かにもともとはマキノの持ってきた話だ。コトの張本人を同行させない、というのも筋違いかもしれない」

 「…ん、まあマキにもそれなりに覚悟があるんなら私がこれ以上言うこともないけど。でもね、マキ」

 「なに?」


 ターナが認めるのなら音乃としては反対する理由も乏しい。

 けれど、姉として一応は釘を刺しておく。


 「何があるか分かんないんだから、ターナと私の言うことはちゃんと聞くこと。羽月くんの姿見かけたからって見境なく駆け寄ったりしないで。いい?」

 「あたしそこまで考え無しじゃないよ。音乃ちゃんじゃあるまし」

 「それどーゆー意味よ」


 自覚がないこともないが、改めて身内に言われると腹が立つ。

 そんな気分ではあったが、蒔乃の同道は結局承諾せざるを得なかった。


 「とにかくだ。分かっているのは行き先だけで、そこに何があるのかは分からない。二人とも危険があるかもしれないことだけは承知しておいて欲しい」

 「ん、大丈夫。分かってるから」

 「はぁい……って、そういえばどーやって羽月の行き先分かったの?おばさん、何も言ってなかったのに」

 「…あー、それはな……」


 ターナが口ごもる。

 音乃に対しては説明の要は無い。また最後の質問の時に雅の認識を捉えたのだろうから、特に不思議にも思わないが、蒔乃には不可解なのだろうし、といって説明するわけにもいかない。

 何と言って誤魔化そうか、と音乃も首を捻る中、ターナは少し迷いながらもこう告げる。


 「読心術、というやつだ」

 「どくしんじゅつ?…って、ターナすごいね。そんなこと出来るんだ」

 「まあな。だがあまり他人に吹聴出来るものでもない。できたら口外はしないで欲しい」

 「いーよー。あ、そうだ、どうせならあたしが何を考えているかも当ててみてよ」

 「マキ、あんたね、遊びでやってるんじゃないんだから…」


 緊張感の持続しない妹に呆れる音乃。


 「別に構わないぞ。何を言い当てればいい?」


 一方でターナは、良い意味でどこか力の抜けた表情になる。蒔乃の放つ軽い空気に感染したようでもあり、音乃は先行きに不安を覚えるが。


 「…んーとねー……そうだ、あたしが音乃ちゃんのことをどう思ってるか、当ててみて?」


 …余計に心配になる。

 そんな思いで両者の顔を見る音乃だが、一方のターナと言えば、端的に言って呆れ顔だった。


 「…当ててみて、ってあのな……。まあ、こんなとこだろ。『おねーちゃん大好き!』。違うか?」

 「うえぇっ?!…あ、あたしそんなこと…思ってなんか……」


 顔色をうかがうように横目で音乃を見る蒔乃。

 その視線から気恥ずかしそうに目を逸らす音乃。

 姉妹の睦まじ気な一瞬のやりとりを、ターナは苦笑して見守る。


 「…そんな質問、心を読むまでもない。マキノ、お前ダダ漏れだ」

 「そー…そーかなー…あたし別にそこまで音乃ちゃんのこと好きでもないしー…」

 「あーはいはい。ターナがヤキモチ妬くからこれくらいにしてさっさと行こ?渋谷でしょ、確か」

 「お、おい!わたしは別に妬いてなどいないぞ?!とんでもないことを言って行くな、バカ!」

 「あたしだって音乃ちゃん出ていったからって泣いたりしてないよ?!」


 …なんだか約一名、聞き捨てならないことを言っていたような気もするが、このままでは話が進まないと、先に立って改札に向かう音乃だった。




 渋谷といえば近年はスポーツの応援に紛れた乱痴気騒ぎで名が知れ渡ってしまっているが、音乃と蒔乃も多分に洩れずそういった先入観に縛られていたから、駅を降りていわゆるハチ公前の広場に出て、ただ人が多いだけの雑然とした駅前、という様相にぼけーっとしていた。


 「…二人ともアホ面下げて何してる。さっさと行くぞ」

 「いや、アホ面ってね…」

 「やっぱり東京、人間の数がはんぱない…」


 ターナが促しても半口開けて人の波をぼんやり眺めてる姉妹。


 「これくらいの人間の数、別に珍しくないだろうが。ネノはそろそろ慣れろ」

 「だってね、何処行ってもこれなんだもん」

 「音乃ちゃん海外にも行ってるくせに、今さら驚くこともないんじゃ…」

 「スケートしかしてないし。実家と大して変わんないって」

 「あー、観光なら後にしろ。とにかく行くぞ」


 一人で歩き始めたら五秒で迷子になる。

 そう思ったターナは、二人の背中を押して歩き始めた。



 さて、ターナが羽月の母から引き出した情報では、ただ単に渋谷のよからぬグループ、というだけであったから、それ以上については現地で情報を集めなければならなかった。

 だが、ここで同行しているのが音乃だけでなかったことが災いする。

 蒔乃がいないのであれば、手っ取り早くそれっぽい少年グループにでも声をかけ、場合によっては多少手荒な手段をとっても構わないのだが、そういった所を見せるわけにもいかない今は、聞き込みをする体裁くらいはとらなければならなくなっている。


 「…けっこー、地味だね」


 退屈そうにターナと音乃の後ろについてきてる蒔乃は勝手なことを言い、そちらから見えない角度で二人は無理にでも置いてくれば良かったと後悔混じりのため息をつくのだった。


 「人捜しなどこんなものさ」


 と言いつつ、蒔乃には気取られぬように、会話をしつつ力を使って確実に情報を集めるターナ。

 その進捗に少しは貢献しようと、蒔乃の気を引いて邪魔をさせないようにする音乃。


 「音乃ちゃん何の役にも立ってないね」


 一度だけそんなことを言われて、「誰のせいだと思ってんのよ、誰の!」と怒鳴りたいのをガマンした以外には何程のこともなく、淡々と聴き込みのようなものを続けた先に、三人はいた。


 「…何ココ」

 「マキノの愛しい人がいるところだな」

 「あたし別に羽月のことはなんとも思ってないんだけど」


 そんなことはターナも分かっているだろう。散々っぱら面倒な真似をさせられた腹いせにそんなことを言っただけだ。

 …音乃はターナの心中をそう察して、声に出さずに姉として妹の不肖を詫びる。


 「冗談はともかくだな。二人ともここまでにしておけ。ウヅキがいたら首根っこ押さえて引きずり出してやるから待ってろ」


 と、ターナは目の前の薄暗い通路を前に、言う。

 通路、とあるが一目見たところそのようなものには見えず、何かビルとビルの間にある、建築ミスで生じた隙間のようだが、人の出入りは充分に可能な間隔はある。

 ゴミ溜めのような不衛生な感じもないし、通路だと言われればそうかも、と思えるくらいのもの、ではあった。

 ターナが聴き込みの真似事を繰り返してその末に辿り着いたこの場は、何か人目から隠れるような雰囲気があって、音乃や蒔乃にとっては言われずとも自分から近寄りたいと思えるようなものはない。

 だが。


 「そう言われて、はいそうですか、って私が引き返すと思う?」

 「…えーと、あたしはターナの足手まといにはなりたくないし危ない目にも遭いたくはないんだけど、それ以上に羽月のことを誰かに任せっぱなしでいるのは、イヤ」

 「まー、お前たちならそう言うと思ったがな」


 革ジャンのポケットに手を突っこんだまま、肩をすくめる。


 「で、結局何がこの先にあるっての?」


 その背中に向けて音乃は聞いた。

 周囲は休日の夜らしい喧噪で、今この場で暴力的な事件が起こる空気はないものの、何か目の前の暗がりの向こうは非日常の空間が横たわっていてもおかしくないような、そんな雰囲気はある。


 「わたしにもわからん。ただウヅキの写真を見せて反応を探ってたら、この先に入っているところを見かけた、というだけの話だしな」

 「この先に何があるのか、って話は聞かなかったの?」

 「さあな。聞いても無駄だったしな。誰一人、ハッキリしたことを言わん」


 ターナは自分のスマホを手にとり、もう一度稲生羽月の写真を確認する。蒔乃のスマホに保存されていたものをコピーしたものだ。

 これを見るとなるほど確かに、柔弱な印象は拭えない。

 蒔乃や他の仲間との集合写真に写る少年は、背は高くともひょろりとしており、肌の色も健康的なものでこそあっても好んで屋外での活動を行うようには見えない。

 カメラを見つめる表情にもどこか、錆び付いたような鈍さがあって、打てば響くような精悍な印象を与えるようなものには乏しい。

 ただ、ターナに気になった点があったとすれば、瞳の奥に、ほんの微かにではあったがどこか巌のような固いものがあるように、見えたことだった。

 それが何を意味するのかまでは分からないが、その点に限れば音乃でさえも及ばない程に強い印象を、ターナに抱かせる。


 「…正直言って、この少年に興味が沸かないでもないな」

 「え、まさかターナってそーいう趣味…いやー、羽月はやめといた方がいいと思うんだけど…」

 「何をわけのわからんことを言ってる。下手したら音乃より頑固な男かもしれんぞ、と思っただけだ」

 「頑固…うーん、頑固ねー…あの羽月がねぇ?」

 「頑固ということで私を引き合いに出すのは止めてもらえる?」


 不本意極まる。

 そんな顔つきで、肩越しにこちらを見ているターナを睨む音乃だった。


 「…さて、こうしていても始まらない。何があるのか知らないが、入ってみる…が、お前たちはどうする?最悪、身を守ってやれる保証は出来ないぞ」


 と言うが早いか、とっとと通路に足を踏み入れるターナ。

 人通りの絶える間など瞬時といえどもあり得ないのだが、不思議とこちらに注目する者もおらず、それをいいことに、ポケットから出した右手には。


 「…人目もあるのに抜き身提げるのは、ちょっと物騒じゃない?」

 「…な、なんか凄いの出てきたね…っていうか、ターナそんなもの持ってたっけ?」

 「必要になる場面もあり得る、ということさ」


 音乃を助け出したあの時に、ワゴン車の屋根を切り裂いたあの刀が携えられていた。

 白刃を見て思い出すこともあったか、音乃は一つ身震いをする。


 「……いいよ。行ってやろうじゃない」


 しかし、それも一度だけ。我ながら肝の据わったことだ、と呆れながらこちらを見てニヤリとしたターナを見返す。


 「上等だ。マキノはどうするのだ」

 「…あた、あたしだって音乃ちゃんとターナに任せっきりなんて出来ないし。ついてく」

 「度胸は買うが無理はするなよ」


 と、こちらは本心から心配していそうな口振りなのだった。


 「さて、何が起こるかは分からないが。行こう」


 それでも不安を振り払うように明るく言い放ち、ターナは闇とも言い切れない暗がりに向けて踏み出した。

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